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第34話
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二人は暫く無言で互いの吐息を聞き、鼓動を感じていた。
年上の愛し人の重みを受け止めながら、京哉は霧島の左肩を指先で撫でる。
「貴方に無理させちゃいましたね」
「無理でも何でもない、問題ないぞ?」
「本当に? 骨折とヒビですよ? 嘘つかないで下さい」
「ほんの少し、痛むかも知れん。だが今は打撲の方が結構くるな」
柳眉をひそめて京哉は霧島を見上げたが、すましたポーカーフェイスからは何も読み取れない。だがこの男が『痛い』といえば相当痛んでいる筈で、心配でいっぱいになったものの、京哉はさっきの今でまだ腰も据わらぬ身だ。そのうち霧島は洗面所に消える。
「うーん、それも一回で終わらせるなんて、結構きてるなあ」
呟いた京哉も気合いを入れてベッドから降り、壁伝いに歩いて洗面所に辿り着く。霧島と入れ違いにバスルームで躰を流すとバスタオルで拭ってベッドに戻った。
二人でシングルベッドに横になると霧島は右腕の腕枕を差し出す。
「狭いが我慢してくれ」
「こっちの腕は……」
「問題ない。もう抱き枕がいないと眠れなくてな」
「そっか。じつは僕も腕枕がないと良く眠れないんです」
ベージュの毛布を被ると涼しい顔ながら京哉にだけ分かる笑みを目に浮かべた霧島は足を絡め、乱れた黒髪を指で梳いてくれた。優しい手つきと切れ長の目、密着した温かな躰。
「忍さん、何処にも行かないで。僕以外の誰も抱かないで」
「当たり前だろう、何度も言っている。心配するな」
深い安堵を得て、京哉はそのまま眠りに落ちてゆく。
◇◇◇◇
翌朝京哉が起きてみると、霧島はデスクに向かって椅子に腰掛けていた。
こちらに背を向けているが、ちゃんとアームホルダーを着けているのを見ると一旦自分の部屋に帰ったらしい。そんなことにも気付かず眠っていた自分に驚いて上体を起こす。置いてあったドレスシャツと下着を静かに身に着けた。
そしてそっと霧島の背後に立つと両手で目隠しをして耳元に囁く。
「まだ七時ですよ、早起きですね……わあっ!」
椅子ごとこちらに倒れてきたのを慌てて支えた。危ういところで押し戻して斜めになった霧島の顔を逆さに覗き込んだ。その顔色は血の気が引いたように白い。
「顔色が悪いですよ、どうしちゃったんですか?」
「ん、ああ、何でもない」
「何でもって……貴方もしかして」
椅子をきちんと立て直すと、霧島の前髪をかき分け額に手を当てる。
「やっぱり貴方、熱出してるっ!」
額は熱いどころではなかった。三十八度を確実に超えている。丈夫そうに見えて意外と高熱を出しやすいのだ、この男は。慌てて右腕を取り支えてベッドに誘導する。
「ほら、忍さん、こっちにきて横になって」
「別に何でも――」
「ないなんて聞きませんからね。ほら、早く」
ドレスシャツとスラックス、アームホルダーも身に着けたままで横にさせ、毛布をきっちりと被せてから、京哉は手早く着替えてショルダーホルスタを装着し、気付いてエアコンを高温設定にする。ポケットに財布とクレジットカードを入れた。
「医務室に行ってきますからね。忍さん?」
見ればもう霧島は眠ってしまっていた。溜息をつくと部屋を出てロックする。廊下を歩き、エレベーターに乗って二十一階の医務室に向かった。
着いた医務室で眠たげな昨夜からの当直医師に事情を話し、熱発グッズを手に入れる。体温計に解熱剤や輸液のパックとチューブなどの点滴一式も貰い受けた。
医務室を出ると売店に寄り、京哉自身の朝食やスポーツドリンク類を購入してから二十二階の部屋に戻る。霧島は大人しく寝ていたが、じっと見つめると灰色の目を覗かせた。
「熱、測るから口開けて下さい」
体温計を咥えさせ電子音で引っ張り出すと熱は三十九度を超えていて即、点滴を開始する。ロッカーの扉を開けてフックに輸液パックを引っ掛けチューブを刺して霧島の右袖を捲った。タオルで腕を縛ると消毒し、針先で器用に静脈を捉えて紙テープで固定する。
何も食べさせていないので胃を痛める解熱剤はあとだ。
