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第41話
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遅い昼食のあと、落ち着かないという京哉のリクエストで伊達眼鏡を購入し、夕方になって中古車屋に戻った。そのまま霧島は白いセダンの購入手続きをする。
納車は一週間後と言われローンの頭金のみカードで支払って店を出ると、春の夜気を吸いながら二人はウィークリーマンションへと歩き始めた。
すると街頭で女性たちが署名活動をしているのに行き合った。若い女性からビラのようなものを渡され、あっさり受け取った京哉は霧島の流し目を敢えて無視する。
「どれどれ、【県警本部機動捜査隊・霧島忍警視に下った不適正な処分の撤回を求める署名にご協力を】って、えええ、何ですかこれは?」
まさかと思い霧島も覗き込んだ。霧島本人とは思っていないらしい若い女性がボールペンと署名用の紙の載ったバインダーを二人に差し出す。京哉は署名し、名を書く訳にいかない霧島はさりげなく辞退した。再び歩きながら京哉は弾んだ声を出す。
「すごいですよね、上手くいけば忍さんのダブル懲戒も撤回かも知れませんよ」
一方で霧島は眉間にシワを寄せていた。
「警察官の政治的活動は禁止だぞ」
「堅いこと言わなくても署名くらいバレやしませんよ。それに僕は近く機捜組入りするんですから、ボスを応援するのは当然でしょう」
「私がボスか組長ならお前はチンピラか。構成員の役目を組対に訊ねておこう」
どうでも良さそうに呟いた霧島は何故か重い溜息をつく。それだけではなく心なしか長身まで屈めているのを京哉は不思議に思って眺めた。
「どうしたんですか、急に」
「お前は本当にスナイパーか?」
「元、ですけど。僕も本部長と与党政調会長が片付いていないのは覚えてますよ」
「それは有難い」
放り投げるように言って霧島は続ける。
「移動もせず長期間根城にしている目と鼻の先で若い女性が珍奇な署名活動をしているんだぞ。ネタに苦慮するメディアの格好のターゲットだろう。おまけにあの署名内容から見て私に関する警察内部情報が洩れている」
「リークされなくてもとっくに有名人、関係各所にとって広告塔じゃないですか」
「広告料が一切入ってこないんだが」
「公僕は基本副業禁止ですよ。でもいい方向に動いてるみたいだから、リークのネタ元は悪い人じゃないのかも。けど忍さんのファンが増えちゃったら嫌だなあ」
暢気すぎる発言に霧島は冷めた目を向ける。それでも京哉が口先ほど緩んでいないのを霧島は知っていた。目立たない歩調を保ちつつ、さりげなく要所に視線を投げての確認を怠っていない。
もし公安やメディアのトップ屋に追われても京哉はおそらく撒くことが可能だろう。捕まったら吊るされる生活を五年間も続けてきたのだ。
ここまで自然に緊張の糸を張り詰めたまま、五年も。
一方で何故か人目を惹いてしまう上に図体の大きい自分はどうせ隠れようもない。尤も鬱陶しいという理由以外に公安やメディアから逃げる必要もなかった。開き直って普段と同じく背筋を伸ばす。自分が引きつけて京哉を逃がすのもいい手だ。
今回の事件における根源は『立件されていない連続狙撃殺人』である。だが警察サイドは表立って連続狙撃を認知していない。立件されていないのだから当然だ。
しかしそれも『現在のところ、一応は』という但し書きがつく。
暗殺肯定派と反対派が存在したように、連続狙撃に関しても上層部の意見が割れている可能性は捨てられなかった。己の所属組織とはいえ遥か上の人間たちが何を考えているのか計り知れない。
キャリアながらまだ一警視の霧島は連続狙撃に対する警察内部での見解が本当に一枚岩なのか測りかね、疑心暗鬼に陥っているのである。
そこから自然と湧いたのが京哉をメディアに晒してはならないという発想だ。
