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第19話
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「本当にお前、寝てなくて平気なのか?」
「大丈夫だって。大体、貴方過保護だよ。それよりほら、もう行かなきゃ」
着替えて執銃し、ショルダーバッグを担いだハイファはシドを促した。シドは微笑むハイファを僅かに目を細めて見つめる。白い肌がまた一層透明感を増していた。
寝ている訳にいかないのはシドも分かっていた。時刻は昼の日の夜二十三時、昨日に続いてバー・アイリーンに張り込みに行かねばならない。メディアに橋梁爆破の報が流れてから初めての『出勤』でもあり、手応えがあるかどうかを見極めなければならないのだ。
「つらくなったりしたら言うんだぞ」
「分かったってば」
古びたホテルのエントランスから二人は外を眺める。また雨だったが昨日ほどの降りではない。バー・アイリーンのあるビルまではここから五、六十メートル、シドとハイファは顔を見合わせるとスリーカウントで走り出した。
それでも着いてみるとやはり二人ともびしょ濡れだ。苦笑しあってエレベーターに乗る。五階で降りて廊下を辿った。
明るい金髪から雫を垂らしながらシドに続いてバー・アイリーンに入ったハイファは、僅かに仰け反った。予想外に客が多かったからだ。四つきりのテーブル席が全て埋まり、壁に凭れてグラスを手にしている者もいる。
空いているのはカウンター席がふたつきり、迷うまでもなくシドとハイファは自分たちのために用意されたようなそこに腰掛けた。
今日はハイファも大人しくノンアルコールカクテルのシャーリーテンプルを注文する。シドはマイペースでジントニックを無口なバーテンに頼んだ。
トランペットのジャズが流れている他は、店内は異様に静かだった。
不思議な緊張感が漂う中で三十分ほどが経った頃、ハイファの隣でワイングラスを傾けていた薄い金髪の男がおもむろに口を開いた。
「黒髪と金髪の美人二人……大した仕事をやらかしたのは、あんたらだったのかい」
背後の緊張感も知らぬかのように、それは眠たげなまでにのんびりとした口調だった。
オイルライターで煙草に火を点けたシドが訊く。
「仕事……何のことだ?」
「とぼけなくていい、ここには公安も秘密警察もこない」
「ふん。何処でそんな話を聞いたんだ?」
男はシドをチラリと見てテキーラ・サンライズを煽る。
「蛇の道は蛇……などと格好つけたいが、あれだけのことをやらかした上に、あんたらはここにいる。誰も彼もが興味津々だ」
いつの間にか男の後ろには更に男が二人立っていた。壁際で飲んでいた男たちだ。どうやら仲間だったらしい。
「それであんたは『誰も彼も』の代表者って訳だな」
男とシドのやり取りに店内中の人間が耳目を傾けている気配があった。
朝焼け色のカクテルをたしなむ暢気な口調の男をハイファは観察する。紺のプルオーバーにサンドベージュのラフめなジャケット、スラックスを身に着けていた。年齢はテラ標準歴で二十七、八だろうか。若いが妙な落ち着きがあった。
「代表という訳じゃないが、皆が知りたいことではある……売り出し中なんだろう?」
「まあな。……ところであんたが誰だか訊いてもいいか?」
「エド=マクレガー。呼ぶならエドでいい」
思わずハイファはシドを見た。まさかの『エウテーベの楯』リーダーである。シドはポーカーフェイスを崩さない。その横顔にエド=マクレガーは面白そうな視線を寄越す。
「見ない顔のあんたらが、何故売り込もうとしている?」
ジントニックを啜り、チェーンスモークしてシドが応えた。
「俺たちは他星出身の元傭兵だ。依頼されてこの星系の、ある企業役員を護衛していた。だがそこで見えるモノにいい加減、嫌気が差したんだ。長年こきつかってくれた企業にも、小金を吸い上げる役人にも、な。何もかもを叩き壊してやりたくなった」
「それだけか?」
「それだけで悪いか? 一暴れしてから傭兵に戻るのもいいと思ってな」
「ふうん、なるほど」
「仲間に入れて貰えるか?」