「風邪じゃなくて骨折か打撲のショックかも知れないですね」
「ん、すまんな」
「貴方は悪くないですから謝らなくていいです。ただ、ちゃんと寝てて下さい」
昨夜、寝る前に消炎スプレーをかけてやるのを忘れていたのは失敗だった。だが本人に体力があるので、処置さえ的確なら熱は長引かないことを京哉は心得ていた。
しかしこれでは本日のハシビロコウ捕獲作戦に自分も参加できない。こんな状態の霧島を置いていくなど論外だ。仕方なく部屋を出て瑞樹の部屋に向かう。
ノックして呼び掛けると、すぐ瑞樹は顔を出した。サファリジャケットを着て赤毛もちゃんと縛っている。
「おはよう、京哉。どうしたの?」
「おはようございます。あのう、悪いんですけど、今日のハシビロコウ捕獲作戦から僕も外れていいでしょうか? サムソンにはちゃんと頼んでおきますから」
「いいけど、でもどうかしたの……あ、霧島さんが心配とか?」
「ん、まあ、そんなとこですね。すみません」
瑞樹にまで抜けられてはいつまで経っても事が進まないのと、何となくあんな霧島を見せたくない思いで言葉を濁した。部屋に戻りサムソン=レパードに連絡する。英語しか通じないこちらには霧島自身から素直に事情を伝えた。了解を受けて通話を切った霧島に訊く。
「何か食べられそうなら調達しますけど?」
「正直、今は食いたくないかも知れん」
この男が食欲すらないとは、かなりの重症だ。インフルエンザ最盛期でも人の分まで飯を食い、更におやつまで残さず食べるのに……そう思って相当心配が募ったが口には出さない。一方の霧島は高熱で潤んだ目をしながら減らず口を叩く。
「だからといってお前までダイエットするなよ。抱き心地が悪くなるからな」
「分かってます、今から食べますよ」
そう言って京哉は霧島に口移しでスポーツドリンクを流し込んでから、買ってきたサンドウィッチとコーヒーで朝食にした。食べている間に霧島はまた眠ってしまったようだった。
それでも京哉は霧島の枕元に置いた椅子から動かない。時折汗を拭いてやり、着替えさせて水分を補給し輸液パックを新しいものに刺し替える。
そんな甲斐甲斐しい看護が功を奏したらしく、夕食前には霧島も空腹を訴えたので京哉はようやくホッとした。積極的に食堂に行きたがる男の熱を測ると三十七度で、京哉は立ち歩く許可を与える。刑事なんぞやっているくらいだ、胃腸は頑丈である。
十八時近くになって、二人は京哉の部屋から出てエレベーターに乗った。
「一番近い食堂は二十一階か。それにしても腹が減ったな」
「貴方が二食抜きですもんね。しっかり食べて瑞樹の戦果を聞かないと」
食堂には大勢の人間がいたが、広いためにそれほど混み合っているようには感じなかった。ビュッフェ形式だが流れもスムーズだ。アームホルダーで腕を吊った霧島と自分のトレイに京哉は次々と料理を盛りつけたプレートを並べてゆく。霧島はトレイを持つのも片手だが、それで困るほどヤワではない。
二人は横並びでテーブル席に腰掛け、彩りよく盛られた夕食にありついた。
「結構旨いな、どれも」
「まあ、流れ作業的に作ってる割には及第点ですよね」
「おっ、瑞樹とサムソンだ」
「本当だ、早かったんですね」
食堂に入ってきたのを目敏く霧島が見つけ、京哉が手を上げて合図する。瑞樹はトレイも持たずに二人の許へと駆け足寸前の早足でやってきた。
「今日は二人で抜けちゃってすみませんでした」
「いいんだ、気にしないで。でも残念、貴方たちにも動物たちを見て欲しかったな」
興奮醒めやらぬ状態らしく、瑞樹は頬をバラ色に染めて感動の言葉を繰り出し続ける。サムソンというツアーガイドは余程優秀だったらしい。
「分かった。分かったが瑞樹、アーヴィンはどうなったんだ?」
肝心の機密メモリ入りの足環がなければ話にならない、遊びではないのだ。
訊いた霧島に一瞬、瑞樹は真顔になる。そして何故か哀しげにさえ見える表情で、サファリジャケットのボタン付きポケットから足環を取り出した。
小さな樹脂の環を二分割すると、中にはしっかり極小サイズのUSBフラッシュメモリが一個収められている。
「そうか。特別任務は半分完了だな」
「それにしては瑞樹、嬉しくなさそうですよね。どうしたんですか?」
二人の椅子の背に手を掛け、瑞樹は身を乗り出して真剣な口調で切り出した。