もしスナイパーたる鳴海京哉を知る第三者が名乗り出たらその時点で破滅なのだ。
「――忍さん、どうかしましたか? 忍さん!」
「っと、何だ。大声を出すんじゃない」
「だって仮とはいえ住処に着いたのに、通り過ぎそうだったから」
「ああ、すまん。買い物して上がるか」
ウィークリーマンション一階のコンビニに立ち寄り、海苔弁当とビールを買い込んで五階角部屋に戻る。今日はガラスも硝煙も浴びていないのでスーツのまま向かい合い、二人は弁当を肴にビールを飲み始めた。
「そちらの所属長の江波警部も暗殺反対派だ。結構古株らしくてな」
「まさか課長が? でも知ってたからデカ部屋の様子が変でも黙ってたのかも」
「あの人はかつて県警本部秘書室の庶務係をやっていた頃、噂を耳にして自力で調べ上げた挙げ句、自ら反対派に身を投じたと言っていた。内情に詳しく顔も広い」
「何だか教科書で習った昔の学生運動の活動家みたいですね」
他人事のように京哉は評したが、実際に部下であっても課長のことなど知る由もない。
「ゲバ棒持って暴れるどころかまるで逆だぞ。あの通り穏やかだが中身は猛獣、それも無駄に動かず潜んで機を窺って敵の急所の喉笛に的確に食らいつく頭脳派だ」
「どうしてそこまで分かるんですか?」
「県警本部配属された直後に偶然、手合わせした。得物は竹刀。結果は聞くな」
苦い顔でビールを飲み干す霧島がどんな負けを喫したのか非常に興味が湧く。余程の手痛い目に遭わされたのは表情で分かるが、あの小柄で物静かな江波課長が猛獣と化して全国タイトル複数ホルダーの霧島に勝ったとは、にわかに信じがたかった。
期待に輝く京哉の目に粘られて霧島はしぶしぶ口を開く。
「喉を突かれて一本だ」
「ええーっ、それだけですか? 詳細プリーズ!」
「悪かったな、語れなくて。一本取られたのも知らず起きたら医務室だった」
「わあ……」
異動の意思を伝えたら特殊な事情故に真城署デカ部屋での日々は残り僅かだ。だがその間は何があろうと江波刑事課長には逆らうまいと京哉は心に決める。
「まあそういう縁で私は江波警部と知らない間柄ではない。暗殺反対派でも古株の江波警部は、今回絡んだサッチョウの監察官たちとも知り合いだ。お蔭で監察官経由、江波警部行きでここのカードキィをお前に渡して貰った」
「なあんだ、そうだったんですね。あれはずっと疑問だったんですよ」
「部下思いだな。【鳴海を壊さない程度に仲良くやってくれ】とメールも貰った」
「ちょ、待って下さい、そこまで筒抜け……思い切り恥ずかしい、どうしよう!」
「どうもせんでいい」
そこで京哉は大事なことを思い出す。
「どうしようって言ったら、本部長は間違いなくまた狙ってきますね」
「与党政調会長もな。だが大丈夫だ、心配ない」
「またその口癖を。三台目が潰されても生きてるつもりとは図々しいですよ」
「図々しくて結構だ。だがこれには根拠が……おい、そんな怖い目をするな」
目を吊り上げて睨む京哉に霧島は仰け反って見せる。しかしおどけても京哉は誤魔化されない。霧島が言った根拠、それは近いうちにケリがつくという意味である。
「だって昼間は証拠がないって言ったじゃないですか!」
「令状も取れんのは本当だ。しかしクソ親父の持つ『裏の情報網』も馬鹿にしたものではないんだ。親父の企てには必ず裏がある。裏も大概は黒。少なくとも私が知る分はそうだった。そして裏の黒に関する目論見を達するには、まず表を達することが不可欠だ」
「じゃあ、この場合の表である本部長と与党政調会長は……?」
「間違いなく親父の掛けた保険が動く。近く本部長と与党政調会長に何かが起こる。おそらく私とお前を狙っているヒマなどなくなるほどの、何かがな」
まるで私刑が行われる宣言だ。それに幾ら腹黒い霧島会長でもこれでは闇社会の元締めのようである。おまけにそれらを霧島は認知し肯定しているみたいに聞こえた。
いつもの霧島とは真逆とも思える主張を京哉はリアクションも取れず固まったまま頭の中で咀嚼し、暫く経ってやっと疑問を口に出す。
