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第35話
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「一生の思い出だな……」
少し淋しげに響いた呟きを霧島と京哉は耳に留めていたが、夢のような時の余韻に浸る瑞樹を邪魔しない。ビジネスジェットのシートに凭れてユラルト王国の首都タブリズに向かいながらも、色の薄い瞳はまだサバンナを見つめているようだった。
瑞樹にとって幸いなことに人員交代用の飛行機は昼間も遅く十五時発で、それまでの時間を寝て過ごそうが、動物を追って目を赤くしていようが自由だったのだ。
だが存分にナイトサファリを愉しんだとはいえサバンナは広大で、瑞樹にとっては幾ら見ても飽きることのない夢の大地なのだろう。去りがたい気持ちは分からないでもない。
そう思いながら京哉は隣の霧島の横顔を眺めている。霧島は窓外に浮かぶ白い雲を見つめていた。涼しいポーカーフェイスはあちこちの怪我の痛みを感じさせない。
まもなくアナウンスが入ってタブリズ国際空港への到着を知らせる。
人員輸送のビジネスジェットは無事にタブリズ国際空港に着陸し、三人はアール島の研究所員や監視局員たちに続いて小型機のタラップドアに足を掛けた。
「あ、そういえば雪だったんでしたっけ」
「前より酷い吹雪だぞ、これは」
「急がなきゃ凍っちゃうよ、冗談抜きで」
時刻は十八時だが分厚い雲に遮られて陽光など届かない。お蔭で感覚的にはすっかり夜で、ライトに照らし出された雪粒だけがくっきりと見える。それが襲いかかるように吹き付けてくるのだ。あっという間にタラップドアにも雪が積もり、皆が足元を濡らしながらターミナルビルへと向かってくれる迎えのマイクロバスに乗り込んだ。
ヒータの有難さを味わいながらシートに収まると、プログラミングで動くらしいマイクロバスは発車し低速で走り出す。窓外を京哉は透かし見たが、雪の白さばかりが輝いてよく見えない。と、マイクロバスが急に身を沈ませるように停止した。他の便の客も乗せるのかと思ったが、見回すも窓外に航空機は影も形もない。
いつまで経っても動かないバスに乗客がざわめきだす。心なしか寒くなったような気がして京哉はスーツの前ボタンをきっちりと留めた。ヒータも切れてしまったようだ。一応運転手もいたが、焦った風に携帯ばかりを相手にしていて話にならない。そのうち乗客も問題解決に乗り出した。まずは計器をチェックする。
「だめだ、バッテリが落ちてるぞ」
知識のあるらしい乗客が大声で現状報告をし、それに対し他の客も大声で返した。
「もう一台、バスを寄越して貰えないのかしら?」
応えたのは雪まみれになってやってきた空港管理事務所の人間だった。雪の中を歩いてきたらしいその男は、マイクロバスのドアを開けるなり甲高い声で喋り出す。
「ええー、ご迷惑をおかけします。バスの自動運転プログラムにバグがあったようでシステムが復旧するまで少々時間を要します。ええー、誠に申し訳ありませんが、ターミナルビルまで皆さんに徒歩移動をお願いしたいと思います」
不安を孕んだざわめきは一気に不満の声に変わった。当然の反応とも云えた。外は猛吹雪、そして乗っているのはサバンナからやってきた軽装の人間なのだ。
「代わりのバスはないのか?」
「すみません、全面的なシステムエラーで稼動できません」
「じゃあどんな車でもいいから出してよ!」
「ええー、誠に言いづらいのですが空港管理の全ての車両にシステムエラーが……」
これは結構な事態らしいと京哉は霧島と顔を見合わせた。
「何か大変な時に行き合っちゃったみたいですね」
