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第39話

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 嵐に巻き込まれたような刻がすぎ、ハイファはそっと身を起こした。乱れた髪をかき上げながら目で探すと、シドはベッドから降りて衣服を身に着けている。
 ハイファもベッドから滑り出て着替えを始めながら訊いた。

「何処行くのサ?」
「夜回り、散歩だ」
「ふうん」

 ドレスシャツとスラックスを身に着け、ショルダーバンドを装着するとホルスタのストラップをベルトに固定し、執銃する。クローゼットから二人分の上着を出し、対衝撃ジャケットをシドに手渡した。指先が触れたその瞬間だった。

 溢れた感情を抑えることができずに、ハイファはシドの赤く腫れた頬に優しく指を這わせていた。

「ごめん、ごめんね。我が儘を通していたら、今の貴方は単独だった。シドの判断は何も間違ってないのに僕、僕は……恥ずかしくて」
「いいんだって、俺だって悪い思いをした訳じゃねぇんだしさ。それにこのくらいの平手打ちじゃあ痴漢も撃退できねぇぞ? もういい、泣くな泣くな」

「だって、貴方に我慢させたし……」
「もう少し我慢するさ……終わったら、な?」
「……うん」

 着替えを済ませて髪を縛ろうとしたが、その手をシドが止める。

「お前の首の後ろにデカいあざが少し……いや、沢山」

 慌てて洗面所に走って鏡を見た。

「……わあ、これはすごいかも」
「すまん」
「『すまん』じゃないよ、縛れないじゃない、もう!」

 背後にやってきていたシドを睨んだのち、狂おしくも切ない色を浮かべたままの切れ長の目に構わず、ソフトキスを奪う。自分をあんな風に嬲った罰だ。

「ハイファ……お前、メチャメチャ綺麗だな」
「誰かサンに弄ばれたばかりですので……このままエドをタラせば吐くかな?」
「洒落にならねぇからやめろ。……行くぞ」

 部屋をロックして一階に降り、フロントに外出を告げて外に出る。時刻は二十二時前、通りの人の往き来も随分と少なくなっていた。

「で、実際、何処に行くの?」
「メシが食えてヒマが潰れそうなとこなら何処でもいい」
「もうお腹空いたの? まあ、ハンバーガーだったしね。じゃあ、こっち」

 肩を並べて通りを渡り、ビルの谷間の細い通りへと足を踏み入れた。目的地は昼間も行ったショッピングモール、最上階に深夜営業しているレストランやパブがあった筈だ。

「しかしこれ、えらく淋しくねぇか」
「これが近道の筈なんだけど」

 辺りは嘘のように人気がない。見上げればビルには企業関連の看板ばかりで、夜の日の夜のオフィス街裏通りには誰も用がないのだろう。
 暫く歩いているうちにシドの歩調が落ちた。合わせてハイファも殊更ゆっくりと歩く。

「気付いてるか?」
「さすがに僕でも分かるよ……走る?」
「いや、仕掛けやすい舞台を作ってやるまでだ」
「それにしても情報、早すぎない?」

「だよな。……あのビルのエントランス、柱の陰。いいな?」
「ラジャー」

 ビルの車寄せに天井を支える柱が二本立っていた。直径一メートルほどのそれに辿り着く前にシドが肩を抱いてくる。甘えたように寄り添ったハイファはシドとともに柱の内側に身を潜ませた。傍目、隠れてキスでもしているかのような演出だ。

 カップルが互いに夢中になっている間を狙い、密やかに何者かが近づいてくる。気配はほぼ消されていてハイファは相手が素人ではないことを悟った。
 数メートルまで近づいた敵が気配を露わにする。一人ではない、二人だ。ハイファはテミスコピーを抜いた。勿論シドもレールガンを手にしている。

 殺気が襲いかかった。一瞬前にいた柱に銃弾が撃ち込まれる。派手なマズルフラッシュを吐いた旧式銃がシングルアクションだとハイファは見取りながら、男の一人に向けて二連射を放つ。同時にシドも二射。
 だが自分たちが一撃を躱し得たように、男たちは両肩を砕かれるのを逃れて更に銃撃を重ねてきた。シドがハイファの前に出る。対衝撃ジャケットの腹と胸に着弾、超至近距離。

「シドっ!」
「構うな、一人は残せ!」

 シドが撃たれた怒りを堪えてシドの肩越しにトリプルショット、握った旧式銃を指ごと破壊され、九ミリパラの二射をまともに受けた男が血飛沫を上げて崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。そのときにはもう一人の男もシドに撃たれ、ファイバの地面に転がっている。

 足元に滑ってきた銃は十二連発のラプシン工業製タイスM95、汎銀河条約機構のルール・オブ・エンゲージメント違反品は、シドに蹴り飛ばされてビルの黒い影に消えた。
 男たちが初弾を放ってから、たった五秒足らずの出来事だった。

 しかしシドが食らってしまったのは誤算、ハイファは愛し人の上衣に手を掛ける。腹に触れられたシドは優しくもなまめかしい感触に過剰反応、飛び退いた。

「何すんだよっ!」
「撃たれたでしょ! 九ミリクルツで装薬は少ないけど一メートルもなかったんだよ。何処かやっちゃってる筈、見せて!」
「あとだ、あと。玄人好みのブツで仕掛けてきた奴らにご挨拶が先だ」

 撃たれたショックで朦朧としている男たちを引きずり、シドは二人を並べてビルの根元の植え込みを囲った外壁に凭れさせた。ここならビルの陰で人目にもつかない。
 男の一人を張り飛ばして意識を取り戻させた。しゃがみ込んで訊く。

「お前ら、何者だ?」
「……」
「何故、俺たちを狙う?」
「……」

 男は呻きを押し殺しながら黙秘の姿勢だった。ハイファはその男の横で無造作にもう一人の脚を撃った。十名を死傷させた奴らだ、シドも止めない。

「あんたが喋らねぇと、仲間が風穴だらけになるぜ?」

 男は視線を彷徨わせた挙げ句、冷たい別室員の視線に身を震わせた。再びシドが訊く。

「何者だ、言え」
「……ラプシン工業、グラーダ支社」

 ハイファは思わずシドを見た。何故ここでラプシンなのかが分からない。

「ラプシンの社員とはいえ物騒すぎるあんたらは、いったい何をしている?」
「テスト、シューターだ」

 テストシューター、自社製品の試射をする、いわばプロだった。

「プロのクセに素人を片っ端から射殺して歩いているのは何故だ?」
「……裏切ったから……そう聞いている」
「『エウテーベの楯』がラプシンを、か?」
「直接ではない……子会社、ファラデー社だ。自らのスポンサーであるファラデー社にあいつらは爆弾テロを――」

 二人は顔を見合わせた。どうやらこれもストライク、大魚を釣り上げたらしい。
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