今度は自分が観察されているのをハイファは意識した。さらりと乾いた視線が頬を撫でる。そ知らぬふりでグラスのカクテルを呷った。氷がカランと鳴る。
「まあ、使えそうではあるか。……名は?」
「シドだ」
「僕はハイファス」
「では、シドにハイファス。アジトに案内しようか」
妙に人を惹き付ける笑顔でエドがそう言うと、バー・アイリーン内に溜息が重なった。
タクシーではなく個人所有らしいコイルの中で、同行している男二人が『エウテーベの楯』のサブリーダー、クロード=サティとライアン=ハンターだというのを二人は聞いた。両者ともに思っていたより若く、エドとさほど変わらないように見える。
短い黒髪のライアンはコイルの手動運転を担当し、茶髪をオールバックにしたクロードは二人と並んで後席に座っていた。エドはナビシートに収まっている。
コイルは雨に叩かれながら危なげない運転でゆっくりと走っていた。
「誰かさんたちのお蔭で遠回りだからな」
そう言ってエドはジャケットの肩を揺らした。
「って、橋を渡るってことだよね。アジトはハキムじゃなくてセトメ側なのかな?」
「意外だったか? 組織のセルはハキム側だけじゃない、セトメにも第五惑星ラシッドにも散っている」
物問いたげな目をしたシドにクロードが注釈した。
「傭兵から反体制組織に転向初日じゃ知らなくて当然か。セル、つまり『細胞』ってことだ。数名ずつのセルに分かれて我々は潜伏しているんだ」
「どのくらいの人間がいるんだ?」
「現在、お前たちを含めて五十二名だ」
やけに精確な数字をクロードが口にする。几帳面で細かい男なのかとハイファが思っていると、クロードはエドと次のターゲットについて語り始めた。聞いていれば、なかなかの武闘派であることが判明する。
「――ラシッドから届いた新型は俺に回してくれるって話だったよな?」
「やるのはいつだって?」
「聞いてなかったのか? 三日後、しあさってだ。しっかりしてくれ、リーダー」
「一昨日に続いてクロード陣営は忙しいことだな」
「秘密警察にパクられたエディとクラークの弔い合戦だからな――」
ふいに雨が止み、ハイファは窓外を見上げた。もう恒星グラーダが燦々と世界を照らしている。何となく溜息が出た。
「大丈夫だって。大体、貴方過保護だよ。それよりほら、もう行かなきゃ」
着替えて執銃し、ショルダーバッグを担いだハイファはシドを促した。シドは微笑むハイファを僅かに目を細めて見つめる。白い肌がまた一層透明感を増していた。
寝ている訳にいかないのはシドも分かっていた。時刻は昼の日の夜二十三時、昨日に続いてバー・アイリーンに張り込みに行かねばならない。メディアに橋梁爆破の報が流れてから初めての『出勤』でもあり、手応えがあるかどうかを見極めなければならないのだ。
「つらくなったりしたら言うんだぞ」
「分かったってば」
古びたホテルのエントランスから二人は外を眺める。また雨だったが昨日ほどの降りではない。バー・アイリーンのあるビルまではここから五、六十メートル、シドとハイファは顔を見合わせるとスリーカウントで走り出した。
それでも着いてみるとやはり二人ともびしょ濡れだ。苦笑しあってエレベーターに乗る。五階で降りて廊下を辿った。
明るい金髪から雫を垂らしながらシドに続いてバー・アイリーンに入ったハイファは、僅かに仰け反った。予想外に客が多かったからだ。四つきりのテーブル席が全て埋まり、壁に凭れてグラスを手にしている者もいる。
空いているのはカウンター席がふたつきり、迷うまでもなくシドとハイファは自分たちのために用意されたようなそこに腰掛けた。
今日はハイファも大人しくノンアルコールカクテルのシャーリーテンプルを注文する。シドはマイペースでジントニックを無口なバーテンに頼んだ。
トランペットのジャズが流れている他は、店内は異様に静かだった。
不思議な緊張感が漂う中で三十分ほどが経った頃、ハイファの隣でワイングラスを傾けていた薄い金髪の男がおもむろに口を開いた。
「黒髪と金髪の美人二人……大した仕事をやらかしたのは、あんたらだったのかい」
背後の緊張感も知らぬかのように、それは眠たげなまでにのんびりとした口調だった。
オイルライターで煙草に火を点けたシドが訊く。