「『間違いなく』と貴方が言うなら止められないんですね。この僕が口幅ったいですが、限りなく黒に近いグレイだからって理由の殺しを貴方は許すんですか?」
納車は一週間後と言われローンの頭金のみカードで支払って店を出ると、春の夜気を吸いながら二人はウィークリーマンションへと歩き始めた。
すると街頭で女性たちが署名活動をしているのに行き合った。若い女性からビラのようなものを渡され、あっさり受け取った京哉は霧島の流し目を敢えて無視する。
「どれどれ、【県警本部機動捜査隊・霧島忍警視に下った不適正な処分の撤回を求める署名にご協力を】って、えええ、何ですかこれは?」
まさかと思い霧島も覗き込んだ。霧島本人とは思っていないらしい若い女性がボールペンと署名用の紙の載ったバインダーを二人に差し出す。京哉は署名し、名を書く訳にいかない霧島はさりげなく辞退した。再び歩きながら京哉は弾んだ声を出す。
「すごいですよね、上手くいけば忍さんのダブル懲戒も撤回かも知れませんよ」
一方で霧島は眉間にシワを寄せていた。
「警察官の政治的活動は禁止だぞ」
「堅いこと言わなくても署名くらいバレやしませんよ。それに僕は近く機捜組入りするんですから、ボスを応援するのは当然でしょう」
「私がボスか組長ならお前はチンピラか。構成員の役目を組対に訊ねておこう」
どうでも良さそうに呟いた霧島は何故か重い溜息をつく。それだけではなく心なしか長身まで屈めているのを京哉は不思議に思って眺めた。
「どうしたんですか、急に」
「お前は本当にスナイパーか?」
「元、ですけど。僕も本部長と与党政調会長が片付いていないのは覚えてますよ」
「それは有難い」
放り投げるように言って霧島は続ける。
「移動もせず長期間根城にしている目と鼻の先で若い女性が珍奇な署名活動をしているんだぞ。ネタに苦慮するメディアの格好のターゲットだろう。おまけにあの署名内容から見て私に関する警察内部情報が洩れている」
「リークされなくてもとっくに有名人、関係各所にとって広告塔じゃないですか」
「広告料が一切入ってこないんだが」
「公僕は基本副業禁止ですよ。でもいい方向に動いてるみたいだから、リークのネタ元は悪い人じゃないのかも。けど忍さんのファンが増えちゃったら嫌だなあ」
暢気すぎる発言に霧島は冷めた目を向ける。それでも京哉が口先ほど緩んでいないのを霧島は知っていた。目立たない歩調を保ちつつ、さりげなく要所に視線を投げての確認を怠っていない。
もし公安やメディアのトップ屋に追われても京哉はおそらく撒くことが可能だろう。捕まったら吊るされる生活を五年間も続けてきたのだ。
ここまで自然に緊張の糸を張り詰めたまま、五年も。
一方で何故か人目を惹いてしまう上に図体の大きい自分はどうせ隠れようもない。尤も鬱陶しいという理由以外に公安やメディアから逃げる必要もなかった。開き直って普段と同じく背筋を伸ばす。自分が引きつけて京哉を逃がすのもいい手だ。
今回の事件における根源は『立件されていない連続狙撃殺人』である。だが警察サイドは表立って連続狙撃を認知していない。立件されていないのだから当然だ。
しかしそれも『現在のところ、一応は』という但し書きがつく。
暗殺肯定派と反対派が存在したように、連続狙撃に関しても上層部の意見が割れている可能性は捨てられなかった。己の所属組織とはいえ遥か上の人間たちが何を考えているのか計り知れない。
キャリアながらまだ一警視の霧島は連続狙撃に対する警察内部での見解が本当に一枚岩なのか測りかね、疑心暗鬼に陥っているのである。
そこから自然と湧いたのが京哉をメディアに晒してはならないという発想だ。
もしスナイパーたる鳴海京哉を知る第三者が名乗り出たらその時点で破滅なのだ。
「――忍さん、どうかしましたか? 忍さん!」
「っと、何だ。大声を出すんじゃない」
