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第16話
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アズラエルは夢を見ていた。
最初は志賀との話の途中でいきなり暗転したのだが、何やら刺激を感じて僅かに意識が浮上、そして夢だと判っている世界にいた。
判っている。そう、経験済みの過去だからだ。だから安心して見ていられる……。
(安心だと? これの何処が――)
視界には数十年ぶりに見るジブリールの姿があった。黒い直毛は志賀と変わらず、だがもっと、腰より長い。何より女性だ。
テラ宇宙進出初期の頃、本星より入植が実施され、その後の主権闘争にて惑星政府を樹立した由緒ある母星、エレガⅢ。
勿論テラ連邦議会に加盟はしているものの、対テラ本星との主権闘争時、星系内で自給自足を目指した為に、その精神を受け継いだ惑星政府の指針により、文明程度を自らダウンさせている。いわゆるカルチャーダウンの星系だ。
長らく帰星してはいないが、おそらく今でもテラ本星AD中世的な石造りの古城や町並みが残る。
高台から望める穏やかな緑溢れる田園風景。その中でもひときわ目を引く大きな屋敷の庭は、専属の庭師が丹精したバラの園になっている。
その懐かしくも平和な光景の中にかつて恋人であったジブリールがいた。白いバラを摘み、柔らかな笑顔を振り向ける彼女の髪に、アズラエルは一輪の花を挿す。
ポラも失くして随分経つというのに、長命系の強靭な賦活神経細胞は忘れることさえ出来なかったようだ。だからこのあと彼女が微笑んでいう科白も覚えている。
『テラへ行きましょう、ラエル。テラ本星でなくてもいいわ。本星レヴェルの技術なら私たちにも子供が授かるって聴いたの』
エレガは明確な婚姻制度を持たない。その分、性に関しては大らかだが子供が出来て初めて伴侶として社会的にも認められる。
旧く由緒ある家系で伯爵位を代々継ぐトラス家、子爵位を持つジブリールのサリア家共に、自分たちに子供が出来ないのは憂慮すべき事態ではあった。
このままでは自分たちの関係に破綻が訪れるのは確実――。
だが自分のサイキが本来この星の一般人には想像し得ない世界を彼女にもたらした。子供が出来ないのは、そうあるべきだから。そんな摂理を超えた世界から、アズラエルは誘いをずっと以前より受けていた。
昔と違い、今はエレガの政治中枢しか知る必要のない存在である、電算化された個人データ。自分のそれが連邦の目を引いたのはアズラエルが幼い頃だったらしい。
そしていよいよ進退窮まった年老いた自分の父がサリア家に話を通したのだ。
懇願する訳でなく普段と変わらず微笑みながら、しかし何度目かの彼女の言葉。それに自分はまた頷けない。何年かの後には帰星できると聞いてはいたが、能力者である自分に対する研究だとも、はっきり聴いていたからだ。
それだけでない。幼い頃からもっと広い世界の存在を感じつづけてきた自分自身はともかく、ジブリールがそんな世界で変わってしまう事の方が怖かった。
アズラエルが彼女の髪の毛を一本持って出て行き、数年後に子供を抱えて帰る。それはこの社会で受け入れられないだろうし、自分はもっと嫌だった。
場面が変わる。
夢と判っていても気分のいいものではない。無機的な白い部屋の中、他者の目を感じつつ彼女と自分が抱き合う光景は。
結局、外部世界の圧力と内部圧力――家系存続の為という家長の命令――によって流されるまま、連邦内他星系のここに来てしまった。本星ではないが、高度文明惑星の研究所である。
外部に部屋を用意され、かなりの自由を得られたが、やはり環境の激変がジブリールの精神の均衡を崩した。片時もアズラエルの傍から離れず、こうして研究所内に留まらざるを得なくなるのに、さほど時間は掛からなかった。
目を離すと危険、これ以上彼女に薬物を使用するのはもっと危険だと思われた。
それに、当然のように様々な薬品や装置を自分ではなく、彼女に与える研究所員が信用できなくなっていた。
