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第16話

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「落とすって言っても全部じゃない、何処か一ヶ所を落とすんじゃない?」
「その通りです、通行不能にするだけですから。でもその仕事がどれだけ難しいか、爆破に慣れたテロリストなら判別がつくでしょう」
「ふうん。地味なようでいて職人技ってか」
「まあ、それをこの高性能爆薬が素人にも可能にする訳ですが」

 ターゲットの橋を渡り始めたタクシーの中で、犯罪者が下見をするときはこういう気分なのかとシドは思いつつ時刻を確かめた。現在時二十一時六分。立派な橋は思いがけないほど交通量が少ない。渡りきるまでにすれ違ったのはたったの三台だった。

 これならタイミングを計れば被害者も出さずに済みそうである。
 橋を渡るとタクシーは右に曲がり、堤防の外側の道を辿り出す。五分も走るとビルの駐車場に乗り入れ、停止し接地した。

「降りて下さい。爆弾の設置場所だけ確認して貰います」

 駐車場には沢山のコイルが停まっていたが、どれも旧い型ばかりでそれこそ人の気配は皆無、まるで墓場のごとくひっそりとしていた。傍にそびえるビルも何に使われているのか知らないが、外壁だけでなく低階層の窓にまでヒビが入っている。だがまるで無人という訳でもなく、たった四ヶ所だが明かりの付いた窓があった。

 足元は間遠な外灯で何とか不自由しない程度だ。駐車場からずっとファイバブロックなのには変わりないが、チリひとつなかった都市中心部に比して随分と荒れている。凹んだ飲料の空きボトルや何かの空き袋のようなゴミが散乱し、ファイバもあちこちが欠けていた。

 気にせずオーガストは歩いてゆく。堤防のふもとに出た。設置された階段を上り、そして下りる。河辺にはボートが一艘浮かんでいた。全長はせいぜい四、五メートルのものだ。

 湿った風がシドの長めの前髪を揺らした。

「もう遊覧航行ができるみたいだね」
「風情もへったくれもねぇけどな」

 まずはオーガストがボートのもやいを解いて乗った。次にシドが飛び移る。ハイファにはシドが手を貸し、半ば抱きかかえるようにして乗せた。

 すぐにボートはアンカーを巻き上げた。ナイリとビルの明かりを映した黒い水面を滑り始める。反重力装置は水の直上ではパワーロスするため船の駆動には使われないのが普通だが、これは内燃機関のような音も匂いもしなかった。

 シドがオーガストに訊くと、静音設計の電気モーター式という話だった。この河を往く程度なら化石燃料の馬力は必要ないらしい。

 十五分ほどでボートは橋の真下に差し掛かり、ゆったりとした航行を止める。
 黙ってオーガストがスーツの懐から銃を取りだした。チラリと見えたそれは特殊部隊などが使用する、ロープの付いた鉤などを撃ち出すものに近い形をしていた。その先端にポケットから出した手榴弾状の物体を差し込んで取り付ける。

「セットします」
「いきなり誤爆はナシだぜ」
「可能性から言えばそれはゼロではありませんが――」
「もういい、やってくれ」

 やってきた都市の側にやや近い位置、高さ三十メートル以上はありそうな橋梁に向けてオーガストは両手保持した銃のトリガを引いた。バシュッという音がして高性能爆弾は撃ち出される。全員で耳をすませたが、モノが落ちてくるような音はしない。

 何処からかオーガストが単眼のスコープを出して目に当てていた。暫く見ていたもののどうやら見つけられないらしく、ハイファが代わってスコープを覗く。

「へえ、いいテレスコピックサイトだね、これ」
「そいつはいいが、ブツは仕掛けられてるんだろうな?」
「大丈夫。橋の底にペッタリくっついてるよ」

 更にシドが代わってスコープを覗くと、眩いくらいに明るく光が増幅された世界で、冷たく黒い爆弾が橋梁の剛性ファイバにへばりついているのが確認できた。

「信管はこのスイッチで起爆します。リンクは一キロ以内なら可能ですが、わたしは零時前後に堤防上に詰める予定です」

 握った片手に隠れるくらいの起爆スイッチを二人に見せ、シドからスコープを受け取ったオーガストはボートを元の場所へとゆっくり航行させる。
 下りる際には積んであったボロ布でボートの触ったと思われる箇所を三人で拭いた。