「だって仮とはいえ住処に着いたのに、通り過ぎそうだったから」
「ああ、すまん。買い物して上がるか」
ウィークリーマンション一階のコンビニに立ち寄り、海苔弁当とビールを買い込んで五階角部屋に戻る。今日はガラスも硝煙も浴びていないのでスーツのまま向かい合い、二人は弁当を肴にビールを飲み始めた。
「そちらの所属長の江波警部も暗殺反対派だ。結構古株らしくてな」
「まさか課長が? でも知ってたからデカ部屋の様子が変でも黙ってたのかも」
「あの人はかつて県警本部秘書室の庶務係をやっていた頃、噂を耳にして自力で調べ上げた挙げ句、自ら反対派に身を投じたと言っていた。内情に詳しく顔も広い」
「何だか教科書で習った昔の学生運動の活動家みたいですね」
他人事のように京哉は評したが、実際に部下であっても課長のことなど知る由もない。
「ゲバ棒持って暴れるどころかまるで逆だぞ。あの通り穏やかだが中身は猛獣、それも無駄に動かず潜んで機を窺って敵の急所の喉笛に的確に食らいつく頭脳派だ」
「どうしてそこまで分かるんですか?」
「県警本部配属された直後に偶然、手合わせした。得物は竹刀。結果は聞くな」
苦い顔でビールを飲み干す霧島がどんな負けを喫したのか非常に興味が湧く。余程の手痛い目に遭わされたのは表情で分かるが、あの小柄で物静かな江波課長が猛獣と化して全国タイトル複数ホルダーの霧島に勝ったとは、にわかに信じがたかった。
期待に輝く京哉の目に粘られて霧島はしぶしぶ口を開く。
「喉を突かれて一本だ」
「ええーっ、それだけですか? 詳細プリーズ!」
「悪かったな、語れなくて。一本取られたのも知らず起きたら医務室だった」
「わあ……」
異動の意思を伝えたら特殊な事情故に真城署デカ部屋での日々は残り僅かだ。だがその間は何があろうと江波刑事課長には逆らうまいと京哉は心に決める。
「まあそういう縁で私は江波警部と知らない間柄ではない。暗殺反対派でも古株の江波警部は、今回絡んだサッチョウの監察官たちとも知り合いだ。お蔭で監察官経由、江波警部行きでここのカードキィをお前に渡して貰った」
「なあんだ、そうだったんですね。あれはずっと疑問だったんですよ」
「部下思いだな。【鳴海を壊さない程度に仲良くやってくれ】とメールも貰った」
「ちょ、待って下さい、そこまで筒抜け……思い切り恥ずかしい、どうしよう!」
「どうもせんでいい」
そこで京哉は大事なことを思い出す。
「どうしようって言ったら、本部長は間違いなくまた狙ってきますね」
「与党政調会長もな。だが大丈夫だ、心配ない」
「またその口癖を。三台目が潰されても生きてるつもりとは図々しいですよ」
「図々しくて結構だ。だがこれには根拠が……おい、そんな怖い目をするな」
目を吊り上げて睨む京哉に霧島は仰け反って見せる。しかしおどけても京哉は誤魔化されない。霧島が言った根拠、それは近いうちにケリがつくという意味である。
「だって昼間は証拠がないって言ったじゃないですか!」
「令状も取れんのは本当だ。しかしクソ親父の持つ『裏の情報網』も馬鹿にしたものではないんだ。親父の企てには必ず裏がある。裏も大概は黒。少なくとも私が知る分はそうだった。そして裏の黒に関する目論見を達するには、まず表を達することが不可欠だ」
「じゃあ、この場合の表である本部長と与党政調会長は……?」
「間違いなく親父の掛けた保険が動く。近く本部長と与党政調会長に何かが起こる。おそらく私とお前を狙っているヒマなどなくなるほどの、何かがな」
まるで私刑が行われる宣言だ。それに幾ら腹黒い霧島会長でもこれでは闇社会の元締めのようである。おまけにそれらを霧島は認知し肯定しているみたいに聞こえた。
いつもの霧島とは真逆とも思える主張を京哉はリアクションも取れず固まったまま頭の中で咀嚼し、暫く経ってやっと疑問を口に出す。
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