「全くだな。だがこのまま座っていても凍えるだけだぞ」
「びしょ濡れになるのは必至みたいだなあ」
外を眺めて瑞樹が憂鬱そうに溜息をつく。
「仕方あるまい。それならさっさと出よう」
乗客と空港管理事務所員が埒の明かないやり取りをしているうちに、車内は随分と冷え込んできていた。霧島の言う通りこのまま座っていても凍えるだけだ。
席を立った霧島に続いて京哉もショルダーバッグを手にして立ち上がる。霧島はアームホルダーから腕を抜くとスーツのジャケットを脱いで一番薄着の瑞樹の肩に掛けた。
「これでも羽織っていろ。多少はマシだろう」
「えっ、いいよ、そんな。悪いから」
「いいから着ていろ。風邪でも引かれる方が厄介だ」
「ごめんなさい、ありがとう。懐かしいな、その言い方」
色々と想像を巡らせてしまったのは一瞬、だが京哉は意識して思考を断ち切ると、霧島と瑞樹に続いて通路を歩き、空港管理事務所員の脇を抜けて外に降り立った。
「うーん、寒い。鉄面皮の誰かさんは実際、そんな格好で寒くないんですか?」
「私はカロリーの燃焼効率がいいんだ」
「確かにお昼も二度並びで二人分食べて、僕は他人のふりするのが大変でしたけど」
「昨日の分を取り戻しただけだ。それより真っ直ぐ歩いてもいいのだろうな?」
「飛行機に轢かれてぺっちゃんこですか? こっち側に滑走路はなかった筈です。それより僕が先に行きますよ。忍さんは腕吊っててバランス取りづらいでしょう?」
「これくらいは何でもない。薄っぺらなお前は吹雪に飛ばされそうだからな」
そう言った霧島は京哉の咎める目に気付かぬふりで、アームホルダーから左腕を抜いたまま歩き出してしまう。
本来なら空港事務所員が誘導を務めるのだろうが、たった一人が問答中では仕方ない。車両全てのシステムが落ちたとなれば、空港サイドは大混乱の最中であることは想像に難くなかった。
誘導にも人員をあまり割くことができないのだろう。
少し淋しげに響いた呟きを霧島と京哉は耳に留めていたが、夢のような時の余韻に浸る瑞樹を邪魔しない。ビジネスジェットのシートに凭れてユラルト王国の首都タブリズに向かいながらも、色の薄い瞳はまだサバンナを見つめているようだった。
瑞樹にとって幸いなことに人員交代用の飛行機は昼間も遅く十五時発で、それまでの時間を寝て過ごそうが、動物を追って目を赤くしていようが自由だったのだ。
だが存分にナイトサファリを愉しんだとはいえサバンナは広大で、瑞樹にとっては幾ら見ても飽きることのない夢の大地なのだろう。去りがたい気持ちは分からないでもない。
そう思いながら京哉は隣の霧島の横顔を眺めている。霧島は窓外に浮かぶ白い雲を見つめていた。涼しいポーカーフェイスはあちこちの怪我の痛みを感じさせない。
まもなくアナウンスが入ってタブリズ国際空港への到着を知らせる。
人員輸送のビジネスジェットは無事にタブリズ国際空港に着陸し、三人はアール島の研究所員や監視局員たちに続いて小型機のタラップドアに足を掛けた。
「あ、そういえば雪だったんでしたっけ」
「前より酷い吹雪だぞ、これは」
「急がなきゃ凍っちゃうよ、冗談抜きで」
時刻は十八時だが分厚い雲に遮られて陽光など届かない。お蔭で感覚的にはすっかり夜で、ライトに照らし出された雪粒だけがくっきりと見える。それが襲いかかるように吹き付けてくるのだ。あっという間にタラップドアにも雪が積もり、皆が足元を濡らしながらターミナルビルへと向かってくれる迎えのマイクロバスに乗り込んだ。
