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第9話
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「まあ、貴方、京哉じゃない!」
声を掛けられたのは淡水魚水族館で身の丈一メートルの鯉を前にした時だった。
「えっ、あっ、まさか杏子さん?」
ベビーカーを伴った女性も京哉の元カノらしく、昔の男はここでも硬直している。だが霧島は今回に限り即、牽制球を投げたりせずに見守った。何故かといえば相手はどう見てもファミリーで幸せいっぱいといった風だったからである。
「杏子さん、もしかして結婚したんですか?」
「ええ、貴方と別れてすぐにね。ところでそちらは霧島カンパニーの?」
話を振られれば自己紹介もやぶさかではない。
本日何度目かの微笑みを浮かべた。
「霧島忍、京哉のパートナーです」
「あら、まあ、京哉が……そうだったの」
頭の天辺からつま先まで杏子に観察されたが、霧島は完璧な微笑みを浮かべ続ける。
「京哉を宜しくね、霧島さん。お互いに愉しみましょう。じゃあ」
次の展示物へと去ってゆく杏子たちと間隔を空けながら霧島は京哉を窺った。
「京哉お前、今度は何故凹んでいるんだ?」
「えっ、いえ、あの杏子さんが結婚して子供までとは、ちょっと信じがたくて」
「私には良く分からん感覚だが、幸せを祈ってやれ」
「まあ、そうですよね」
水槽のタナゴを目で追う京哉は、妙にくたびれた顔をしている。
「来るもの拒まず去るもの追わずだったお前の、自業自得なのだからな」
「僕ばかり責めないで下さいよ。ってゆうか、どうかしてますよ。はあ~っ!」
「麻美に恵梨香、美里に杏子。これでもう四連続か」
そうなのだ。何処に行っても京哉は元カノに出くわし、そのたびに相手と霧島のガンの飛ばし合いが始まって、心の安まる時がないのである。
「同じコミュニティ内で生活している人間が、昨日の朝のトピックスを見て真冬の寒さが多少緩んだ晴天にレジャーにやってくるのはおかしいことではないと思うがな」
「それにしたって……」
「いいからここを見終えたら昼飯にするぞ。お前も煙草を吸いたいだろう」
そうして一通り淡水魚を見学してから外に出て、喫煙可のカフェテリアに入店した。
日曜の上にニュースのせいか十四時という時間でも混み合っていたが、何とかテラス席を確保して腰を下ろす。既に店内で現金と引き換えに注文はしてあった。京哉はそそくさと煙草を出して一本咥え、オイルライターで火を点けてからテーブルに付属の募金箱に三十円を投下した。
募金箱には『貴重な動物を救うためにご協力を!』などとあったが、『煙草一本につき三十円です』と明記してあるのが世知辛い。二人して苦笑いをしているうちにウェイトレスが水とお絞りに注文した品をワゴンで運んでくる。
「お待たせしました、AランチセットとBランチセットです」
ウェイトレスの声で京哉は、フィルタぎりぎりまで吸った煙草を消した。
置いてあった煙草とオイルライターを避け、ウェイトレスがワゴンからトレイふたつをテーブルに置く。礼を言って見上げ、京哉は溜息混じりに呟いた。
「……彩也子さん」
「えっ、あら、京哉じゃない。どうしたのよ、こんな所で?」
本日五度目の偶然に諦め気分の京哉は、彩也子も元カノだと霧島に説明する。
「元気そうね。もしかしてTVを見たから来たの?」
「ん、あ、そうだよ」
「ふうん。で、こちらは見たことがあるような人だけど?」
互いに自己紹介をしたが彩也子は至ってさばさばした性格らしく、仕事中ということもあるのか、にこやかに二人へのエールさえ送ってワゴンを携え去っていった。
「ふむ。美人でナイスバディばかりだな」
「うっ……過去のことなんだからいいでしょう、別に」
「私は別に怒ってなどいない、レヴェルが高いのを褒めているだけだ」
「顔に書いてありますよ、面白くないって。それにその言い方!」
「面白い訳がなかろう、私の知らないお前を知っているのだからな」
「それは言わないで下さい、お互い様でしょう。おまけに誰とも三ヶ月と続かなかった上に、これで本当に打ち止めですから。あああ、古傷を抉られて塩を擦り込まれた気分」
ぐったりしながらも行儀よく手を合わせて食し始める。メインディッシュの若鶏のソテーと和風ハンバーグをシェアしながら食べ、ランチに付いてきたホットコーヒーで喉を潤しつつ、京哉はまた募金という名の環境税を支払った。
席を立ってカフェテリアをあとにすると、今度は左側の動物園を巡る。
ライオンにシマウマ、アフリカゾウにミーアキャット、プレーリードッグなどを見て、ダチョウなどの鳥類のエリアに入った。
鳥類は殆どが檻から出され放し飼いになっていて、客は草原を模したエリアをうねうねと曲がる細い小径を辿りながら観察するようになっている。あちこちにある灌木の陰に、モモイロペリカンがふと微睡んでいたりして、結構面白い。
「そろそろハシビロコウがいるんじゃないですかね?」
「以前はその辺りにいた気がしたんだが」
と、エリア内にアナウンスが入る。
《ご来場の皆様にお知らせ致します。十五時三十分よりDケージでハシビロコウの餌付けと、終了後に『さよならアーヴィン君セレモニー』が行われますので、どうぞお誘い合わせの上、お越し下さい。繰り返しご案内――》
