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第6話
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「失礼しま~す!」
その甘ったるくも甲高い声で、半分眠りかけていた霧島がピクリと反応し目を見開いた。入ってきたのは警務部の婦警だった。見覚えがあるのはこれまでにもここを訪問したことのある二人組だったからだ。確か既に五十名を超えた『鳴海巡査部長を護る会』の一桁ナンバー会員たちである。
二人の婦警は霧島のデスクの前に立つと、まずは礼儀正しく隊長に身を折る敬礼をしてから京哉に向き直り、手にしていた包みを差し出した。
ピンク色のリボンがヒラヒラくっついている包みからは洋菓子独特の甘い匂いが漂っていて、京哉は霧島の方を窺いながら婦警二人が「差し入れです!」と声を揃えて更に突き出した包みを受け取る。
「今日はナッツたっぷりのバニラクッキーなんです!」
「オリジナルレシピで絶対お勧めなんです! 皆さんでどうぞ!」
いちいち力のこもった科白に京哉も仰け反りつつ頷くしかない。婦警二人は京哉と握手すると「きゃあっ!」と黄色い声で叫んで駆け出て行ってしまった。
それを見送り振り向くと霧島は鉄面皮で京哉を見返している。その僅かな表情の変化から、土鍋性格の年上の愛し人が『水着ショー案件』を思い出したことが分かった。
付き合いも深くなると既にテレパス並みで京哉は灰色の目を見ないようにする。詰め所内が異様に静かになった中、黙って京哉は給湯室から紙皿を四枚取ってきた。
包みを開けて大量のクッキーを紙皿に分けて盛り、あちこちのデスクに配給した。一皿は霧島のデスクに置き自分も大ぶりのクッキーを一枚摘む。涼しい鉄面皮のまま霧島も摘んで一枚食った。一枚を食い終えて茶を啜るまで霧島も皆も無言だった。
「ふむ、なかなか旨いな」
その一言で皆に会話が戻って来て隊員たちはクッキーの出来栄えから婦警のレヴェルの高さまで評価し始める。そのうち若手隊員たちが警務部婦警との合コン計画について話し合い出した。サツカンでも健康な若い男性が考えることは大概同じである。
「今度の祝日月曜の企画、ウチの隊長を引っ張り出せたらいいんだがな」
「無理だろ、隊長はアレだぜ? 鳴海ならともかくとして」
「そっちの方が無理っぽいだろう、隊長が許す訳ないぞ」
「鳴海だけ誘ったら俺たちが射殺されかねん。だからやっぱりここは二人セットだ」
「そいつも無理っぽいが……まあ一応、回覧板で出欠は取ってみようぜ」
「まさかの二人出席なら婦警も人数とレヴェルをグッと上げてくるだろうからな」
また面倒なと思いつつ気にもなって京哉も耳を澄ませて聞いていたが、京哉に聞こえているということは右側の霧島の耳にも届いているということである。様子を窺うと鉄面皮のまま、こちらに灰色の目を向けていて、おそらく興味があると看破されたらしい。
そう気付いた京哉は内心青くなって煙草に逃げた。水着ショーの二の舞はご免である。
その時、霧島のデスクで警電が鳴った。デジタル表示を確かめた霧島は表情を変える。眉間に寄せられたシワの深さで京哉にも電話の相手が分かった。一気に気分が急降下する。
「はい、こちら機捜の霧島」
《わたしだ。悪いが鳴海くんと一緒にわたしの部屋まで来てくれ》
それだけしか言わず警電を切った相手は県警本部長その人だった。このパターン、特別任務が降ってきたに違いなかった。
「酷いですよ、まだ霧島警視は骨折も治りきっていないのに!」
「心配は有難いが静かに喋れ。人目を惹いているぞ」
「僕が黙ってても貴方は人目を惹きますよ、全国ネットで知られているんですから」
京哉を暗殺から救った一件で当時の本部長が暗殺肯定派だったのもあり、機捜を勝手に動かした責任を問われた霧島は減給三ヶ月と停職一ヶ月という異例なまでに厳しいダブル懲戒処分を食らっていた。
普通は懲戒を食らうと以降の昇任が不可能になるため誰もが依願退職するものだが、霧島は警察を辞めなかった。
やましいことなどしていないという信念と、辞めたら『知りすぎた男』として何が身に降り掛かるか知れなかったのもある。
だがそれも表向きの目的で本来は自分自身が単独で企み仕掛けた暗殺肯定派の一斉検挙を最後まで内側から見守り、イレギュラー要素に対処するためだった。そうして見事に霧島は警視庁まで動かし一斉検挙に漕ぎ着けた。
特別任務の場合はあまりに予測不能な事柄が連続で降りかかるので出たとこ勝負が殆どだが、条件さえ揃い本気になったら某大国のスパコンに負けるとも劣らない予測能力で一国の命運すら変えて見せたことのある霧島だ。
その時は肩入れした現地の仲間に有利に事態を転がし、クーデターを成功させ暫定政権を国連に認めさせた。