「すぐにでも日本に帰国しなきゃならないのは分かってる。でも今晩三時間でいい、お願いだからサムソン主催のナイトサファリツアーに行かせてくれ!」
年上の愛し人の重みを受け止めながら、京哉は霧島の左肩を指先で撫でる。
「貴方に無理させちゃいましたね」
「無理でも何でもない、問題ないぞ?」
「本当に? 骨折とヒビですよ? 嘘つかないで下さい」
「ほんの少し、痛むかも知れん。だが今は打撲の方が結構くるな」
柳眉をひそめて京哉は霧島を見上げたが、すましたポーカーフェイスからは何も読み取れない。だがこの男が『痛い』といえば相当痛んでいる筈で、心配でいっぱいになったものの、京哉はさっきの今でまだ腰も据わらぬ身だ。そのうち霧島は洗面所に消える。
「うーん、それも一回で終わらせるなんて、結構きてるなあ」
呟いた京哉も気合いを入れてベッドから降り、壁伝いに歩いて洗面所に辿り着く。霧島と入れ違いにバスルームで躰を流すとバスタオルで拭ってベッドに戻った。
二人でシングルベッドに横になると霧島は右腕の腕枕を差し出す。
「狭いが我慢してくれ」
「こっちの腕は……」
「問題ない。もう抱き枕がいないと眠れなくてな」
「そっか。じつは僕も腕枕がないと良く眠れないんです」
ベージュの毛布を被ると涼しい顔ながら京哉にだけ分かる笑みを目に浮かべた霧島は足を絡め、乱れた黒髪を指で梳いてくれた。優しい手つきと切れ長の目、密着した温かな躰。
「忍さん、何処にも行かないで。僕以外の誰も抱かないで」
「当たり前だろう、何度も言っている。心配するな」
深い安堵を得て、京哉はそのまま眠りに落ちてゆく。
◇◇◇◇
翌朝京哉が起きてみると、霧島はデスクに向かって椅子に腰掛けていた。
こちらに背を向けているが、ちゃんとアームホルダーを着けているのを見ると一旦自分の部屋に帰ったらしい。そんなことにも気付かず眠っていた自分に驚いて上体を起こす。置いてあったドレスシャツと下着を静かに身に着けた。
そしてそっと霧島の背後に立つと両手で目隠しをして耳元に囁く。
「まだ七時ですよ、早起きですね……わあっ!」
椅子ごとこちらに倒れてきたのを慌てて支えた。危ういところで押し戻して斜めになった霧島の顔を逆さに覗き込んだ。その顔色は血の気が引いたように白い。
「顔色が悪いですよ、どうしちゃったんですか?」
「ん、ああ、何でもない」
「何でもって……貴方もしかして」
椅子をきちんと立て直すと、霧島の前髪をかき分け額に手を当てる。
「やっぱり貴方、熱出してるっ!」
額は熱いどころではなかった。三十八度を確実に超えている。丈夫そうに見えて意外と高熱を出しやすいのだ、この男は。慌てて右腕を取り支えてベッドに誘導する。
「ほら、忍さん、こっちにきて横になって」
「別に何でも――」
「ないなんて聞きませんからね。ほら、早く」
ドレスシャツとスラックス、アームホルダーも身に着けたままで横にさせ、毛布をきっちりと被せてから、京哉は手早く着替えてショルダーホルスタを装着し、気付いてエアコンを高温設定にする。ポケットに財布とクレジットカードを入れた。
「医務室に行ってきますからね。忍さん?」
見ればもう霧島は眠ってしまっていた。溜息をつくと部屋を出てロックする。廊下を歩き、エレベーターに乗って二十一階の医務室に向かった。
着いた医務室で眠たげな昨夜からの当直医師に事情を話し、熱発グッズを手に入れる。体温計に解熱剤や輸液のパックとチューブなどの点滴一式も貰い受けた。
医務室を出ると売店に寄り、京哉自身の朝食やスポーツドリンク類を購入してから二十二階の部屋に戻る。霧島は大人しく寝ていたが、じっと見つめると灰色の目を覗かせた。
「熱、測るから口開けて下さい」
体温計を咥えさせ電子音で引っ張り出すと熱は三十九度を超えていて即、点滴を開始する。ロッカーの扉を開けてフックに輸液パックを引っ掛けチューブを刺して霧島の右袖を捲った。タオルで腕を縛ると消毒し、針先で器用に静脈を捉えて紙テープで固定する。
何も食べさせていないので胃を痛める解熱剤はあとだ。
「風邪じゃなくて骨折か打撲のショックかも知れないですね」
「ん、すまんな」
「貴方は悪くないですから謝らなくていいです。ただ、ちゃんと寝てて下さい」