小さな池の畔でカンムリヅルを眺めていた二人は顔を見合わせた。
声を掛けられたのは淡水魚水族館で身の丈一メートルの鯉を前にした時だった。
「えっ、あっ、まさか杏子さん?」
ベビーカーを伴った女性も京哉の元カノらしく、昔の男はここでも硬直している。だが霧島は今回に限り即、牽制球を投げたりせずに見守った。何故かといえば相手はどう見てもファミリーで幸せいっぱいといった風だったからである。
「杏子さん、もしかして結婚したんですか?」
「ええ、貴方と別れてすぐにね。ところでそちらは霧島カンパニーの?」
話を振られれば自己紹介もやぶさかではない。
本日何度目かの微笑みを浮かべた。
「霧島忍、京哉のパートナーです」
「あら、まあ、京哉が……そうだったの」
頭の天辺からつま先まで杏子に観察されたが、霧島は完璧な微笑みを浮かべ続ける。
「京哉を宜しくね、霧島さん。お互いに愉しみましょう。じゃあ」
次の展示物へと去ってゆく杏子たちと間隔を空けながら霧島は京哉を窺った。
「京哉お前、今度は何故凹んでいるんだ?」
「えっ、いえ、あの杏子さんが結婚して子供までとは、ちょっと信じがたくて」
「私には良く分からん感覚だが、幸せを祈ってやれ」
「まあ、そうですよね」
水槽のタナゴを目で追う京哉は、妙にくたびれた顔をしている。
「来るもの拒まず去るもの追わずだったお前の、自業自得なのだからな」
「僕ばかり責めないで下さいよ。ってゆうか、どうかしてますよ。はあ~っ!」
「麻美に恵梨香、美里に杏子。これでもう四連続か」
そうなのだ。何処に行っても京哉は元カノに出くわし、そのたびに相手と霧島のガンの飛ばし合いが始まって、心の安まる時がないのである。
「同じコミュニティ内で生活している人間が、昨日の朝のトピックスを見て真冬の寒さが多少緩んだ晴天にレジャーにやってくるのはおかしいことではないと思うがな」
「それにしたって……」
「いいからここを見終えたら昼飯にするぞ。お前も煙草を吸いたいだろう」
そうして一通り淡水魚を見学してから外に出て、喫煙可のカフェテリアに入店した。
日曜の上にニュースのせいか十四時という時間でも混み合っていたが、何とかテラス席を確保して腰を下ろす。既に店内で現金と引き換えに注文はしてあった。京哉はそそくさと煙草を出して一本咥え、オイルライターで火を点けてからテーブルに付属の募金箱に三十円を投下した。
募金箱には『貴重な動物を救うためにご協力を!』などとあったが、『煙草一本につき三十円です』と明記してあるのが世知辛い。二人して苦笑いをしているうちにウェイトレスが水とお絞りに注文した品をワゴンで運んでくる。
「お待たせしました、AランチセットとBランチセットです」
ウェイトレスの声で京哉は、フィルタぎりぎりまで吸った煙草を消した。
置いてあった煙草とオイルライターを避け、ウェイトレスがワゴンからトレイふたつをテーブルに置く。礼を言って見上げ、京哉は溜息混じりに呟いた。
「……彩也子さん」
「えっ、あら、京哉じゃない。どうしたのよ、こんな所で?」
本日五度目の偶然に諦め気分の京哉は、彩也子も元カノだと霧島に説明する。
「元気そうね。もしかしてTVを見たから来たの?」
「ん、あ、そうだよ」
「ふうん。で、こちらは見たことがあるような人だけど?」
互いに自己紹介をしたが彩也子は至ってさばさばした性格らしく、仕事中ということもあるのか、にこやかに二人へのエールさえ送ってワゴンを携え去っていった。
「ふむ。美人でナイスバディばかりだな」
「うっ……過去のことなんだからいいでしょう、別に」
「私は別に怒ってなどいない、レヴェルが高いのを褒めているだけだ」
「顔に書いてありますよ、面白くないって。それにその言い方!」
「面白い訳がなかろう、私の知らないお前を知っているのだからな」
「それは言わないで下さい、お互い様でしょう。おまけに誰とも三ヶ月と続かなかった上に、これで本当に打ち止めですから。あああ、古傷を抉られて塩を擦り込まれた気分」
ぐったりしながらも行儀よく手を合わせて食し始める。メインディッシュの若鶏のソテーと和風ハンバーグをシェアしながら食べ、ランチに付いてきたホットコーヒーで喉を潤しつつ、京哉はまた募金という名の環境税を支払った。
席を立ってカフェテリアをあとにすると、今度は左側の動物園を巡る。
ライオンにシマウマ、アフリカゾウにミーアキャット、プレーリードッグなどを見て、ダチョウなどの鳥類のエリアに入った。
鳥類は殆どが檻から出され放し飼いになっていて、客は草原を模したエリアをうねうねと曲がる細い小径を辿りながら観察するようになっている。あちこちにある灌木の陰に、モモイロペリカンがふと微睡んでいたりして、結構面白い。
「そろそろハシビロコウがいるんじゃないですかね?」
「以前はその辺りにいた気がしたんだが」
と、エリア内にアナウンスが入る。
《ご来場の皆様にお知らせ致します。十五時三十分よりDケージでハシビロコウの餌付けと、終了後に『さよならアーヴィン君セレモニー』が行われますので、どうぞお誘い合わせの上、お越し下さい。繰り返しご案内――》
小さな池の畔でカンムリヅルを眺めていた二人は顔を見合わせた。
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