「仕事……何のことだ?」
「とぼけなくていい、ここには公安も秘密警察もこない」
「ふん。何処でそんな話を聞いたんだ?」
男はシドをチラリと見てテキーラ・サンライズを煽る。
「蛇の道は蛇……などと格好つけたいが、あれだけのことをやらかした上に、あんたらはここにいる。誰も彼もが興味津々だ」
いつの間にか男の後ろには更に男が二人立っていた。壁際で飲んでいた男たちだ。どうやら仲間だったらしい。
「それであんたは『誰も彼も』の代表者って訳だな」
男とシドのやり取りに店内中の人間が耳目を傾けている気配があった。
朝焼け色のカクテルをたしなむ暢気な口調の男をハイファは観察する。紺のプルオーバーにサンドベージュのラフめなジャケット、スラックスを身に着けていた。年齢はテラ標準歴で二十七、八だろうか。若いが妙な落ち着きがあった。
「代表という訳じゃないが、皆が知りたいことではある……売り出し中なんだろう?」
「まあな。……ところであんたが誰だか訊いてもいいか?」
「エド=マクレガー。呼ぶならエドでいい」
思わずハイファはシドを見た。まさかの『エウテーベの楯』リーダーである。シドはポーカーフェイスを崩さない。その横顔にエド=マクレガーは面白そうな視線を寄越す。
「見ない顔のあんたらが、何故売り込もうとしている?」
ジントニックを啜り、チェーンスモークしてシドが応えた。
「俺たちは他星出身の元傭兵だ。依頼されてこの星系の、ある企業役員を護衛していた。だがそこで見えるモノにいい加減、嫌気が差したんだ。長年こきつかってくれた企業にも、小金を吸い上げる役人にも、な。何もかもを叩き壊してやりたくなった」
「それだけか?」
「それだけで悪いか? 一暴れしてから傭兵に戻るのもいいと思ってな」
「ふうん、なるほど」
「仲間に入れて貰えるか?」
今度は自分が観察されているのをハイファは意識した。さらりと乾いた視線が頬を撫でる。そ知らぬふりでグラスのカクテルを呷った。氷がカランと鳴る。
「まあ、使えそうではあるか。……名は?」
「シドだ」
「僕はハイファス」
「では、シドにハイファス。アジトに案内しようか」
妙に人を惹き付ける笑顔でエドがそう言うと、バー・アイリーン内に溜息が重なった。
タクシーではなく個人所有らしいコイルの中で、同行している男二人が『エウテーベの楯』のサブリーダー、クロード=サティとライアン=ハンターだというのを二人は聞いた。両者ともに思っていたより若く、エドとさほど変わらないように見える。
短い黒髪のライアンはコイルの手動運転を担当し、茶髪をオールバックにしたクロードは二人と並んで後席に座っていた。エドはナビシートに収まっている。
コイルは雨に叩かれながら危なげない運転でゆっくりと走っていた。
「誰かさんたちのお蔭で遠回りだからな」
そう言ってエドはジャケットの肩を揺らした。
「って、橋を渡るってことだよね。アジトはハキムじゃなくてセトメ側なのかな?」
「意外だったか? 組織のセルはハキム側だけじゃない、セトメにも第五惑星ラシッドにも散っている」
物問いたげな目をしたシドにクロードが注釈した。
「傭兵から反体制組織に転向初日じゃ知らなくて当然か。セル、つまり『細胞』ってことだ。数名ずつのセルに分かれて我々は潜伏しているんだ」
「どのくらいの人間がいるんだ?」
「現在、お前たちを含めて五十二名だ」
やけに精確な数字をクロードが口にする。几帳面で細かい男なのかとハイファが思っていると、クロードはエドと次のターゲットについて語り始めた。聞いていれば、なかなかの武闘派であることが判明する。
「――ラシッドから届いた新型は俺に回してくれるって話だったよな?」
「やるのはいつだって?」
「聞いてなかったのか? 三日後、しあさってだ。しっかりしてくれ、リーダー」
「一昨日に続いてクロード陣営は忙しいことだな」
「秘密警察にパクられたエディとクラークの弔い合戦だからな――」
ふいに雨が止み、ハイファは窓外を見上げた。もう恒星グラーダが燦々と世界を照らしている。何となく溜息が出た。
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