昨夜、寝る前に消炎スプレーをかけてやるのを忘れていたのは失敗だった。だが本人に体力があるので、処置さえ的確なら熱は長引かないことを京哉は心得ていた。
しかしこれでは本日のハシビロコウ捕獲作戦に自分も参加できない。こんな状態の霧島を置いていくなど論外だ。仕方なく部屋を出て瑞樹の部屋に向かう。
ノックして呼び掛けると、すぐ瑞樹は顔を出した。サファリジャケットを着て赤毛もちゃんと縛っている。
「おはよう、京哉。どうしたの?」
「おはようございます。あのう、悪いんですけど、今日のハシビロコウ捕獲作戦から僕も外れていいでしょうか? サムソンにはちゃんと頼んでおきますから」
「いいけど、でもどうかしたの……あ、霧島さんが心配とか?」
「ん、まあ、そんなとこですね。すみません」
瑞樹にまで抜けられてはいつまで経っても事が進まないのと、何となくあんな霧島を見せたくない思いで言葉を濁した。部屋に戻りサムソン=レパードに連絡する。英語しか通じないこちらには霧島自身から素直に事情を伝えた。了解を受けて通話を切った霧島に訊く。
「何か食べられそうなら調達しますけど?」
「正直、今は食いたくないかも知れん」
この男が食欲すらないとは、かなりの重症だ。インフルエンザ最盛期でも人の分まで飯を食い、更におやつまで残さず食べるのに……そう思って相当心配が募ったが口には出さない。一方の霧島は高熱で潤んだ目をしながら減らず口を叩く。
「だからといってお前までダイエットするなよ。抱き心地が悪くなるからな」
「分かってます、今から食べますよ」
そう言って京哉は霧島に口移しでスポーツドリンクを流し込んでから、買ってきたサンドウィッチとコーヒーで朝食にした。食べている間に霧島はまた眠ってしまったようだった。
それでも京哉は霧島の枕元に置いた椅子から動かない。時折汗を拭いてやり、着替えさせて水分を補給し輸液パックを新しいものに刺し替える。
そんな甲斐甲斐しい看護が功を奏したらしく、夕食前には霧島も空腹を訴えたので京哉はようやくホッとした。積極的に食堂に行きたがる男の熱を測ると三十七度で、京哉は立ち歩く許可を与える。刑事なんぞやっているくらいだ、胃腸は頑丈である。
十八時近くになって、二人は京哉の部屋から出てエレベーターに乗った。
「一番近い食堂は二十一階か。それにしても腹が減ったな」
「貴方が二食抜きですもんね。しっかり食べて瑞樹の戦果を聞かないと」
食堂には大勢の人間がいたが、広いためにそれほど混み合っているようには感じなかった。ビュッフェ形式だが流れもスムーズだ。アームホルダーで腕を吊った霧島と自分のトレイに京哉は次々と料理を盛りつけたプレートを並べてゆく。霧島はトレイを持つのも片手だが、それで困るほどヤワではない。
二人は横並びでテーブル席に腰掛け、彩りよく盛られた夕食にありついた。
「結構旨いな、どれも」
「まあ、流れ作業的に作ってる割には及第点ですよね」
「おっ、瑞樹とサムソンだ」
「本当だ、早かったんですね」
食堂に入ってきたのを目敏く霧島が見つけ、京哉が手を上げて合図する。瑞樹はトレイも持たずに二人の許へと駆け足寸前の早足でやってきた。
「今日は二人で抜けちゃってすみませんでした」
「いいんだ、気にしないで。でも残念、貴方たちにも動物たちを見て欲しかったな」
興奮醒めやらぬ状態らしく、瑞樹は頬をバラ色に染めて感動の言葉を繰り出し続ける。サムソンというツアーガイドは余程優秀だったらしい。
「分かった。分かったが瑞樹、アーヴィンはどうなったんだ?」
肝心の機密メモリ入りの足環がなければ話にならない、遊びではないのだ。
訊いた霧島に一瞬、瑞樹は真顔になる。そして何故か哀しげにさえ見える表情で、サファリジャケットのボタン付きポケットから足環を取り出した。
小さな樹脂の環を二分割すると、中にはしっかり極小サイズのUSBフラッシュメモリが一個収められている。
「そうか。特別任務は半分完了だな」
「それにしては瑞樹、嬉しくなさそうですよね。どうしたんですか?」
二人の椅子の背に手を掛け、瑞樹は身を乗り出して真剣な口調で切り出した。
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