ヒータの有難さを味わいながらシートに収まると、プログラミングで動くらしいマイクロバスは発車し低速で走り出す。窓外を京哉は透かし見たが、雪の白さばかりが輝いてよく見えない。と、マイクロバスが急に身を沈ませるように停止した。他の便の客も乗せるのかと思ったが、見回すも窓外に航空機は影も形もない。
いつまで経っても動かないバスに乗客がざわめきだす。心なしか寒くなったような気がして京哉はスーツの前ボタンをきっちりと留めた。ヒータも切れてしまったようだ。一応運転手もいたが、焦った風に携帯ばかりを相手にしていて話にならない。そのうち乗客も問題解決に乗り出した。まずは計器をチェックする。
「だめだ、バッテリが落ちてるぞ」
知識のあるらしい乗客が大声で現状報告をし、それに対し他の客も大声で返した。
「もう一台、バスを寄越して貰えないのかしら?」
応えたのは雪まみれになってやってきた空港管理事務所の人間だった。雪の中を歩いてきたらしいその男は、マイクロバスのドアを開けるなり甲高い声で喋り出す。
「ええー、ご迷惑をおかけします。バスの自動運転プログラムにバグがあったようでシステムが復旧するまで少々時間を要します。ええー、誠に申し訳ありませんが、ターミナルビルまで皆さんに徒歩移動をお願いしたいと思います」
不安を孕んだざわめきは一気に不満の声に変わった。当然の反応とも云えた。外は猛吹雪、そして乗っているのはサバンナからやってきた軽装の人間なのだ。
「代わりのバスはないのか?」
「すみません、全面的なシステムエラーで稼動できません」
「じゃあどんな車でもいいから出してよ!」
「ええー、誠に言いづらいのですが空港管理の全ての車両にシステムエラーが……」
これは結構な事態らしいと京哉は霧島と顔を見合わせた。
「何か大変な時に行き合っちゃったみたいですね」
「全くだな。だがこのまま座っていても凍えるだけだぞ」
「びしょ濡れになるのは必至みたいだなあ」
外を眺めて瑞樹が憂鬱そうに溜息をつく。
「仕方あるまい。それならさっさと出よう」
乗客と空港管理事務所員が埒の明かないやり取りをしているうちに、車内は随分と冷え込んできていた。霧島の言う通りこのまま座っていても凍えるだけだ。
席を立った霧島に続いて京哉もショルダーバッグを手にして立ち上がる。霧島はアームホルダーから腕を抜くとスーツのジャケットを脱いで一番薄着の瑞樹の肩に掛けた。
「これでも羽織っていろ。多少はマシだろう」
「えっ、いいよ、そんな。悪いから」
「いいから着ていろ。風邪でも引かれる方が厄介だ」
「ごめんなさい、ありがとう。懐かしいな、その言い方」
色々と想像を巡らせてしまったのは一瞬、だが京哉は意識して思考を断ち切ると、霧島と瑞樹に続いて通路を歩き、空港管理事務所員の脇を抜けて外に降り立った。
「うーん、寒い。鉄面皮の誰かさんは実際、そんな格好で寒くないんですか?」
「私はカロリーの燃焼効率がいいんだ」
「確かにお昼も二度並びで二人分食べて、僕は他人のふりするのが大変でしたけど」
「昨日の分を取り戻しただけだ。それより真っ直ぐ歩いてもいいのだろうな?」
「飛行機に轢かれてぺっちゃんこですか? こっち側に滑走路はなかった筈です。それより僕が先に行きますよ。忍さんは腕吊っててバランス取りづらいでしょう?」
「これくらいは何でもない。薄っぺらなお前は吹雪に飛ばされそうだからな」
そう言った霧島は京哉の咎める目に気付かぬふりで、アームホルダーから左腕を抜いたまま歩き出してしまう。
本来なら空港事務所員が誘導を務めるのだろうが、たった一人が問答中では仕方ない。車両全てのシステムが落ちたとなれば、空港サイドは大混乱の最中であることは想像に難くなかった。
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