思うように食事も摂れず、薬だけで保たせているジブリールの体は、元々華奢な上に無惨に痩せてしまい、豊かだった髪までが細くなってしまったようだった。
自分の指が彼女の乱れた長い黒髪に絡む。彼女の爪が自分の背に白く食い込むのを、夢を見ているアズラエルは俯瞰している。
そうしながら思った。
(モニタしている失礼な奴等より、こんなときにまで周囲をサーチしている自分の方が余程、彼女に失礼だ――)
その考えは夢の中の自分と同調している。自身がサーチを消す気配、その過去の自分の行動にハッとする。
(ああ、これはジブリールとの……最後の夜か)
このあと自分と彼女は、僅かな私物を取りに外部の部屋に戻る途中で『亜人種』を狙う狂信的集団に襲われる。そんな危険があるなどとは本星育ちの志賀と違い、エレガⅢで育ったその時の自分は知らなかった。
他人を害する物を身につけるのは、彼女と違いこの星にひと月も経たず馴染んだ自分でさえ嫌悪を感じた。研究所員に是非にと勧められたリモータの麻痺レーザー搭載も、だから拒否したのだ。
それゆえ彼女はこの数時間後に命を落とす。
研究所を出たときから尾けられていたのだろう。武器を持った、異能者を排除することを目的とする狂信者集団に囲まれたときですらも、何が何だか分からなかった。
アズラエルは至近距離からビームの一撃をジブリールと共に喰らいながらも、護れなかった彼女の体が反応を示さなくなるまで抱き締めていた。だがそのまま二撃目を受けるのは、ただでさえ強靭な力を持つ生物としての本能が拒んだ。
取り囲む男らの一人と目が合い、そいつのいやらしい嗤いと持ち上がる銃口を認めた途端に腕の重み、ジブリールの細い腰の感触がふっと失せた。
彼女を置いて研究所内の部屋、いま彼女と抱き合っているここにリープしたのだ。たったひとりで。自らの肩を焦がす異臭を、彼女の髪の香りより強く感じたところまで、くっきりと覚えている。
それをこのときの自分はまだ知らない。それなのに彼女の最期を知っていたかのような、それまでに無い激しい行為だった。
そしてこのとき自分は気付かなかった筈のジブリールの一筋の涙を、アズラエルは志賀の涙と重ね合わせてみていた。
透明で綺麗な、何よりも濃い涙だった。
最初は志賀との話の途中でいきなり暗転したのだが、何やら刺激を感じて僅かに意識が浮上、そして夢だと判っている世界にいた。
判っている。そう、経験済みの過去だからだ。だから安心して見ていられる……。
(安心だと? これの何処が――)
視界には数十年ぶりに見るジブリールの姿があった。黒い直毛は志賀と変わらず、だがもっと、腰より長い。何より女性だ。
テラ宇宙進出初期の頃、本星より入植が実施され、その後の主権闘争にて惑星政府を樹立した由緒ある母星、エレガⅢ。
勿論テラ連邦議会に加盟はしているものの、対テラ本星との主権闘争時、星系内で自給自足を目指した為に、その精神を受け継いだ惑星政府の指針により、文明程度を自らダウンさせている。いわゆるカルチャーダウンの星系だ。
長らく帰星してはいないが、おそらく今でもテラ本星AD中世的な石造りの古城や町並みが残る。
高台から望める穏やかな緑溢れる田園風景。その中でもひときわ目を引く大きな屋敷の庭は、専属の庭師が丹精したバラの園になっている。
その懐かしくも平和な光景の中にかつて恋人であったジブリールがいた。白いバラを摘み、柔らかな笑顔を振り向ける彼女の髪に、アズラエルは一輪の花を挿す。
ポラも失くして随分経つというのに、長命系の強靭な賦活神経細胞は忘れることさえ出来なかったようだ。だからこのあと彼女が微笑んでいう科白も覚えている。
『テラへ行きましょう、ラエル。テラ本星でなくてもいいわ。本星レヴェルの技術なら私たちにも子供が授かるって聴いたの』
エレガは明確な婚姻制度を持たない。その分、性に関しては大らかだが子供が出来て初めて伴侶として社会的にも認められる。
旧く由緒ある家系で伯爵位を代々継ぐトラス家、子爵位を持つジブリールのサリア家共に、自分たちに子供が出来ないのは憂慮すべき事態ではあった。
このままでは自分たちの関係に破綻が訪れるのは確実――。
