Hope Maker[ホープメーカー]~Barter.12~

志賀雅基

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第30話

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 兵舎は立派でも移動用の車両までは捕まえられず、裏門に近い補給倉庫まで徒歩十五分ほどの時間を要した。補給倉庫は格納庫と変わらない大きさで、形も似たようなカマボコ型をしていた。全体が目立たないグレイに塗られている。

 開放された倉庫の大扉から入った。右側に事務室が目に入る。そこに顔を突っ込むと数名の兵士がデスクに就いていた。目に付いた士官に京哉が片言英語で訊く。

「イーサン=ハーベイ中尉はいらっしゃいますか?」
「わたしだが……ああ、キリシマ中尉にナルミ中尉ですね」
「マリクから聞いたのか?」
「ええ。ここでは何ですので……ちょっと出てくる、何かあれば携帯に連絡しろ」

 部下の兵士にそう言って、イーサン=ハーベイ中尉は霧島たちを促した。
 つれてこられたのは何のことはない、倉庫の横で立ち話である。

「それで何を知りたいんですか?」
「戦闘薬の密輸出に関する全てだ」

 真っ直ぐに斬り込んでおいて僅か逡巡の色を浮かべた男を霧島は観察する。くすんだ金髪は長め、細身でグリーンの目は理知的な光を宿していた。先入観は禁物だが私利私欲だけで密輸などという危ない橋を渡るタイプには見えない。

「そうですね……戦闘薬の他国への密輸は間違いなく我々が始めました。そう、我々バルドール国軍士官で構成される反先進諸国武装戦線が始めたことです」

 京哉に双方向通訳しながら霧島は鋭い目を軍人に向ける。

「何なんだ、その反先進諸国武装戦線というのは。あんた、バルドール国軍士官のクセして反体制集団に足を突っ込んでいるのか? 矛盾しているだろう?」
「休日出勤の反体制組織と言えば笑われるでしょうが、我々はその日その日を食べてゆくために軍人にならざるを得なかった。また、この国で未来を創る意志を持って生きるために我々には希望が必要だった。だから皆で悩み考え抜いた挙げ句に反先進諸国武装戦線を旗揚げしたんです」

 このバルドールという国の在りようを憂い、現在この国を覆う深い絶望と、絶望だけでは生きてゆけない人々の祈りにも似た未来への希望が反体制組織を生み出したのだ。そしてそれは敵対駐屯地の枠を越え、士官の中に波紋のように広がっていったのだという。

「この国の困窮の原因を作り出しておきながら、先進諸国の人間たちは豪華客船から泥沼を見下ろし、僅かなパン屑を投げ与えて人道を謳い上げている……誰も、誰も方舟から梯子を降ろしてはくれない。そこに、その力があるのに……」

 戦闘薬の横流しは誰が思いついたのでもなく偶発的な始まりだった。ある駐屯地に渡される筈の荷がひとつだけ貨物機から降ろされなかったのだ。戦闘薬が詰まったその箱は次に貨物機が着いたアジアで問題視されているD国で降ろされることになる。

 そしてD国便の荷主であった政府が貨物機の乗組員を通して、ある駐屯地の士官にもっと大量で定期的な密輸を持ち掛けたのだった――。

「まさか……幾らD国でも政府そのものが噛んでたなんて」
「嘘ではありません。国際社会においても危険視されているあの国はカネに変わるなら何でも密輸する上に、薬物の国内需要も高いですから」

 チラリと京哉は霧島に目を向ける。霧島は眉間に不愉快を浮かべながら頷いた。

「それで、どういう過程で取引が大規模になったんだ?」

 訊かれたイーサン=ハーベイ中尉は腹を括ったか、滑らかな口調で説明する。

「我々反先進諸国武装戦線はアルペンハイム製薬にも話を通しました。そして新たに戦闘薬を先進諸国のマフィアに売り込んだんです。その取引で得た外貨は生活物資に換えて他の反体制組織を通じ、貧困に喘ぐ村々に渡るようルートを作りました」
「それが何で立派な兵舎に化けたんだ?」

