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第17話

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「また嵌っちゃった?」

 気付くとハイファが覗き込んでいた。

「なるようになるまで、その星系ごとに人々が自ら掴み取らなきゃならないことなんだよ。僕らが今できることはない。そう割り切っていないと保たないから」
「お前はタフだよな」

 微笑むハイファを見ながら煙草欲求を盛り上がらせているとタクシーがふいに停止し接地した。土砂降りで視界は悪いが、目前にあるビルが目的地というのは分かった。

「ここの五階になります」

 ハイファが経費からクレジット清算すると、仕方なく三人はコイルを降りてビルのエントランスまでダッシュする。リモータチェッカのパネルは壊れていたが、エントランスのオートでない扉は無傷だった。引き開けて中に入る。

 ほんの数秒で三人ともびしょ濡れになっていた。
 どうしようもないので乾くまで放置、オーガストの先導でエレベーターに乗った。意外にも電力供給は断たれていないようだ。尤も発電衛星からアンテナで盗り放題だろうが。

 五階に着いてエレベーターが開くと目の前はコンビニだった。透明の壁越しにも品揃えが豊富でセトメの店舗に劣らないのが見て取れる。

「何だ、案外普通じゃねぇか」
「心配するほどじゃないのかもね」

 コンビニの前を通り抜けると今は閉まっている衣料品店、次からはずっと空きテナントで、壁に落書きのあるゴミだらけの廊下を辿り、薄暗い先に『BAR.Aileen』と書かれた電子看板をようやく見つけることができた。

 バー・アイリーンは、トランペットのジャズが流れる空間だった。

 カウンターにスツールが七、テーブル席が四つきりで、何処を歩いても何かに触れそうな具合だったが、人が少ないせいで狭苦しい感じはしない。珍しくテーブルも椅子も天然木で磨き込まれた木目が艶やかだった。

 先客はカウンターに二人の男と、四人の男女でテーブル席がひとつ埋まっている。
 カウンター内で蝶タイをしたバーテンが、たった一人でグラスを磨いていた。

 照明は暗すぎずトランペットの音量も丁度いい。ハイファは好感を持つ。
 三人はカウンター席に腰掛けた。オーガストにシドとハイファの順で座る。これから爆破という仕事を抱えているオーガストはスプリッツァーを頼んだ。シドはジントニック、ハイファはドライマティーニをクレジットと引き替えに注文する。

 時刻は二十二時半、出されたフルート型シャンパングラスと引き替えに、オーガストはバーテンとリモータリンクでクレジットを支払い、更にMBの収まったスティックケースをカウンターに滑らせた。バーテンは無言で受け取る。

 そのやり取りでハイファもここがいわゆる情報屋としての機能を持っていることに気が付いた。その筋ではテロリストも通う有名処なのかも知れない。
 公安警察にでも見つかれば即ガサが入って閉店だろうが、ここは不思議と百年も昔から営業しているような、妙な落ち着きがあった。

 雰囲気を壊さないよう控えめな声でハイファはオーガストに訊く。

「『エウテーベの楯』はどのくらいの規模なのかな?」

「残念ながら実態はよく分かっていません。ただリーダーとサブリーダー二人の名前だけが知られています。リーダーがエド=マクレガー、二人のサブリーダーがクロード=サティにライアン=ハンターです」
「ふうん」

 どれも本名ではなく通り名だろうとハイファは推測する。ID管理社会に於いて本名でテロをする馬鹿もいないだろう。
 仕事が残っているオーガストは二人とリモータIDを交換、連絡手段を確立すると、カクテルの氷が溶ける前に慌ただしく店を出て行った。

 残った二人は並んでグラスに口をつける。シドは幾ら飲んでも酔わない、薬の類にも強い体質だ。だがハイファはそうもいかないので、強めのショートドリンクを干したあとはミモザに切り替えた。
 一方のシドは煙草を吸いながら、カミカゼに切り替えた三杯目を半分以上空けている。

「何だかいい雰囲気だよね」
「ああ。しかし参ったな」
「何が? ……あ、そうか。タクシーはオーガストが乗って行っちゃったんだっけ」
「この辺りで捕まえられると思うか?」
「だよね……」

 一時間も経った頃、スツールの先客がバーテンからそっと渡されたスティックケースを手に立ち上がり、静かに去って行った。MBの中身はオーガストが渡したモノのコピーなのかとハイファは思う。
 自分たちの特徴の書き込まれたメモリは、こうして裏社会に流されてゆくのだろう。

 果たして上手く『エウテーベの楯』に辿り着けるかどうかが問題だが、それに関してハイファは心配してはいなかった。何せこちらにはイヴェントストライカがいるのだから。

◇◇◇◇

「ハイファお前、酔いが回ったんじゃねぇのか?」

 そう言ってシドはコンビニで買ってきた保冷ボトルの緑茶を開封し、自分でひとくち飲んでからハイファに手渡した。

「大丈夫……の、つもりなんだけど」

 煙草の焦げ跡のある古びたソファに座ったハイファは、傍らの肘掛けに腰を下ろしたシドを上目遣いに見つめた。その頬はうっすら赤い。

 ここはバー・アイリーンから少し離れたビルの十二階の一室だった。
 あれから二時間粘ったのちに、無口なバーテンに泊まれる所を訊ねたら、地図入りのMBを渡された。それに従って一番近いホテルに雨に濡れながら駆け込んだのだ。

 完全に無人化されたホテル内で誰にも会わず、クレジットと引き替えにキィロックコードを手に入れたここは、いわゆるラヴホテルというものである。だがリフレッシャを浴びられて寝られるなら文句はなかった。
 既に二人ともリフレッシャを浴びて、備え付けの薄いガウンに着替えている。

 受け取ったボトルの半分ほどを一気飲みしたハイファは室内を見回した。
 全体的にくすんだような色合いの部屋は何もかもが古いだけでなく、うっすらと埃を被ったような印象だった。染みの浮いた壁紙の一部は剥がれ、窓に掛かった遮光ブラインドは歪んでいる。最大光量にした天井のライトパネルの明かりですら、何となくうらぶれた黄色っぽいものだった。

 尤も照明は行き届かない掃除を隠すためなのかも知れない。何も敷かれていないファイバの床の隅には喩えでなく埃が積もっていた。
 滅菌済みパッキングされていなければ、このガウンもベッドの毛布も二人は身に着けるのをためらっただろう。

「それにしても、こんな所にこんなホテルがあるなんて意外だよね」
「あんまり客はこねぇらしいな」

 と、シドはひび割れたファイバの欠片が載ったロウテーブルの天板を目で指した。

「セトメでは叶わぬ、二人の逢瀬にでも使うのかな?」
「ハイファ、最近お前、TVドラマに毒されすぎじゃねぇか?」
「そうかな? でもまあ、ここで外貨を落とせば喜ばれるだろうしね」
「焼け石に水ってヤツだろうがな。……一時すぎだ、そろそろ寝るか」
「あん、寝ちゃうの?」

 立ち上がったシドに向かって、ハイファはキスをせがむ仕草をしている。

「やっぱりお前、酔ってるだろ?」
「酔ってないけど、酔ってるのはキライ?」
「それがお前なら、全部好きだ……けど、大丈夫なのか?」

 ゆっくりと頷いたハイファにソフトキス、若草色の瞳を超至近距離で覗き込んだ。

「その気にさせたんだ、責任は取って貰うぜ」
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