交換条件~Barter.1~

志賀雅基

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第8話

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 ゆっくり食しながら雑談をしていると次元の違う生き物という先入観はいつしか払拭され、階級を離れた霧島忍という人物は非常に付き合いやすい男だというのが分かってきた。

 多少風変わりなのはお互い様で未来のレールを他人に敷かれた者同士、このままラフな付き合いを続けたいと、珍しくもそう願う相手に出会えた昂揚を確かに京哉は感じる。

 生来の鷹揚さで暢気に考えながら海苔弁当の魚のフライを咀嚼し呑み込むと、おもむろに京哉は箸を伸ばして霧島の弁当の赤いウインナーを横取りしようとした。

 霧島はその手に容赦なく割り箸を突き刺す。

「痛たた! いいじゃないですか、ウインナーの一本くらい」
「少額でも横領だ。いや、窃盗か。捜三の世話になるか?」
「なる訳ないでしょう」
「ならば私の世話になれ。添い寝で腕枕に決定だ、巡査部長」
「ちょっ、パワハラじゃないですか!」
「パワハラではない。単純に警察という階級社会における教育的指導だ」
「ウインナー一本で何を言ってるんですか。大体僕だって霧島カンパニーの秘密を握っているんですからね。図に乗らないで下さいよ、警視殿」

 あらかたの食料を食い尽くしてしまうと、京哉は食後のコーヒーを飲みつつ煙草を吸った。だがそれも一本だけでベッドに追いやられる。現逮したマル被が逃げないよう寝ている間に霧島はバスルームを使うつもりらしい。

 キッチリ被せられた毛布の中で京哉は思い出したように襲いきた寒気と戦う。文字通り歯の根も合わない状態で目を瞑ったが、眠りなど訪れる気配は微塵もなかった。

 そうしていると自分が撃った惨憺たる有様が浮かんでくるのも毎度のことだ。

 どう足掻こうと大概は暫く消えてくれないが、それをこさえたのは自分だから仕方ない。実際この五年間は本番で発射した弾数がそのままキルカウンター状態だ。
 
 知れば誰もが認める才能を活かしているだけで、つまりは在るべくして今の位置にいる。スナイパーじゃなかったら、なんて仮定は無意味だ。

 世の中にはソシオパスと分類される人々がいる。ある統計では全体の僅か二パーセントだった少数派の彼らは、必要な場面に出くわせば抵抗なく人を殺せるらしい。
 
 けれど自分は彼らとも違う。必要な殺人なんかしていないからだ。自分に不必要な殺人を重ねて平気な何か。心も痛まない、ただ寒いだけ。

 身を震わせていると、そこに霧島がバスルームから出てきて眉をひそめる。

「おい、京哉。顔が真っ白だぞ。医者に行くか呼ぶか、どちらか選べ」
「どっちも要りません。大抵酒を飲んで目が覚めたら治ってるんですから」
「それは気絶するまで飲んでいるだけじゃないのか?」
「あまり強くないんで、お手軽かつ経済的ですよ」
「感心せんな。何なら真城署管内の病院に行くか? それなら抵抗がないだろう」
「有難いですが結構です。ベッドが変わるだけで状況は変わりませんので」

 解熱剤を飲もうが注射を打とうが効かず、時間が経たなければ熱は下がらないのを承知していて、強硬に主張すると霧島は顔を曇らせたまま溜息をついてみせる。そして思いも寄らぬことを口にした。

「スナイプの後遺症……心的外傷後ストレス障害、PTSDか」

 ほんの微かな呟きだったが聞き留めた京哉は吸い込んだ息を止める。何故だか分からないが反論が大量に胸に渦巻いて憎しみと錯覚するくらい高まり、霧島に叩き返したい衝動に駆られたが、それこそ筋違いというものだ。

 静かに息を吐いて自分を宥めた京哉は眠りかけたふりをする。身を縮めて震えながら目を瞑り毛布を握り締めていた。すると声もなく霧島が近づく気配がして毛布を掴んだ右手にそっと触れられる。
 
 ゆっくりと毛布を離すと手を持ち上げられた。すぐに温かいものが指に巻きつく。

 それは間違いなく舌だった。

 気付くと同時に京哉は驚いてビクリと身を揺らしたが、手は引っ込めなかった。

 トリガフィンガーの右人差し指に柔らかく巻きついた舌は、まるで温かさを分け与えるかのように優しく舐めねぶっている。そのまま息を殺すこと数秒、唐突に京哉は堪らなくなって毛布を蹴り除け、霧島の腰に抱きついていた。

 逞しい躰に縋るようにして震え声を出す。

「やっぱり、添い寝で腕枕っていうの、アリですか?」
「いつでも受付中だが、いったいどういう心境の変化だ?」
「変化も何も雪山遭難と同じです。毛布や酒よりも、ずっと暖かそうな気がして」
「そうか、分かった。熱くしてやる」


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