「秘密は洩れるものです。幾ら結束の固い我々でも流れる物資のパイプが太くなってしまうと勝手にルートは枝葉を伸ばし始めた。それに国軍上層部が気付いたんです」
「お株を奪われたという訳か」
「その通りです、悔しいですが。先進諸国に復讐を成し、なお且つ村人たちの一助となれと始めたことが、いつの間にかここにも格差社会を生んだ……皮肉なことです」

 他組織を潰して物資を我がものにすることに長けた軍上層部には彼ら反先進諸国武装戦線のルートを乗っ取るくらい、赤子の手を捻るが如く簡単だっただろう。

「ここの駐屯地司令のジョサイア=ゼフォン大佐もルート乗っ取り犯なのか?」
「ええ、首謀者の一人です」
「そこまで吐いて、倒れるなら諸共ということか?」
「こんな形で我々は享受したくない。次こそ新たな組織を作り方法を確立しますよ」

「どうしたって反体制グループを組織することしか頭にないのか? 大体、仮にも反先進諸国武装戦線を名乗るなら、何故、軍人を辞めて反体制組織に入らない?」
「わたしは……我々は反先進諸国武装戦線メンバーであり、バルドールの軍人です」

 矛盾を孕んだイーサン=ハーベイの、その言葉こそが真だと霧島は感じた。

 彼らは先進諸国の巨大な力に憧れているのだ。憧れ、恋い焦がれて憎いのだ。アンビヴァレントな想いを抱いて楽園の方舟のふちに手を伸ばし……決して届かぬ手を伸ばし続けて打ちひしがれ、代わりに掴んだのが反体制の旗だった――。

「結局はルートを乗っ取られ、密輸出の主人公が軍のトップクラスにすり替わってもアルペンハイム製薬は戦闘薬を流し続けているんだな?」
「彼らには彼らの理由があります。それでどうしますか、わたしを」

 哀しすぎる話を聞いて溜息をついた霧島はゆっくりと首を振った。

「どうもしない、私たちは調査に来ただけだ。ただな、戦闘薬のお蔭でバルドール国民が助かっているのかも知れん。けれど私たちはその戦闘薬のせいで流された血や惨殺された人間を見たからここにきたんだ。死が当たり前のここで言っても始まらんだろうがな」

 じっと聞いていたイーサン=ハーベイは数秒だけ瞑目してから目を開き、グリーンの瞳に静かすぎる色を、口元には微笑みすら浮かべて霧島に首を傾げる。

「人の命が平等なら日々死んでいく人数の多いバルドールの方が総量として大きい。そして我々は豪華客船に乗った人々より、泥沼で共に溺れかけた人々と助け合うのに必死なんです。戦闘薬で得た外貨は我々にとって緊急避難的措置、カルネアデスの板だった」
「だろうな……だが私は私の国の国民が大事でな。降ってきたな」

 ポツリと頬に当たった雨は、瞬く間に土砂降りとなる。三人は文字通りバケツを引っ繰り返したような雨に閉口して補給倉庫の大扉から中に駆け込んだ。

「落ち着くまで事務室でコーヒーでもいかがですか?」

 ハーベイ中尉の提案に乗って事務室のパイプ椅子に二人は収まった。手渡されたカップの熱い液体を啜りながら霧島は電波が届くうちに一ノ瀬本部長への報告メールを送る。

「本部長は何ですって?」
「返事はまだだ。ちょっと待て、この振動は何だ?」
「こんな所で地震でしょうか?」

 腹の底を揺するような地響きがした。二度、三度と続く。直後にけたたましいサイレンが鳴り響いた。途端にイーサン=ハーベイ中尉が立ち上がりながら鋭く叫ぶ。

「高射砲の発射……敵襲です!」
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