そんな霧島は暗殺肯定派の件で自身の懲戒処分すら計算に入れていた。おそらくのちに『知りすぎた男』として危険視されることも。
けれど危険視された挙げ句に特別任務なんぞに放り込まれるとまでは予測し得なかった。ただ何らかの使い方をされることは予測済みで、結局降ってくるようになった極秘の特別任務に嫌々ながらも就いて完遂する以上は『上』の秘密も握り続ける意志を示している。
つまり『知りすぎた男』イコール『懲戒食らって飼い殺し』ではないことを体現し却って重用されるに至っているのだ。おまけに霧島カンパニーをカサに着る訳ではないが実際『上』は霧島カンパニー会長御曹司を危険な任務で使い捨てにできない。
他の者に任せられない、能力の高い霧島と京哉にしかできないからこそ危険でも命じるのだが、霧島カンパニー会長御曹司には最大限のバックアップがなされる。
――と云いたいが、やはり目茶苦茶のハチャメチャな事態に陥るのがお約束なのが特別任務であり、霧島も京哉もとうにうんざりしていた。
お蔭で懲戒食らった事実はないも同然の扱いで、現在ではキャリア同期で警視正昇任トップは、やはりトップ入庁の霧島だろうと狭いキャリアの世界では噂されているらしい。それも命あっての物種である。
特別任務は極秘でも、その他のあらゆる意味で有名人である霧島は懲戒の停職中に京哉との密会を某実録系週刊誌にスクープされ、警察の記者会見で顔を晒し、霧島カンパニー会長御曹司としてもパーティー等である種の残念、いや、天然故にメディアに露出して警察内だけでなく全国的にも顔を知られていた。
そのため自分が知らなくても相手は知っているパターンが多い。県警本部では『抱かれたい男ランキング』トップ独走中としても名を馳せている。いわば名物男だ。
その名物男は京哉と共に十六階建て本部庁舎の最上階にある県警本部長室のドアの前に立っていた。既に隣の秘書室に声をかけて取り次いで貰い、入室許可は取ってある。うんざりした挙げ句に文句たらたらの京哉を目で宥め、ドアをノックすると低く通る声をかけた。
「霧島警視以下二名、入ります」
ドアを開けてしずしずと紺色のカーペットに踏み出した。そこでもう来客用ソファに座した二人のスーツ男に気付く。以前にここで会ったことのある男らを見て、京哉も案件の重大さを知ると同時に嫌な予感を胸に膨らませた。
スーツの一人は厚生局の麻薬取締部のトップ、そしてもう一人は何と厚生労働省の国際担当総括審議官だったのだ。
その甘ったるくも甲高い声で、半分眠りかけていた霧島がピクリと反応し目を見開いた。入ってきたのは警務部の婦警だった。見覚えがあるのはこれまでにもここを訪問したことのある二人組だったからだ。確か既に五十名を超えた『鳴海巡査部長を護る会』の一桁ナンバー会員たちである。
二人の婦警は霧島のデスクの前に立つと、まずは礼儀正しく隊長に身を折る敬礼をしてから京哉に向き直り、手にしていた包みを差し出した。
ピンク色のリボンがヒラヒラくっついている包みからは洋菓子独特の甘い匂いが漂っていて、京哉は霧島の方を窺いながら婦警二人が「差し入れです!」と声を揃えて更に突き出した包みを受け取る。
「今日はナッツたっぷりのバニラクッキーなんです!」
「オリジナルレシピで絶対お勧めなんです! 皆さんでどうぞ!」
いちいち力のこもった科白に京哉も仰け反りつつ頷くしかない。婦警二人は京哉と握手すると「きゃあっ!」と黄色い声で叫んで駆け出て行ってしまった。
それを見送り振り向くと霧島は鉄面皮で京哉を見返している。その僅かな表情の変化から、土鍋性格の年上の愛し人が『水着ショー案件』を思い出したことが分かった。
付き合いも深くなると既にテレパス並みで京哉は灰色の目を見ないようにする。詰め所内が異様に静かになった中、黙って京哉は給湯室から紙皿を四枚取ってきた。
包みを開けて大量のクッキーを紙皿に分けて盛り、あちこちのデスクに配給した。一皿は霧島のデスクに置き自分も大ぶりのクッキーを一枚摘む。涼しい鉄面皮のまま霧島も摘んで一枚食った。一枚を食い終えて茶を啜るまで霧島も皆も無言だった。
「ふむ、なかなか旨いな」
その一言で皆に会話が戻って来て隊員たちはクッキーの出来栄えから婦警のレヴェルの高さまで評価し始める。そのうち若手隊員たちが警務部婦警との合コン計画について話し合い出した。サツカンでも健康な若い男性が考えることは大概同じである。
「今度の祝日月曜の企画、ウチの隊長を引っ張り出せたらいいんだがな」
「無理だろ、隊長はアレだぜ? 鳴海ならともかくとして」
「そっちの方が無理っぽいだろう、隊長が許す訳ないぞ」
「鳴海だけ誘ったら俺たちが射殺されかねん。だからやっぱりここは二人セットだ」