だが自分のサイキが本来この星の一般人には想像し得ない世界を彼女にもたらした。子供が出来ないのは、そうあるべきだから。そんな摂理を超えた世界から、アズラエルは誘いをずっと以前より受けていた。
昔と違い、今はエレガの政治中枢しか知る必要のない存在である、電算化された個人データ。自分のそれが連邦の目を引いたのはアズラエルが幼い頃だったらしい。
そしていよいよ進退窮まった年老いた自分の父がサリア家に話を通したのだ。
懇願する訳でなく普段と変わらず微笑みながら、しかし何度目かの彼女の言葉。それに自分はまた頷けない。何年かの後には帰星できると聞いてはいたが、能力者である自分に対する研究だとも、はっきり聴いていたからだ。
それだけでない。幼い頃からもっと広い世界の存在を感じつづけてきた自分自身はともかく、ジブリールがそんな世界で変わってしまう事の方が怖かった。
アズラエルが彼女の髪の毛を一本持って出て行き、数年後に子供を抱えて帰る。それはこの社会で受け入れられないだろうし、自分はもっと嫌だった。
場面が変わる。
夢と判っていても気分のいいものではない。無機的な白い部屋の中、他者の目を感じつつ彼女と自分が抱き合う光景は。
結局、外部世界の圧力と内部圧力――家系存続の為という家長の命令――によって流されるまま、連邦内他星系のここに来てしまった。本星ではないが、高度文明惑星の研究所である。
外部に部屋を用意され、かなりの自由を得られたが、やはり環境の激変がジブリールの精神の均衡を崩した。片時もアズラエルの傍から離れず、こうして研究所内に留まらざるを得なくなるのに、さほど時間は掛からなかった。
目を離すと危険、これ以上彼女に薬物を使用するのはもっと危険だと思われた。
それに、当然のように様々な薬品や装置を自分ではなく、彼女に与える研究所員が信用できなくなっていた。
思うように食事も摂れず、薬だけで保たせているジブリールの体は、元々華奢な上に無惨に痩せてしまい、豊かだった髪までが細くなってしまったようだった。
自分の指が彼女の乱れた長い黒髪に絡む。彼女の爪が自分の背に白く食い込むのを、夢を見ているアズラエルは俯瞰している。
そうしながら思った。
(モニタしている失礼な奴等より、こんなときにまで周囲をサーチしている自分の方が余程、彼女に失礼だ――)
その考えは夢の中の自分と同調している。自身がサーチを消す気配、その過去の自分の行動にハッとする。
(ああ、これはジブリールとの……最後の夜か)
このあと自分と彼女は、僅かな私物を取りに外部の部屋に戻る途中で『亜人種』を狙う狂信的集団に襲われる。そんな危険があるなどとは本星育ちの志賀と違い、エレガⅢで育ったその時の自分は知らなかった。
他人を害する物を身につけるのは、彼女と違いこの星にひと月も経たず馴染んだ自分でさえ嫌悪を感じた。研究所員に是非にと勧められたリモータの麻痺レーザー搭載も、だから拒否したのだ。
それゆえ彼女はこの数時間後に命を落とす。
研究所を出たときから尾けられていたのだろう。武器を持った、異能者を排除することを目的とする狂信者集団に囲まれたときですらも、何が何だか分からなかった。
アズラエルは至近距離からビームの一撃をジブリールと共に喰らいながらも、護れなかった彼女の体が反応を示さなくなるまで抱き締めていた。だがそのまま二撃目を受けるのは、ただでさえ強靭な力を持つ生物としての本能が拒んだ。
取り囲む男らの一人と目が合い、そいつのいやらしい嗤いと持ち上がる銃口を認めた途端に腕の重み、ジブリールの細い腰の感触がふっと失せた。
彼女を置いて研究所内の部屋、いま彼女と抱き合っているここにリープしたのだ。たったひとりで。自らの肩を焦がす異臭を、彼女の髪の香りより強く感じたところまで、くっきりと覚えている。
それをこのときの自分はまだ知らない。それなのに彼女の最期を知っていたかのような、それまでに無い激しい行為だった。
そしてこのとき自分は気付かなかった筈のジブリールの一筋の涙を、アズラエルは志賀の涙と重ね合わせてみていた。
透明で綺麗な、何よりも濃い涙だった。
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