交換条件~Barter.1~

志賀雅基

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第23話

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 溜息を洩らしていると斉藤本部長は薄笑いを浮かべ、やや声を和らげた。

「もうひとつ、おそらくキミにとっては重要な情報をあげよう。霧島警視は暗殺肯定派と反対派の両方から要注意人物と目されている」
「要注意とは何故ですか?」

 斉藤本部長は口元の笑いを深くする。

「一言で表せば『目障り』。霧島警視は派手に動きすぎたのだよ。暗殺肯定派あっての暗殺反対派だからね、どちらも存在が明るみに出てはならないのは同じだ。しかし霧島警視は何れの派閥にも属さず無闇に動いている、自身がどれだけ目立つ存在かを念頭にも置かずにね。そして昨今はメディアの鼻も利く」
「動きをメディアに掴まれたら……掴まれる前に、まさか?」

 本部長の肯定の意を見て京哉は再び心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じる。ただの脅しと思いつつ本部長が頭を振って「気の毒に」などと取って付けると、京哉の口調は思わず押し殺したものになった。

「まさか、霧島カンパニーの御曹司が暗殺肯定派に殺されたりしないでしょう?」
「鳴海くん、それは甘い。何もかも白日の下に晒され企業体として存亡の危機に直面するリスクより、霧島カンパニーは『凶弾に斃れた御曹司』なる悲劇を演じる方を選ぶ。彼は霧島カンパニー次期本社社長と目されている人物だ。それ故、劇場効果も高い。民間企業は我々より冷徹だ、既に演出に動き出しているかも知れないよ」
「そうおっしゃられても一介の警察官の僕にはどうしようもありません」
「我々が依頼するのは肯定派内でもタカ派、『御曹司の死』演出に必ず噛む人物だ」

 瞬時に思考を切り替えた京哉は暫し黙る。今後、霧島がこの自分との関わり合いを絶っても遅いのだ、もう。動いた余波が残っている。例えばまだ調査を続けている筈の監察官がいた。協力を依頼したであろうキャリアの知人の存在もある。

 幾ら彼らが警察官として保秘に務めようとメディアがネタの匂いに敏感なのは本部長の言う通りだ。そんな危険を孕んだままより早々に情報源たる霧島を排除する方が確実である。関係者への効果的な脅しにもなり一石二鳥という訳だ。

 その理屈は自分がやってきた暗殺と何ら変わらない。

 今日のヘリからの狙撃でレティクルに収まった霧島を思い出す。あのままトリガを引いていたら霧島は死んでいた。それを誰かがやらない保証など何処にもない。
 現に本部長は霧島の身の安全を脅かすタカ派の存在を明らかにした。霧島を護る一番の方法は先んじて京哉が撃つことだ。そのチャンスを本部長はくれるというのだから。

 ……だが。

 京哉は自分のスーツを見下ろしたのち、真っ直ぐに斉藤本部長の目を見返す。

「申し訳ありませんが、僕はお断りします」

 誰かを介して霧島が言ってくれた、『きみはもう殺人を犯すことはない』なる伝言に京哉は揺れる心を叱咤され、身に着けた衣服からは力強い腕で抱き締められているように、県警本部長に逆らってでも己の意志を貫く力を与えられていた。
 眉間にシワを寄せて斉藤本部長が深く息をつく。

「本当にそれでいいのかね?」
「僕は一度失敗しました。近いうちに二度目の失敗をしそうな気がするんですよね」

 しれっと言ってのけた京哉に対し本部長は途端に態度を冷ややかに変えた。

「それでは今の話はなかったことにしてくれたまえ」
「ご心配なく、ここから出たら全て忘れます。ですが本部長、いえ、暗殺反対派の皆さんもお忘れなく。本当に霧島警視は何もご存じありませんから」
「ふむ。若造ながら、このわたしにバーターを持ちかけるとは胆も据わっているな。さすがは死体の山を築いてきた人殺しだ」
「何とでもおっしゃってくれて構いません。では失礼してもいいですか?」

 蠅でも追い払うような仕草をした斉藤本部長に、立ち上がった京哉は身を折り敬礼し本部長室を辞した。エレベーターで一階に降りて正面エントランスから外に出る。

 するとそこで数台の覆面パトカーが大通りに出て行くのが見えた。夜目で距離もあったが抜群の視力で最後尾の助手席に霧島が乗っているのに気付いた。
 日勤の筈の隊長殿がこんな時間まで密行警邏とは、霧島らしくて笑える。

 案外デスクワークが苦手なのかも知れないと思い口元を緩めた京哉だったが、唾棄する勢いの『逮捕する価値もない』という科白が脳裏に蘇って笑みがこわばった。

 次には霧島がレティクルの中心に捉えられている画が浮かび消えなくなる。
 どうしても拭い去れない画は、これまで自分が狙撃してきたあらゆるシチュエーションで再現された。スコープ越しに見た死者たちは残らず心に焼き付いている。その凄惨な映像記憶の顔という顔が霧島に置き換わってフラッシュバックしていた。

 酷い不安感に襲われ、今から戻って狙撃依頼を受けるか迷い始めてしまう。
 どうして意固地に断ってしまったのか。今更ではないか。霧島にはあんな風に拒絶されてしまったのだ。おそらくこの先、二度と霧島と自分の時間が重なりはしない。自分が何をしようと霧島には関係ない。あの怒りに直接触れることもないのだ。

 だったら暗殺肯定派のタカ派を一人殺すのに何の不都合があるのか――。

 頭が過熱するほど考えていたが足は勝手に動いて県警本部から遠ざかり、いつの間にか大通り沿いの歩道を歩いていた。この辺りはオフィスビルが多くこんな時間でも帰路を急ぐ人々が行き交っている。人々に紛れて歩きつつ、そのままバス停をひとつ通り過ぎながら昼間もこの道を走ったのを思い出した。

 正直これまで京哉は必ずスナイプを成功させる自分にプライドを持っていた。脅されて始めざるを得なかった殺人に対し、それは心が取った防御反応だったのかも知れない。
 
 要求された狙撃を完璧に遂行することで『アテにされ』『向いている』のだと自らに思い込ませ、可能な限り殺人に対する忌避の感情を抑え込んできたのだ。

 だがプライドを持ち、今まで一射として外さなかった自分が外した。故意とはいえ間違いなく外したのだ。しかしそこで何かを失うかと思いきや、外して却ってプライドを保てたのは自分でも驚きだった。少なくともあの時は確かにそう感じていた。

 あそこで監察官二名をスナイプし霧島に返り血を浴びせてしまっていたら、自分は二度と霧島の前に姿を見せられなかっただろう。
 そして外してなお失くさなかったプライドは、敷かれたレールから既に一歩を踏み出した自分に、何があっても後悔しない覚悟を芽吹かせていた。

 全ては霧島と出会えたお蔭に他ならない。

 だがそんなものは本物のプライドではないと霧島本人に叩き折られてしまった。
 確かにさんざん殺しておいて初めて殺さなかった自分に対し、霧島が甘い言葉を掛けてくれるのを期待したのは笑止だっただろう。
 しかし話すら通じないとは想定外だった。


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