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第15話

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 翌日の十九時まで二人は殆どベッドの中で過ごした。時折眺めたホロTVでは何処の局のニュースも宙港爆破と、メディアに送られてきた犯行声明でもちきりだった。

 リフレッシャを二人で浴び、着替えながらシドはまたニュースに目をやっている。合わせた局はRTV、リーディンガーテレヴィジョンというテラ連邦でも最大手のメディアだった。

「しかし犯行声明もアテにはならねぇのな」
「うーん、『自分がやった』宣言にこうも便乗組がいるとはね」

 ひとつの爆破テロに都合三つの反体制グループから犯行声明文が送られてきたのである。その中には二人が潜入する予定の『エウテーベの楯』も含まれていて、犯行声明の真偽は定かではなかった。

 ショルダーバンドを身に着けながら、ハイファはシニカルな笑いを浮かべる。

「現政府に盾突く人が、僕らが思ったよりも多いってことだけは分かったよね」
「まあな。だからっつって潜入しても俺はテロには与しねぇからな」
「分かってるよ。それでも『フリ』くらいはしてくれないと」
「ふん。いきなりリーダーをぶち殺したくならねぇよう祈っててくれ」

 それぞれがジャケットを羽織り、ハイファがショルダーバッグを肩に掛けると準備は終わりだ。このあと動くことも考えて一旦チェックアウトをするつもりだった。
 部屋を出て一階に降りるまでシドはハイファの細い腰に腕を回して、さりげなく支えて歩いた。ハイファは透けるような頬を僅かにバラ色に染めている。

 フロントでクレジット清算し、ロビーを横切ってカフェ・オリエンテに足を踏み入れる。オーガスト某のポラまではついていなかったので向こうから捜して貰うしかなく、シドとハイファは窓際のテーブル席に陣取った。

 窓外の大都市は夜の日、コイルのライトが大通りをひっきりなしに照らしている。この辺りのビルの一階に入ったテナントは婦人服専門店が多く、いかにも仕事帰りといった女性たちがウィンドウショッピングに精を出す姿が見受けられた。ビジネスマンたちは足早に家路を急いでいるようだ。

 客の入りも八分といった盛況ぶりのカフェ・オリエンテ内も、女性同士のお喋りやビジネスマンの打ち合わせの声が抑えた調子で流れている。
 夕食はルームサーヴィスで早めに摂っていたので、やってきたギャルソンに二人ともホットコーヒーを注文した。そのとき傍を通りかかった男がするりとハイファの隣に腰掛けて、まるで遅れてきた友人のようにコーヒーを追加注文する。

 コーヒーが三つ運ばれてくる間、シドは黙って向かいの男を観察した。
 目立たない男である。短い茶髪に茶色い目で中肉中背。少し型くずれしたグレイのスーツ。黒っぽいタイは締めているが、緩め具合が絶妙でサラリーマンにも自由業にも見えた。歳はテラ標準歴で三十半ばといった風だ。

 こういう男を取り逃がすと、手配するのも大変そうだなどと思う。特徴がなさ過ぎるのだ。別れて五分後には忘れてしまいそうな顔はスパイ向きと言えるのかも知れない。

 コーヒーが並べられ、ひとくち味わうと男が初めて口を開いた。

「オーガストです。面倒な手段をとって申し訳ありません」
「公安なら撒いたぜ?」
「公安警察の糸も拙いですが、秘密警察にでも目をつけられていると、わたしの立場も非常に危うくなりますので、暫く監視させて頂きました」

「秘密警察って、ンなモンまでいるのかよ?」
「秘密警察というのは通称で大統領直下の対テロ部隊のことです。捕まればわたしは明日にでも銃殺されます」
「裁判もなしでいきなり銃殺なんてされちゃうの?」

「ええ、わたしのポケットには爆弾が入っていますから。ここで爆発すれば店どころかホテルの一階全体が吹き飛ぶほどの高性能なものです」

 薄気味悪い思いで二人はオーガストを眺める。何かに麻痺しているのか、オーガストはまるで常態だ。

「勿論、爆破するのはここではありません。場所は選定してあります。まずはそこを爆破して貴方がたの犯行だという情報を流します」
「って、どういうことだ?」
「『エウテーベの楯』からスカウトされるためのギミックですよ」

 なるほどとシドは納得した。こちらから探し歩いて志願するのではなく先方から声を掛けさせる訳だ。

「けど、そんなに上手く行くのかよ。これだけ管理された社会に噂を流して、本当にパクられるのはご免だぜ?」
「どんなに管理されているように見えても、所詮は外部からやってきた客にみせる顔でしかありません。この秩序のすぐ傍に混沌は存在します。その混沌にしか情報は流しませんから」

 混沌というのは裏社会のようなものだろうとシドは考えた。そして地下組織のひとつもない奇跡の星といわれるテラ本星を思う。
 地下組織はなくとも裏社会めいたものが存在するのをシドも知っていた。時折、自身が『夜の散歩』と称してそこまで足を運ぶのである。会いに行く相手はいわゆる情報屋だ。

 そいつらの中には明らかに法を犯している者もいる。それを見逃してやる代わりに貴重な情報を得るのだ。彼らがどうやって情報を得るのか、そこまでは追求しないのが無言の契約だった。だがもしかすると自分の知らない裏社会が秩序の傍に広がっているのかも知れない――。

「――シド?」
「んあ、何だ?」
「だから、今から仕掛けに行くんだってば」
「それじゃあ冤罪でもギミックでもなくて、本当に爆弾魔じゃねぇか」
「それでも何処にどう仕掛けたかくらいは見届けないと、スカウトされてから困るでしょ」

「まあ、そうだが……」
「それに僕らだって声を掛けられやすい所で待機しなきゃ」

 言われてみればその通りだ。レキシントンホテルのダブルの部屋に訪ねてくるテロリストはいないだろう。
 レジではオーガストが全員分をクレジット清算した。
 変わらずシドはハイファに寄り添い、細い腰に腕を回して支えつつ歩く。エントランスの車寄せに停まった無人コイルタクシーの前席にオーガスト、後席に二人が乗り込んだ。

 座標指定したのは勿論オーガストで、発進するなりシドは訊いた。

「被害者を出さずに爆破できるんだろうな?」
「別室戦術コンが選定したのは河に架かる橋のひとつです。貴方がたが本当の爆弾魔にならないよう、わたしが責任を持って爆破までを行いますのでご安心を」

 別室戦術コンはときに理不尽な要求もするが、どんなコンよりも実戦に即した計算機だというのをシドも承知していた。それなりに信用してもよさそうだ。
 超高層ビルの間の、かなり交通量が減った通りをタクシーは滑るように走ってゆく。窓外を見上げればスカイチューブの鈴なりの航空灯が夜空を幾つにも分断している。BELの航法灯が瞬きながら飛び交っていた。

 窓の明かりも眩いビルとビルの切れ目では小さな月が青白い光を投げている。

「ハイファ、あのムーンは何て言うんだ?」
「ああ、あれね。資料では確かナイリだったよ」

 やがてスカイチューブの数も減り、窓の明かりを消しているビルが多くなった。ビル自体もやや背が低くなり、造りも旧く見えるものが大半を占め始める。

「もうすぐ見える筈……あの橋です」

 オーガストが指したのはシドが予想していた橋よりも大規模なものだった。

「あれを落とすってのか……?」

 橋自体に設置された外灯で僅かに高台となった橋の全容は見て取れた。両側合わせて四車線はある、剛性構造のどっしりとした橋だ。そもそも河自体が七、八十メートルくらいの堤防の間に流れているのだ、橋はゆうに百メートルはあるだろう。
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