交換条件~Barter.1~

志賀雅基

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第24話

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「でも、あーあ。いっそすがすがしいくらい、絶望させられたよなあ――」

 呟いてまた考える。最初から誤った道に踏み込んでしまい、何処までも正道を外れ遠ざかってしまった自分はいったいどうすれば良かったのか。叩いて何も出ない清廉潔白な人間から正論をぶちかまされて、返す言葉もない人間も存在するのだ。 

 そんな自分はこの五年間、プライドだけを恃みに己を保ってきた。鳴海京哉の心を護ってくれる固い殻。他には何もない。偽物でも必要だったのだ。

 それが笑えるほど呆気なく粉砕された。

 護る殻を失った自分は人間の形を保っていられない幽霊みたいだと思う。

 喪失感を抱えて歩いていると、身に付いた目立たない足取りで人々の間をすり抜けてゆく自分はまさに透明な幽霊だ。この五年間ずっと意図して人に混じらないよう過ごしてきたが、今に限って幽霊の自分は人々に混ざれないのだと思わせられた。

 たった一人から拒否されただけなのに、世界から弾き出された気分だった。

 冷たい風に押されるまま夜空を見上げる。
 ビルの窓明かりが賑やかすぎ、光害で星は殆ど見えないが、四角い高層建築に切り取られた夜空には青みを帯びた丸い月が出ていた。あれを車の中から霧島と眺めたのが昨夜のこととは思えないくらい、昨日と今日は大きく隔たってしまった。

 あの力強い腕と逞しい胸がもう懐かしい。
 そこでハッとする。

 ブレナムブーケと混じった霧島の匂いがしたのだ。慌てて周囲を見回したが霧島がいる訳もない。もしかして買って貰ったスーツについた移り香かと、立ち止まり我が身を撫で回してみる。そうして見つけたのはポケットチーフだった。

 おそらく京哉は平均値より何倍も匂いに敏感だが、あれからこのスーツを着たのは初めてだったのと、逮捕・勾留だの本部長との会談だのに気を取られ、内ポケットの底に押し込まれた小さなチーフに気が付かなかった。

 いや、上質のシルクらしいシルバーブルーのごく薄いチーフは匂いも本当に微かで、京哉でなければ気付けなかったに違いない。ふちに紺色の糸で『S・K』のイニシャル。

 何を思って霧島がこれを入れたのかは分からない。

 ごく微かな匂いが風に攫われ消えてしまいそうだったのと、いつまでも匂いを嗅いでいたら周囲に変態扱いされそうで、丁寧に折り畳むと元通り内ポケットに収めた。

 再び歩き始めたが今度はより鮮やかな霧島に思考を奪われた。

 脳内で匂いを感じる部位は記憶野と非常に近い場所にあるため、匂いは記憶を喚起しやすいと聞いたことがある。今の京哉がまさにその通りで、霧島の肌の感触や温もりまでも甦らせてしまい情けなくも切なくなった。

 けれど車の中でナニまでしておいて、あの拒否は酷すぎるんじゃないかと徐々に腹を立て始める。大体きっかけは霧島のテロ的キスだったのだ。
 それだって『誰でも良かった』という失礼極まりない話である。

 偶然拾ったが気に食わなくなったから捨てるとは、やっぱり最悪のタラシ野郎だと、翻弄された自分にまで怒りを覚えた。

 怒りに任せて闇雲に歩き続け、バス停三区間目を通り過ぎる。
 だが殆ど丸一日何も食べていない躰が保たない気がして、次の停留所で素直にベンチに座るとバスを待った。それに自分が歩き続けたって霧島は痛くも痒くもないという当たり前のことに気付き、いったい何をしていたのかと首を捻る。

 バスに乗り込み官舎近くで降りると真夜中近かった。

 今度こそコンビニに寄って弁当やスナック菓子にビールやウィスキーまで仕入れる。レジで煙草も追加して貰い、かなりの大荷物を手に官舎の部屋に戻った。

 部屋着に着替えたが、自然とスーツからポケットチーフを取り出す自分がいて溜息だ。チーフをしまい直し、侘しくも弁当のおかずを肴に飲み始める。そういえば霧島が飲んでいるのを見たことはないが、今度一緒に……などと思いかけて笑った。

「霧島、霧島、霧島って、そっちこそふざけんなよ!」

 叫ぶなり缶ビール二本とコップ半分のウィスキーでお手軽に酔っ払った京哉は、その場にドサリと倒れて眠りに落ちた。

◇◇◇◇

 昼近くにやっと起き出した京哉は二日酔い気味の頭を振ってキッチンに行き、水道水をがぶ飲みして部屋で煙草を咥えると何となくTVを点けた。
 そこで始まった地方局のトップニュースに目を見開く。

《本日未明、白藤市内で男が銃を乱射し、近くを警邏していて駆けつけた県警機動捜査隊の警視と巡査長の二名が撃たれて軽傷を負いました。男はその場で逮捕されましたが検査で薬物中毒と判明しており、現在も意味不明な言動を繰り返して――》

 途端に跳ね回り出した心臓を京哉は宥める。軽傷と伝えていた。それに職務上あってもおかしくない事件である。暗殺肯定派のタカ派が仕組んで動き出したと決まった訳ではない。まずは脅しから始めたのかとも思ったがマル被は現逮されているのだ。
 冷静に考えたら暗殺肯定派のタカ派が雇ったヒットマンがヤク中とはお粗末すぎた。

 それでも無意識にまだ長い煙草を消し立ち上がっていて、何処に行こうとしていたのか自分でも分からなくなり床に座り直す。あちこちTVの局を変えてみた。ネット検索もしたが最初のニュース以上の情報は得られない。

 せめて電話かメールでもしてみようかと思ったが、あんな勢いで拒否された自分は霧島と決別したも同然である。未練たらしく電話して即切りされるのも情けない。メールは文面を練っている間に心が折れてしまった。

 だが一度は諦めた夕方、またニュースで、

《真城市内で自家用車に大型トラックが追突、乗っていた警察官は軽傷》

 なる報道がなされ、確実に廃車決定の領域まで潰れた白いセダンを見ると思い切り不安になった。もう居ても立っても居られなくなり霧島の携帯にコールする。

 しかし聞こえたのは低い声ではなく《おかけになった電話は電波が届かないか、電源が入っていない――》という女性のアナウンスだった。続く事件で酷使した携帯がバッテリ切れなのかも知れない。

 とにかくあからさまに着信拒否はされていないようで一旦気抜けしたが、冷たい手で腹を撫でられているような不安は払拭されない。

 そこまできてようやく自分の職場を思い出す。追突事故は交通課の領分だが乱射事件は白藤署刑事課の扱いだ。所轄の刑事課同士で何か情報が入っているかも知れないと考え、デカ部屋にコールしてみる。前原のデスクから一番遠い外線を選ぶのも忘れない。

 すると幸いと言うべきか、外線に出たのは江波課長だった。


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