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第53話
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人混みに紛れてゆくベージュのベストの背を見送り、京哉は霧島を振り返った。
「ホテルでお医者さんを呼ぶか、病院に行くか、貴方はどっちがいいですか?」
「私よりお前はどちらがいいんだ?」
「僕は何ともないですよ?」
「嘘を吐くんじゃない。それだけ熱が高ければ自分でも気付いているだろう?」
勿論京哉も自分が例の如くPTSDによる高熱を発してしまったと分かっていた。眩暈を堪えながら殆ど気力だけで立ち歩いている状態だ。だがこの熱にはどんな薬も効かないので自然と熱が下がるまで半日から一日をひたすら耐えるしかない。
そんな医者に診せても意味のない自分より、それこそまだ立ち歩くのも困難な筈の霧島をちゃんとした外科医に診せる方を優先すべきだった。
「僕より貴方です。ホテルか病院、どちらですか?」
真剣に訊くと怜悧さすら感じさせる涼しい表情を崩さない男も真剣に答えた。
「私はお前と私のマンションの部屋に帰る」
「それはまだ無理です。大怪我してるのに長時間飛行機になんて乗せられません」
「怪我はもう大丈夫だ、問題ない」
信用できない口癖を連発して霧島は強硬に帰ることを主張する。
「でも実際、禁断症状が治まるまでこの国にいた方がいいんじゃないでしょうか?」
「いや、基地から持ち出した銃でのスナイプだ。ライフルマークで簡単に足がつく。国際社会の意を汲みビオーラ政府も擁護に回るだろうが、万が一という事もある」
「けど……だったらクスリは捨てなきゃならない。空港は危なすぎるから」
「分かっている、そんなものなど捨てても構わん。だから帰るぞ」
普段と変わらぬ表情ながら、更に出国を強硬に主張する霧島の灰色の目を見て京哉はふと思い至った。年上の愛しい男は躰だけでなく心も傷つき疲れ果てているのだと。パートナーとして可能な限り望みを叶えてやりたかった。本当に無理かと己に問う。
何もかも自分が責任を取るつもりで京哉は携帯を操作しラチェン国際空港発の日本便を調べた。検索結果を霧島に見せつつ覚悟の確認として灰色の目を窺う。
「十八時四十分発の日本便がありますよ。チケットが取れればいいですけど」
二人は検索し探し当てた近くの旅行代理店に飛び込んだ。すると幸い空席があり、チケットを購入できた。そのまま隣のレンタカー屋で乗り捨て前提で車を借り、国際免許を持つ霧島の運転でラチェン国際空港に乗り付ける。
三十分ほどで空港に着くと駐車場のレンタカー屋に指定されたエリアに車を駐め、二人は十七時半まで車の中で粘った。
出航一時間前になって霧島は最後のクスリを二本注射し、京哉と共にレンタカーを降りる。残りのシリンジを駐車場のゴミ箱に放り込んでターミナルビルに向かった。
カウンターでチェックインしコインロッカーのコート類を回収して、銃を持つ二人はセキュリティチェックを往路と同じく政府発行の書類で通過する。
出国審査もクリアし搭乗ゲートに向かうとボーディングブリッジを渡り、客室シートに二人並んで収まった。体調を考慮せずとも空席がビジネスクラスだったのは不幸中の幸いである。
やがて出航すると京哉は窓側シートの霧島にそっと訊いた。
「どうします、もう眠っておきますか?」
「いや、ギリギリまで眠気は溜めておく。だがお前は熱が下がるまで寝ていろ」
しかし京哉は霧島が心配で眠れない。そこで二人はTVで延々と映画を流し見た。京哉が様子を見るにシャルル・ド・ゴール空港での長いトランジットの間、自分と同じく煙草にありついて霧島の苛立ちも幾らかは治まったようだった。
