切り替えスイッチ~割り箸男2~

志賀雅基

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第34話

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 目覚めたエセルは起き上がれずに頭だけを横に向けた。もう十八時過ぎだった。
 そこでふいに思い出して青くなる。確か和音は四十度を超す高熱患者で、今日は精密検査につれて行く予定だったのだ。それなのにあのあともずっと、それこそ本当に限界までさせてしまったのである。

 ベッドには和音も一緒に寝ていた。生きているのはパジャマに被った二枚掛け毛布がゆっくり上下しているので分かる。そっと手を伸ばして和音の額に触れた。
 反射的に手を掴まれて飛び上がるほど驚く。起き上がった和音が低い声を発した。

「エセルお前、何で寝てねぇんだよ?」
「寝てなんかいられないよ、病院に行かなくちゃ」
「……すまん。やっぱりお前に流されるんじゃなかったぜ。痛いに決まってるよな? それともあんなに血ぃ出して貧血か?」

「僕じゃなくてアナタの通院です。絶対普通の熱じゃないよ、精密検査しなきゃ」
「あー、そいつはもういい。治ったから検査はパス」
「そんな、面倒臭がってるとホントに死んじゃうからね!」

 叫んだものの、和音が自分の額を指差したのでもう一度、改めて触ってみたが熱くない。不審に思って和音に指示し体温計で熱を測らせたが三十六度五分だった。

「どうして、何であれだけの熱が消えちゃったの?」
「お前とやったら熱も一緒に出てったみたいだな」
「あんなにしたから、熱も一緒に?」

「だから『あんなにしたから』じゃねぇ、『お前としたから』だ、たぶん」
「僕と……僕限定?」

 頷いた和音はライティングチェスト上の煙草を手にすると一本咥えて引き抜き、オイルライターで火を点けて紫煙を吐きながら灰皿を引き寄せる。咥え煙草のまま器用に喋った。

「俺自身が思うにさ、あれは風邪じゃなかったんだ、きっと」
「風邪じゃないなら……もしかしてストレス性ってこと?」

 再び和音は頷く。すぐにその言葉が出てきたのはエセルも疑っていたからだ。ずっとレトラ連合の『国内地盤固め派』からの襲撃を恐れ、緊張し続けて硬く折れそうだった和音に今度は特命という負荷が掛かったのである。それだけではない、この自分が他の男たちに嬲られるのを黙って看過しなければならなかったのだ。

「最大の原因はエセル、お前だ」
「……ごめん」
「別に怒ってるんじゃねぇし、お前が悪いとも言ってねぇだろ。謝らなくていい」
「でも僕が他の誰かに……そのたびに和音が高熱を出すなら、僕は……」

 盛大に和音が紫煙を吐いて灰皿に灰を弾き落とす。溜息をつくために和音は煙草を咥えているのかとまで思い、エセルはどうしていいのか分からず俯いた。
 これからも同じような特命に就くならこれまでのエセルのやり方が必要となる可能性は非常に高い。エセル自身は仕事だと割り切れる。だがバディの和音が命まで危険なほどに体調を崩すのなら、もう同じ手は使えないということだ。

 そうなると特命での自分の存在価値は殆どなくなる――。

「エセル、俺は事実を指摘しただけだ。考えすぎるな」
「だって必ずまた直面する問題だよ?」

「俺がそんなにナイーヴだとは自分でも思っちゃいなかったが……とにかくこいつは俺の側の問題なんだ、お前が気を揉むことじゃねぇよ」

 言いつつ和音は灰皿と並べてあったスポーツ飲料のペットボトルを取り上げる。開封して口に含み、エセルに口移しで飲ませた。飲み下してエセルは和音を軽く睨む。

「何言ってるのサ。バディでパートナーなんだから片方だけの問題じゃないよ。二人で解決策を探っていかなきゃ、赤の他人が二人でいられないよ?」

「ん……そうか。でもさ、俺はある意味、今回の潜入任務で腹を括ったんだ。俺は、俺だけは何があろうとお前から目を逸らさねぇって。お前が独りで戦いに行くなら可能な限り近くにいて、お前が帰ってきたら抱き締めて思い切り甘えさせてやるのが俺の役目だってな」

「……和音」

 喉の奥に熱い塊がせり上がってきて鼻の奥がツンと痛み、慌ててエセルは過剰な水分を零さないよう目を瞠った。平静を装いつつも少しうわずった声を出す。

「でも幾ら腹を括っても、ストレス性の不調はいつ噴き出すか分かんないんだよ?」
「そいつは確かだ。俺はお前が他の誰かに抱かれたら嫉妬するし、そいつを撃ち殺したくて胃袋に穴が空きそうな思いもする。それはどうしようもねぇ。たぶん一生慣れるもんでもない。だが不調が出た際の治し方は分かった。それは進歩だろ?」
「そう……なのかなあ?」

 硬く折れそうな和音がこれで柔軟になるかと考えれば疑問だった。根本的解決に何ら近づいていないような気もする。それにレトラ連合の『国内地盤固め派』については二人で考えても何とかなる問題ではなく、特命は降ってきたが最後待ったナシだ。

 だが一人で生きていけない以上、二人で何とか乗り越えて行かねばならない。
 そう、出会ってしまった二人は一人でいる方法など忘れてしまったのだ。もう引き返せないのだから前を向いて二人で進むしか道はない。

 考えを読んだように和音が殊更明るい声を出す。

「仕方ねぇだろ、互いに離れられねぇんだからさ。お前は俺から離れられるか?」
「無理だよ、そんなの。じゃあ僕は和音の傍にいてもいいの?」
「当たり前だろ、バディでパートナーなんだぞ」

 疑うべくもなく言い切った和音は、切れ長の目に笑みを浮かべて力強く頷いてみせた。もっとその笑みを見ていたかったが、ベッドのふちに腰掛けた和音はすぐにまた灰皿の方を向いて煙草を吸い始めてしまう。その広い背中にエセルは想いを込めた指先で触れた。

 いつの間にか自分もパジャマを着せて貰い綺麗に躰も拭かれているようだ。和音とひとつになれる大事な躰の箇所の傷にも薬を塗り込まれているのを感じる。シーツまで新しいものに変わっていて、いつもがさつなふりをしている愛しい男に微笑みが洩れた。

 ふと目覚まし時計を見ると十九時ジャストだった。主夫は重要なことを思い出す。

「そういえば今晩のメニューはどうしようかな。コンビニのお弁当は勘弁だし。あ、パスタとパスタソースがあったから、あれを茹でて……」

 起きられないのも忘れていたエセルは、呟きながらベッドから転がり落ちた。

「うわっ、何やってんだ、エセル! 大丈夫か!」

 狭い寝室で転がったエセルはクローゼットの角に頭をぶつけ、今度は和音がエセルを精密検査につれて行くなどと騒ぐことになる。一一九番に電話を掛けられる寸前でエセルは回避し、代わりに近所の食堂・駿河するが屋に電話させて、夕食はカツ丼と天丼のシェアとなった。
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