「では、『声を掛けられやすい場所』にご案内します」

 駐車場に戻りタクシーに乗るとすぐに発進する。やってきた都市に戻るのかと思いきや、橋は渡らずに先へと走ってゆく。

「宙港の屋上から見たときは同じ高層ビルに見えたけど、何だかこの辺りって古いかも」
「街灯も少ないよな。ビルの明かりも大して点いちゃいねぇし」
「あのビルなんか、すっごい落書き……下の方は窓も割れて素通しだよ」
「まだ二十二時っつーのに人通りもあんまりねぇのな。景気の悪い街だぜ」

 二人の会話を聞いていたのかオーガストが振り向いた。

「河に囲まれたセトメに暮らすのは上流階級者です。対して河の外側、ハキムの街には労働者階級と言えば聞こえもいいですが、下層の人々が暮らしています」
「それって開発独裁とやらで肉体労働しか与えられない人々ってことなのか?」
「肉体労働でも与えられればマシですね。殆どは第二惑星リトラでの農業従事者や、第五惑星ラシッドでの工場労働者ですが、どちらも殆どが期間労働です。あぶれる者も少なくはないんですよ」

 日頃から薄愛主義を標榜する別室員が酷くつまらなそうに訊く。

「じゃあ、働かない、働けない人たちはどうやって暮らしてるの?」
「働いた分で細々と、でしょうか。この辺り一帯、橋からこちらは彼らのテリトリーで、現政権になってほぼスラム化した状態です。彼らは廃ビルに住み、指定した職に就くよう政府からリモータに連絡が入るのを日々待っているんです」

「そんな所に僕らが紛れ込んで大丈夫なのかな?」
「多少は火中の栗を拾う覚悟もして貰わなければ、テロリストとの繋ぎなど取れませんから。とはいえハキムのスラム化といっても、せいぜい三十一年前から始まったことですので、簡単に殺し合うほど荒んでいません」
「……はあ」
「それに貴方がたは自分の身くらい護れる、違いますか?」

 三十分近く走るうちにコイルを雨が叩き始めた。あれだけ綺麗な月夜だったのが嘘のように、唐突に降り出した雨の勢いは強い。

「上空に静止したウェザコントローラがセトメの分もここに降らせてるんです。お蔭で半端な降りではなく、結構厄介で――」

 差別もそこまで徹底するのは大したものだとシドは呆れる。衣食住だけでなく天候までもが身分を隔てる世界に生み落とされたら、そりゃあひとこと文句も言いたくなるだろう。だが社会システム上、文句も言えないのだ。

 しかしそこで暴力という手段、テロリズムを認める訳にはいかない。無差別な殺人を許せるシドではなかった。セトメ宙港での爆破被害者たちの姿が脳裏をよぎる。

 だからといってテロに走る彼らに、他にどんな道が残されているのか、シドは答えを持たない。別室任務で様々な星系の事情も知った上に、その星系の歴史を塗り替えかねない事態に持ち込んだことさえある。

 けれど今回の自分はある意味、やむにやまれずテロに走らざるを得なかった人々の希望を潰しにきたのだ。宙港爆破に巻き込まれた人々を思えば許せない、絶対に。あのちぎれた腕の持ち主が痛いと、焼かれた人間が熱いと泣き叫んでいたのが耳から離れない。

 だが、それならこの星系で下層階級者は何を希望にすればいいのか。訴え出る手段すら封殺されて八方塞がりの彼らの今の希望は、仰ぎ見る輝く星は「テロリズム」という衝撃を伴ったメッセージではないのか――。
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