だが再び飛行機に乗り込むと、日本直行という安堵からか霧島は宣言する。
「私はそろそろ寝るからな」
「眠れますか? 眠れそうになかったらコージから睡眠薬を貰ってますけど」
黙って薬のシートを受け取った霧島はプチプチと薬を掌に押し出してワンシート分の十錠全てを口に放り込んだ。水もなしでバリバリと噛み砕き飲み込んでしまう。
あっという間のことで京哉にも止められなかった。
「ちょ、忍さん、幾ら何でも飲み過ぎじゃ……」
言いかけた時には霧島は目を瞑っていて聞く態勢ではない。苛つきから極端な行動に走るのは禁断症状の始まりだと、少し前の特別任務でヘロイン中毒にされた経験のある京哉には理解できた。抑え切れない衝動性が異常行動を取らせるのだ。
額にうっすらと汗が滲んでいるのに気付き、京哉は黙って霧島に毛布を被せると、その下で手を握った。ペアリングを嵌めた手も汗で濡れていて京哉も覚悟を決める。
それからの約十三時間、自分も高熱を発しつつ京哉は殆ど眠らずにずっと緊張し続けた。霧島は無言だったが本当に眠っていないことくらい京哉には分かっている。
目は瞑っていたが冷や汗を浮かべた顔色は真っ白で、握った手に込められた力は増すばかりだったからだ。最後には指が砕けそうな握力で京哉も嫌な汗をかいた。
それでも何とか霧島は耐え抜いて午前七時過ぎに成田国際空港に辿り着いた。
諸々の手続きを終えて自由を得ると京哉は真っ先に一ノ瀬本部長に連絡を取った。
「帰り、電車とバスはつらいでしょう。本部長に覆面を回して貰いましたから」
頷いた霧島は無言でぐいぐいと前のめりに歩いて行く。向かったのは喫煙室だ。しかし煙草に火を点けては幾らも吸わないうちに長い煙草を灰皿に放り込む繰り返しである。そうして四十分ほどの間に霧島は三箱の煙草をだめにした。
こちらはゆっくりと煙草を吸いながら京哉は見守っていたが、内心は霧島の精神がいつ本気でクラッシュしてしまうかという恐怖との戦いだった。
まもなく携帯に連絡が入る。
「ホテルでお医者さんを呼ぶか、病院に行くか、貴方はどっちがいいですか?」
「私よりお前はどちらがいいんだ?」
「僕は何ともないですよ?」
「嘘を吐くんじゃない。それだけ熱が高ければ自分でも気付いているだろう?」
勿論京哉も自分が例の如くPTSDによる高熱を発してしまったと分かっていた。眩暈を堪えながら殆ど気力だけで立ち歩いている状態だ。だがこの熱にはどんな薬も効かないので自然と熱が下がるまで半日から一日をひたすら耐えるしかない。
そんな医者に診せても意味のない自分より、それこそまだ立ち歩くのも困難な筈の霧島をちゃんとした外科医に診せる方を優先すべきだった。
「僕より貴方です。ホテルか病院、どちらですか?」
真剣に訊くと怜悧さすら感じさせる涼しい表情を崩さない男も真剣に答えた。
「私はお前と私のマンションの部屋に帰る」
「それはまだ無理です。大怪我してるのに長時間飛行機になんて乗せられません」
「怪我はもう大丈夫だ、問題ない」
信用できない口癖を連発して霧島は強硬に帰ることを主張する。
「でも実際、禁断症状が治まるまでこの国にいた方がいいんじゃないでしょうか?」
「いや、基地から持ち出した銃でのスナイプだ。ライフルマークで簡単に足がつく。国際社会の意を汲みビオーラ政府も擁護に回るだろうが、万が一という事もある」
「けど……だったらクスリは捨てなきゃならない。空港は危なすぎるから」
「分かっている、そんなものなど捨てても構わん。だから帰るぞ」
普段と変わらぬ表情ながら、更に出国を強硬に主張する霧島の灰色の目を見て京哉はふと思い至った。年上の愛しい男は躰だけでなく心も傷つき疲れ果てているのだと。パートナーとして可能な限り望みを叶えてやりたかった。本当に無理かと己に問う。
