交換条件~Barter.1~

志賀雅基

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第37話

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 翌日は夕方近くなってから中古車屋に出向いた。

 車を決めるのに外観も見えないほど暗くなっては拙い。今の京哉に可能な限りの速さで歩を進め、途中で色々ありつつもウィークリーマンションを出て三十分。

 辿り着いた中古車屋で様々な車が並んでいる中、二人はじっくりと一台一台を検分した。軽自動車や古すぎるものは省く。

 そして霧島が目を付けたのは車検が一年ほど残っている二年落ちのセダンだった。

 機捜隊長らしく霧島は店の人間に頼んでエンジンを掛けさせて貰い、あらゆる箇所を点検する。それだけでは納得できずに燃料計を確かめると店員に訊いた。

「試乗してもいいだろうか?」
「あー、夜九時閉店なんで、それまでなら構いませんよ」

 店員に路上まで車を出して貰って霧島は運転席に乗り込む。勿論京哉は助手席に収まった。二人してシートベルトをすると霧島がスムーズにセダンを出す。

「ふむ。癖もなくて、なかなかいい感じだな。あとは高速性能か……」

 呟きながらエンジン音にも耳を澄ます霧島の邪魔をしないよう、京哉は黙って年上の愛し人を見つめていた。やがて日の暮れかけた都市部を抜けてバイパスに乗る。
 十五分ほど走らせて霧島がチラリと京哉の方を窺った。

「どう思う?」
「すみませんが、性能に関しては正直、全く分かりません」

 勢い良く答えられて霧島は苦笑する。

「機捜は覆面が商売道具だぞ。お前、青免は?」

 青免とは平たく云えば警察でパトカーを運転可能とする資格だ。

「それは勿論持ってますけど、実際、最近殆ど運転していないんですよね」
「足での捜査という訳か」
「冗談抜きでその通りです。だから一緒に来ておいて何も役に立てないのは本当に申し訳ないんですけど。機捜に行ったら先輩方にしごいて貰いますから」
「この私がお前を他人と相勤あいきんさせるとでも思うのか? 隊長直々に指導だ、まずは自家用車でな。そう思って乗ると仮定してみてくれ、この車でいいかどうか。性能が分からなければ雰囲気でもいい」
「じゃあ、そうですね。貴方との距離感もいいし、塗装に傷もなかったし。また白っていうのは無難かも。中身が目立つ分バランスがいいと思います」

 揶揄した京哉だが、こんなところで奇をてらわない霧島を好ましく感じていた。それに白いセダンは二人の思い出の車と似通っていて……などと考えて少々頬を赤くし霧島を見上げる。同じことを考えたのか前を向く霧島の微笑みが優しくも甘い。

「では、これで決めるか。戻ろう」

 追い越し車線から走行車線に移るため霧島が左ウィンカーを出す。だが左から轟音を立てて大型ダンプ二台が追いつき車線を塞がれた。仕方なく霧島は更に速度を落とそうとする。
 しかし後続にも大型ダンプがいて異様に車間距離を詰めてくるのを右サイドミラーで視認。スピードを上げざるを得なくなったが、左の二台のうち一台のダンプが前方に割り込んできた。

 とっくに霧島はトラップに掛かってしまったことに気付いている。

「京哉、掴まっていろ!」

 鋭く叫ばれる前に京哉も霧島のまとった緊張感から事態を察知していた。

「今更僕ら二人を消そうなんて……心当たりがありすぎかも」

 京哉が囁く間にも白いセダンは完全に前後と左側を大型ダンプで囲まれた。右側は中央分離帯のガードレールだ。前方のダンプがブレーキランプを灯す。その赤い光と同時に京哉はドアミラーで後続のダンプが猛スピードで突っ込んでくるのも見た。

「忍さん、そっちに寄せて!」
「馬鹿言うな!」

 ガードレールに擦るほど車体を寄せれば霧島の生存確率だけは上がる。そう京哉は思い叫んだが車は直進し続けた。堪らず手を伸ばして押す。指を固めたように霧島はステアリングを切らない。車体半分で衝撃を受けたら確実に助手席は潰れる。

 二人の攻防も数秒と続けられない。前方に突っ込むのを避けてギリギリのタイミングで霧島が急ブレーキを踏んだ。踏み込みながら今度はためらいなくステアリングを離す。瞬時に自分のシートベルトを外して京哉の方に身を乗り出し覆い被さった。

「だめです、忍さんっ!」

 我が身を顧みず霧島は京哉を思い切りシートに押し付けて護り、京哉はそんな霧島の頭を抱き締めた形で、背後から迫りくるダンプの衝撃を予測し身を固くする。

 実際、衝撃はとんでもないものだった筈だが京哉には全てがスローモーションのように見えていた。覚悟するヒマもなく死ぬ時はこんなものかと妙に落ち着いて、後部座席がぐしゃぐしゃに潰れてゆくのをルームミラーで眺めていた。

 正常にものが見え出したのは随分と時間が経ってからだった。誰かが通報してくれたようで近づく緊急音を耳に捉えた京哉は我に返る。自分の指が温かな雫で濡れているのにも気付いた。暗い車内で重たいものが自分の上に乗っかっていて……。

「忍さん? えっ、嘘……忍さんっ!」

 力が抜けて動かなくなった重たい霧島を京哉は揺さぶる。本当なら何処に怪我をしているか分からないので動かさない方がいいのだ。けれどそんなことには考え及ばない。恐怖心からひたすら名を呼び揺さぶった。

「起きて下さい、忍さん! 忍さんっ!」
「うっ……くう――」
「忍さん、生きてる? 忍さん?」
「つうっ! このくらいで、死んで、堪るか」

 自分のシートベルトを外した京哉が支え起こすと霧島は頭に手をやって顔をしかめる。その時になって初めて京哉は自分の指を濡らしていたのが霧島の頭からの出血だと知り、眩暈を覚えた。

「そんな顔をするな、美人が台無しだぞ。おまけに不覚ながらこの手の『事故』に嵌められたのは二度目だからな、慣れている。大丈夫だ、問題ない」
「何処が大丈夫……大体、そんなに血が出てよく生きてますね」
「ふん。頭の怪我は軽傷でも出血量が多いからな。お前も眼鏡が割れているぞ」

 他人事のように言う男のガラスで切ったと思しき額の上を、京哉はハンカチで押さえてやる。そこにやっと現着した交通機動隊の隊員が割れた窓から顔を突っ込んできた。二人が名乗ると同じ県警本部に隊を置く交機の隊員は霧島に最敬礼する。

「あと四分ほどで救急及びレスキューも現着しますので少々お待ちを!」

 歪んだドアは幾ら蹴り飛ばしても開かず、霧島と京哉はレスキューの現着を待たずに割れた窓から這い出した。交機のヘッドライトの中で浴びたガラスを払い落とす。

 五年間も偽装で掛け続けていた伊達眼鏡と京哉はその場でサヨウナラした。

 溜息をついた二人はダンプの運転手の首を絞めに行きたかったが我慢し、京哉が携帯で中古車屋に連絡を取る一方で霧島が交機から簡単な聴取を受けた。


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