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第53話・.408Chey-Tacがやたらと好きだ

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「えらく淋しいな、客の一人もいねぇとは」
「借金の抵当として押さえただけで、今は営業していないからな」

 広い広い射場自体は射座が二十もある立派なもので、遙か向こう側は山肌を削り取って黄色い土砂が剥き出しになった崖になっている。フォードによるとニキロ半以上の距離まで撃ち込めるということだった。
 山が遮るのか、やや寒風が穏やかなのは有難かった。それでも寒いのには変わりなく、シドは対衝撃ジャケットの前を閉じ、意識して躰から不要な力を抜いた。

 一方のハイファは寒さを感じるどころではないらしい。
 同行してきた若い男が電源を入れたらしく、射座に板張りの標的が立ち上がった。ホロ・ターゲットではないが、ハイファは文句もないようだ。

 若い男がユニット建築の小屋から弾薬箱や雑毛布を抱えて出てきた。まずは雑毛布を敷いた上でハイファがミリアットを迷いのない手つきで組み上げる。シドは弾薬箱に入っていた高性能レーザースコープを手にして、ここではスポッタという女房役だ。

 スポッタはスナイパーにシューティング以外のことを考えさせないようアシストする。集中するスナイパーの護衛でもあり、スナイパーが故障した際のスペアでもあった。
 本来はスナイパーよりスポッタの方が経験豊富で権限も上である。つまりスポッタの指示にスナイパーは絶対に従わねばならないのだが、スナイプを成功させる腕を持つのがハイファのみのこの状況でシドがスポッタをするのは自然な流れだった。これまでも二人はこうして任務を遂行してきたのだ。

 ハイファの集中を損なわないよう、もうシドも余計な口は利かない。高性能レーザースコープに搭載された機器に表示される緯度・経度・標高、風向・風速・温度・湿度・気圧などを、低く通る声で読み上げていく。ハイファはリモータに入れてある弾道計算ソフトにそれらを打ち込み、結果を見て満足げに頷いた。

 経験からくる自分の勘と計算上の数値が殆ど一致したらしい。

 .408チェイタック弾、つまりゼロ、コンマ以下408インチ口径という意味で、直径約一センチの弾丸を撃ち出す訳だ。弾薬をマガジンに満タンの九発詰めてシドはハイファに手渡す。ハイファはマガジンをミリアットM800エレガⅢSPに叩き込み、ボルトを素早く引いてチャンバに装填した。もう一度マガジンを抜き、減った一発を足してフルロードにする。

 これだけの重い銃だ、当然ながらハイファは伏射姿勢を取った。
 まずはバイポッドという二脚を立ててミリアットを地面に置く。

 うつ伏せで真っ直ぐ投げ出した軸足は銃身バレルの延長上より僅か左、左足は開いてそこから更に斜めに角度を取って力を抜いた。両肘をついて上体を起こし、銃の台尻を肩付けすると両手とバイポッドで保持する。右手は銃機関部に添わせ、人差し指をトリガに掛けた。伸ばした左手でバレルカヴァーの中程を下から巻き込むように握り込み、強く銃を右肩に押しつける。

 バイポッドを使用しているものの、両手で支えた銃は途轍もなく重い。対物ライフルということもあるが、銃が重いのは仕方ない。軽いと撃発時の衝撃で射手が後方に吹っ飛ばされてしまうからだ。限度はあるが狙撃銃は重ければ重いほど安定し当たりやすくなる。

 付属のスコープのアイピースを若草色の瞳が覗き込んだ。

「ユーリー、何メートルからだ?」
「一キロ半で零点規正する」
「一キロ半、コピー。けど遠すぎやしねぇか?」
「ふふん、まあ見ててよ」

 手元のパネルでシドは標的システムを操作、人型の描かれたターゲットの板を千五百メートルにセットした。既に肉眼では見えないくらい小さい標的をシドはスコープで捉える。
 呼吸を心音に合わせて数秒、ハイファが初弾を放った。銃口が吐いた火炎、いわゆるマズルフラッシュは結構派手で撃発音もかなり大きかった。続けて三射まで撃ち込む。

「オールヒット。だがハートショットにしてはやや右だな」

 レーザースコープを渡してやるとハイファは成果を確認し、また弾をフルロードにした。

「もう一度、この距離でやらせて。そこからあとは百刻みでいく」
「ラジャー、ユーリー」

 再びの三射でオールヘッドショットを決めたのはさすがだった。
 銃のクセを掴みつつ、クリックと呼ばれる照準器のダイアルをどの距離ならどう調整するのか躰で覚えながら、二千七百メートルまでをハイファは見事にクリアする。
 三千メートルクラスに挑戦したくても標的が二千七百までしかなかったのだ。

「いや、これは驚いたな。意外に怖い人だったようだ」

 ずっとスコープで見ていたフォードが乾いた拍手でハイファを称えた。
 ユニット建築の小屋に入り、ミリアットを丁寧に分解掃除するハイファにシドがいう。

「音もデカいし、マズルフラッシュが半端じゃなかったな」
「まあね。サウンドサプレッサーも付いてないし、夜間の静かな場所だとすぐに通報されちゃうかもね。でもこの有効射程は今回最大の魅力だよ」

「じゃあ、昼間にやるのか?」
「ううん、与党幹部たちは昼間ずっと繊維工場巡りだからね、時間も流動的だし。せっかく一泊してくれるんだからホテルを狙おうと思ってる」

 納得するまで手入れをした銃をハイファはケースに収め、シドは弾薬を十発とレーザースコープを担いできたショルダーバッグに入れた。ターゲットは唯一人、一応フルロードで十発分を確保したが、これを全て使うようでは任務は失敗する。

「フォード、あんたのヤサに余裕はあるか?」
「あの武器庫の並びでよければな」

 こんな銃を持って普通のホテルには泊まれない。マフィアのお世話になるしかなかった。
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