交換条件~Barter.1~

志賀雅基

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第21話

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 靴を履いて出るとキィロックして石井警視正と西山警部のあとについて行く。公園の前には覆面ではなくしっかりパトカーが待ち受けていた。

 だがドライバーはおらず西山警部が自ら運転するようだ。それに石井警視正も前の助手席に腰掛ける。流れで京哉は後部座席に独り座ったが、被疑者を連行するのにこれはセオリー違反だ。通常捜査員の片方は被疑者と共に後部に乗るべきである。

 しかし京哉は自分が逮捕されるのだという予想をまだ捨ててはいなかった。

 サツカンがスナイパーで県警本部を狙撃した事実など、うっかり表沙汰にはできない。外堀をきっちり埋めてからメディア発表するため、まずは身柄ガラだけ密かに押さえておくのだろう。

 それらを知る者はごく僅かの筈だ。喩え鉄壁の保秘を誇る公安であっても今回に限っては蚊帳の外、前に座った二人も事実を知らされていないに違いない――。

 グルグルと考えている間にパトカーは走り出していたが、緊急音も鳴らさず静かなものだった。前の二人はのんびりと貝崎市での海釣りの話に熱中している。

 時間的に道は空いていたが、それでも県警本部までは一時間近くを要した。

 京哉が破壊した石畳をガチャガチャ踏んでパトカーは正面エントランスの車寄せに滑り込み停止する。降車して京哉は二人に続き県警本部庁舎に足を踏み入れた。

 基本的に交代勤務でもこの時間はさすがに職員も少ない。おまけに建物は広いだけが取り柄の古臭い代物だ。高い天井から下がった妙にデコラティヴな照明器具が発する明かりも煤けたように照度が足らず、非常に淋しい空間を京哉は黙って歩く。

 この分じゃあ留置場の造りも推して知るべしだなあと思いながら。

 けれどエレベーターに乗せられ、石井警視正が十六階建ての最上階のボタンを押すと、京哉の興味もようやく留置場から逸れる。パレード警備の際などに二度ほど入った経験のあるこの建物だが、最上階までは上がったことがなかったからだ。

 大体そんな見晴らしのいい特等席に留置場なんか、まず作らない。 

「あのう、何処に行くのか教えて貰えないんでしょうか?」
「取り敢えず総務部の秘書室です」
「秘書室、ですか?」
「ええ。しかしその先は我々も知る必要のないことですから」

 割り切りも良くパキパキ言うと石井警視正はドアの方を向いてしまう。やはり彼らは何も知らされていない。再び京哉は留置場の居心地に関心を寄せる。そして十六階でエレベーターを降り、廊下を辿って上級者は一枚のドアの前で立ち止まった。

 石井警視正がそのドアをノックし、張りのある声を掛けた。

「警備部・石井警視正以下三名、入ります」

 古風な金メッキのドアノブを引くと中は意外と普通の事務所である。狭いのは奥にミニキッチンがあるからだ。来客に茶を出すための設備だろう。だがこの時間はお茶汲み係も見当たらず、警視の階級章を着けた制服の男が一人残っているだけだった。

 制服男は愛想良く上級者の石井警視正を労っている。

 その様子を眺めていた京哉はふいに思い出した。制服男の顔に見覚えがあったのだ。パレード警備で県警本部長が訓辞を垂れた時、横に控えていた秘書官である。
 秘書室なのだから秘書官がいるのは当然なのだが、京哉は自分がそんな人種と関わり合いになるとは露ほども思っていなかったので咄嗟に気付けなかったのだ。

 気付くと同時に非常に嫌な予感が湧き起こった。石井警視正と西山警部は固まった京哉の肩を両側からフレンドリーに叩いてさっさと去ってしまう。
 その間に秘書官は何処かと警電で短く通話し、京哉が到着したのを伝えていた。

「では、こちらへどうぞ」

 所轄の平刑事にまで愛想のいい秘書官に案内されたのは隣の部屋で、小口径弾くらいなら防げそうな大きな天然木一枚板のドアの上には『県警本部長室』なるプレートが貼られていた。ノックした秘書官はドアを開け、にこやかに京哉を促す。

 ここまで来たら仕方ない。京哉は息を吸い込むと腹に力を入れて声を出した。

「真城署刑事課・鳴海巡査部長、入ります!」

 背後でドアが閉められ、退路を断たれた気分で紺色のカーペットに踏み出す。室内には制服を着用した三名の男がいて応接セットのソファに座していた。

「ああ、待っておったんだ。こっちに来て座ってくれたまえ」

 部屋の主で県下の警察官のトップに君臨する県警本部長・斉藤さいとう警視監がラフに声を掛けてくれたが、じつに六階級も上の雲上人を前に京哉は緊張せざるを得ない。手振りでも勧められ、斉藤警視監の向かいの独り掛けソファにギクシャクと腰掛ける。

 するとソファは思ったより柔らかく、埋もれないよう姿勢を保つにはここでも腹に力を入れるしかなく、何故こんな所で腹筋運動なんぞしているのか非常に謎だった。

 座り方にコツでもあるのかと思い、残りの二人を見ると警視長の階級章を着けている。警視監の一階級下で県警本部内なら部長級だが、見覚えのない顔で何者だか分からない。分からないが知ってどうなるものでもなかった。

 そこでドアが開いて秘書官殿がトレイに茶器を載せてきた。京哉の前に上等な香りの漂うコーヒーが置かれ、他の三人の茶器も新しいものと入れ替えられる。

「秘書官の淹れるコーヒーはちょっとしたものだ。まあ、飲んでみてくれ」
「はい、では頂きます」

 本当はコーヒーなど飲んでしまうと喫煙欲求が高まるので遠慮したかったが、どうにも間が持たないのでカップを持ち上げ口をつけた。だが緊張で殆ど味覚は機能していない。これなら自分の部屋で飲む缶コーヒーの方がマシだった。

 どうしてこんな面子で茶を飲まねばならないのか全く分からず、液体表面に目を落としていると暫し京哉に視線を注いでいた斉藤本部長がいきなり切り出した。

「鳴海くん、キミは千八百メートルクラスの狙撃が可能かね?」

 一気に警戒心が湧いて京哉は斉藤本部長を凝視する。本部長は京哉を安堵させるためなのか頬に笑みを浮かべていたが京哉も簡単に手札を晒さない。

「いったい何のお話でしょうか、おっしゃる意味が分からないんですけど」
「誤魔化さなくていい。現場のキミたち流に言えば『ネタは挙がっている』のだよ。キミがこの五年間、暗殺に従事してきた事実はここにいる皆が知っている。それにここでの話は全て我々の胸のうちに収められるからね。心配は要らん、答えたまえ」

 バレているなら話を長引かせるだけ無駄、見切りも早く京哉は対応を変えた。

「使用する銃と条件にも依ります」
「ビルからビルを狙って欲しい。使用可能な銃は……何といったかな?」
「米国のバレット・ファイアアームズ社製バレットⅩM500です」

 よどみなく答えたのは所属不明の警視長の片割れだった。米軍でも本格導入されていないⅩナンバー、つまり試作品プロトタイプのアンチ・マテリアル・ライフルを提示されて京哉は内心驚いていたが、今問題にすべき点はそこではない。
 どうやら自分はまた狙撃させられるらしいが、県警本部長室で暗殺の相談というのは異常だろう。

 沈黙と上級者たちの視線に負け、まずは分かり切っている辺りを訊いてみた。


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