「そいつも無理っぽいが……まあ一応、回覧板で出欠は取ってみようぜ」
「まさかの二人出席なら婦警も人数とレヴェルをグッと上げてくるだろうからな」
また面倒なと思いつつ気にもなって京哉も耳を澄ませて聞いていたが、京哉に聞こえているということは右側の霧島の耳にも届いているということである。様子を窺うと鉄面皮のまま、こちらに灰色の目を向けていて、おそらく興味があると看破されたらしい。
そう気付いた京哉は内心青くなって煙草に逃げた。水着ショーの二の舞はご免である。
その時、霧島のデスクで警電が鳴った。デジタル表示を確かめた霧島は表情を変える。眉間に寄せられたシワの深さで京哉にも電話の相手が分かった。一気に気分が急降下する。
「はい、こちら機捜の霧島」
《わたしだ。悪いが鳴海くんと一緒にわたしの部屋まで来てくれ》
それだけしか言わず警電を切った相手は県警本部長その人だった。このパターン、特別任務が降ってきたに違いなかった。
「酷いですよ、まだ霧島警視は骨折も治りきっていないのに!」
「心配は有難いが静かに喋れ。人目を惹いているぞ」
「僕が黙ってても貴方は人目を惹きますよ、全国ネットで知られているんですから」
京哉を暗殺から救った一件で当時の本部長が暗殺肯定派だったのもあり、機捜を勝手に動かした責任を問われた霧島は減給三ヶ月と停職一ヶ月という異例なまでに厳しいダブル懲戒処分を食らっていた。
普通は懲戒を食らうと以降の昇任が不可能になるため誰もが依願退職するものだが、霧島は警察を辞めなかった。
やましいことなどしていないという信念と、辞めたら『知りすぎた男』として何が身に降り掛かるか知れなかったのもある。
だがそれも表向きの目的で本来は自分自身が単独で企み仕掛けた暗殺肯定派の一斉検挙を最後まで内側から見守り、イレギュラー要素に対処するためだった。そうして見事に霧島は警視庁まで動かし一斉検挙に漕ぎ着けた。
特別任務の場合はあまりに予測不能な事柄が連続で降りかかるので出たとこ勝負が殆どだが、条件さえ揃い本気になったら某大国のスパコンに負けるとも劣らない予測能力で一国の命運すら変えて見せたことのある霧島だ。
その時は肩入れした現地の仲間に有利に事態を転がし、クーデターを成功させ暫定政権を国連に認めさせた。
そんな霧島は暗殺肯定派の件で自身の懲戒処分すら計算に入れていた。おそらくのちに『知りすぎた男』として危険視されることも。
けれど危険視された挙げ句に特別任務なんぞに放り込まれるとまでは予測し得なかった。ただ何らかの使い方をされることは予測済みで、結局降ってくるようになった極秘の特別任務に嫌々ながらも就いて完遂する以上は『上』の秘密も握り続ける意志を示している。
つまり『知りすぎた男』イコール『懲戒食らって飼い殺し』ではないことを体現し却って重用されるに至っているのだ。おまけに霧島カンパニーをカサに着る訳ではないが実際『上』は霧島カンパニー会長御曹司を危険な任務で使い捨てにできない。
他の者に任せられない、能力の高い霧島と京哉にしかできないからこそ危険でも命じるのだが、霧島カンパニー会長御曹司には最大限のバックアップがなされる。
――と云いたいが、やはり目茶苦茶のハチャメチャな事態に陥るのがお約束なのが特別任務であり、霧島も京哉もとうにうんざりしていた。
お蔭で懲戒食らった事実はないも同然の扱いで、現在ではキャリア同期で警視正昇任トップは、やはりトップ入庁の霧島だろうと狭いキャリアの世界では噂されているらしい。それも命あっての物種である。
特別任務は極秘でも、その他のあらゆる意味で有名人である霧島は懲戒の停職中に京哉との密会を某実録系週刊誌にスクープされ、警察の記者会見で顔を晒し、霧島カンパニー会長御曹司としてもパーティー等である種の残念、いや、天然故にメディアに露出して警察内だけでなく全国的にも顔を知られていた。
そのため自分が知らなくても相手は知っているパターンが多い。県警本部では『抱かれたい男ランキング』トップ独走中としても名を馳せている。いわば名物男だ。
その名物男は京哉と共に十六階建て本部庁舎の最上階にある県警本部長室のドアの前に立っていた。既に隣の秘書室に声をかけて取り次いで貰い、入室許可は取ってある。うんざりした挙げ句に文句たらたらの京哉を目で宥め、ドアをノックすると低く通る声をかけた。
「霧島警視以下二名、入ります」
ドアを開けてしずしずと紺色のカーペットに踏み出した。そこでもう来客用ソファに座した二人のスーツ男に気付く。以前にここで会ったことのある男らを見て、京哉も案件の重大さを知ると同時に嫌な予感を胸に膨らませた。
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