何もかも自分が責任を取るつもりで京哉は携帯を操作しラチェン国際空港発の日本便を調べた。検索結果を霧島に見せつつ覚悟の確認として灰色の目を窺う。
「十八時四十分発の日本便がありますよ。チケットが取れればいいですけど」
二人は検索し探し当てた近くの旅行代理店に飛び込んだ。すると幸い空席があり、チケットを購入できた。そのまま隣のレンタカー屋で乗り捨て前提で車を借り、国際免許を持つ霧島の運転でラチェン国際空港に乗り付ける。
三十分ほどで空港に着くと駐車場のレンタカー屋に指定されたエリアに車を駐め、二人は十七時半まで車の中で粘った。
出航一時間前になって霧島は最後のクスリを二本注射し、京哉と共にレンタカーを降りる。残りのシリンジを駐車場のゴミ箱に放り込んでターミナルビルに向かった。
カウンターでチェックインしコインロッカーのコート類を回収して、銃を持つ二人はセキュリティチェックを往路と同じく政府発行の書類で通過する。
出国審査もクリアし搭乗ゲートに向かうとボーディングブリッジを渡り、客室シートに二人並んで収まった。体調を考慮せずとも空席がビジネスクラスだったのは不幸中の幸いである。
やがて出航すると京哉は窓側シートの霧島にそっと訊いた。
「どうします、もう眠っておきますか?」
「いや、ギリギリまで眠気は溜めておく。だがお前は熱が下がるまで寝ていろ」
しかし京哉は霧島が心配で眠れない。そこで二人はTVで延々と映画を流し見た。京哉が様子を見るにシャルル・ド・ゴール空港での長いトランジットの間、自分と同じく煙草にありついて霧島の苛立ちも幾らかは治まったようだった。
だが再び飛行機に乗り込むと、日本直行という安堵からか霧島は宣言する。
「私はそろそろ寝るからな」
「眠れますか? 眠れそうになかったらコージから睡眠薬を貰ってますけど」
黙って薬のシートを受け取った霧島はプチプチと薬を掌に押し出してワンシート分の十錠全てを口に放り込んだ。水もなしでバリバリと噛み砕き飲み込んでしまう。
あっという間のことで京哉にも止められなかった。
「ちょ、忍さん、幾ら何でも飲み過ぎじゃ……」
言いかけた時には霧島は目を瞑っていて聞く態勢ではない。苛つきから極端な行動に走るのは禁断症状の始まりだと、少し前の特別任務でヘロイン中毒にされた経験のある京哉には理解できた。抑え切れない衝動性が異常行動を取らせるのだ。
額にうっすらと汗が滲んでいるのに気付き、京哉は黙って霧島に毛布を被せると、その下で手を握った。ペアリングを嵌めた手も汗で濡れていて京哉も覚悟を決める。
それからの約十三時間、自分も高熱を発しつつ京哉は殆ど眠らずにずっと緊張し続けた。霧島は無言だったが本当に眠っていないことくらい京哉には分かっている。
目は瞑っていたが冷や汗を浮かべた顔色は真っ白で、握った手に込められた力は増すばかりだったからだ。最後には指が砕けそうな握力で京哉も嫌な汗をかいた。
それでも何とか霧島は耐え抜いて午前七時過ぎに成田国際空港に辿り着いた。
諸々の手続きを終えて自由を得ると京哉は真っ先に一ノ瀬本部長に連絡を取った。
「帰り、電車とバスはつらいでしょう。本部長に覆面を回して貰いましたから」
頷いた霧島は無言でぐいぐいと前のめりに歩いて行く。向かったのは喫煙室だ。しかし煙草に火を点けては幾らも吸わないうちに長い煙草を灰皿に放り込む繰り返しである。そうして四十分ほどの間に霧島は三箱の煙草をだめにした。
こちらはゆっくりと煙草を吸いながら京哉は見守っていたが、内心は霧島の精神がいつ本気でクラッシュしてしまうかという恐怖との戦いだった。
まもなく携帯に連絡が入る。
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