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第39話

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「では第五出張所へ一度戻りましょう」

 センリーの音頭でメンバーはぞろぞろコイルに乗り込む。
 コイルも泥だらけだ。

「そういやセンリーってば、コイルの手動運転なんかできたんだね。意外な隠し技」

 通常コイルは座標指定して地形を読ませオートで走らせるものだ。シドやハイファはポリアカと軍で手動運転を習ってはいるが、今どき一般人でコイルの手動運転ができる者は珍しい。

「隠していた訳ではありませんが、宙艦の手動操縦に比べれば簡単なものです」
「って、そこで何で宙艦なのかな?」
「わたくし、一時期はテラ連邦軍の宙軍士官を目指しておりまして……ある事情により、返す返すも悔しいことながら、夢は雲散霧消致しましたが――」

 笑い事ではないのだろうが『ある事情』には誰もが吹くのを堪えるのに必死だ。

 第五出張所に着くと二人はなるべく丈の合う社員の服を借りて着替え、泥塗れの衣服をダートレスに放り込んだ。この洗濯物が乾くまでの間にセンリーたちは第一出張所に一旦戻り、往復して着替えてくることになった。

 一日の概念が曖昧になるこの土地では『日帰り』がいつまでなのか決まっていないのも同然であり、ハイファが半ば強引に押し通した視察のやり方からして、センリーも時刻を強く意識した物言いは既にしなくなっている。

 綿密に練り上げ一分の遅滞もないよう組み立てた計画が既に崩れ、幾らセンリーでも気抜けしたのかも知れない。

 第一出張所へと飛び立つ彼らを見送って、ヒマになったハイファは口にした。

「そうだ。あの怪我した人たち、どうなったのかな」
「ちょっと様子見てくるか」

 屋上から階段を下り、食堂のオートドリンカで保冷ボトルのコーヒーを三本手に入れると、通りかかった男性所員を捕まえて場所を尋ね、一階の一番端にある医務室を訪れた。

「何だ、お前さんら。カップルのベッドはねぇぞ」

 何故分かる人には分かってしまうのだろうと、二人で首を傾げながらシドが訊く。

「や、そうじゃなくて。どうなりました、さっきの」

 相変わらずの咥え煙草で、マルチェロ医師は簡易スキャンのポラを窓に透かす。

「おっ、コーヒーか。気が利いてるね。……こっちの奴は右の肋骨が、ほら、ここ三本。で、こっちのが同じく右肋骨が二本折れてるんだが、幸い内臓は異常なしだ。あの状態でこれは奇跡的だな。今はショックがあるから眠らせてるが心配は要らんよ」
「そうですか、良かった。ところでここの部屋の主はいないのかな?」
「一人減り二人減りで、今は何処の出張所にも殆どいねぇなあ。給料は悪かねぇんだがこういう星、それも二百五十日も夜が続くような場所に誰も居着かないのは仕方のないことだろうよ、幾らFCの看板でもな」
「うーん、確かに貴重な人生の数年を過ごすのに短命種のテラ人には、ここはちょっと過酷かも。それも早急に改善するべき事項だなあ。センリーが帰ったら言っておかないと」

 巨大FCの本社新社長に問題は次々と降りかかる。この調子で軍や惑星警察との関係は自然消滅してゆくのかも知れないとシドはぼんやり思った。

 出て欲しくない目が出る確率が高いほどハイファは言いたがらないが、それとは違ってこれはシド個人の現時点での感想である。ハイファの抱いた嫌な確率に関しては別の考えがあった。

 医務室とはいいながらも仮の主は煙草を吸っている。それでシドも窓を大きく開けさせて貰うと煙草を咥えて火を点けた。元より煙草が無害になって久しい。
 だが企業努力として認可された依存物質は含まれている上に、人間は繰り返す行動パターンから精神依存に移行するまであっという間だ。
 それでこの有様である。
 
ほんの僅かにハイファの咎めるような視線を感じながら紫煙を外に向けて吐いた。

「じゃあ先生はここで足止めですかね?」
「いや、本当に心配は要らんからな。別に切開して骨を繋ぐ訳でもねえ、固定帯を巻いて一ヶ月なるべく安静・放置ってとこだ。俺の出番はない。残り二ヶ所回るだけなら付き合える。こういう事故も少なくないから、それぞれの出張所員があらかた心得ているのさ」
「なるほど、そういう基準でも出張所員を選ばなきゃいけないのかあ」
「それにしてもお前さんらが一番患者らしいな、借り着がパジャマとは」

 そう、たまたまこの第五出張所の駐在員は皆が小柄で何とか着られるのが寝間着しかなかったのだ。それでウロウロするのも憚られ医務室に目をつけたのである。

「あいつらの前では言えなかったが、ダートレスなら二十分もせずに洗濯物も乾くんだからな、我慢しろや。五月蠅いお供は往復三時間、その間は羽を伸ばすこった」

 マルチェロ医師はそう言って、うーんと伸びをした。

◇◇◇◇

 第十二鉱区の視察では何も問題なく――第五と同じく労働環境や居住地等の問題は山積していたが――取り敢えずはするするとスムーズに事は済んだ。

 そこでもハイファは第五鉱区と同じ提案をしたが、鉱夫や子供たちの反応も第五の初めと似たようなもので、ここでは一様に茶色い髪に金髪が束で混じった彼らは過剰な期待はより大きな絶望を生むだけだとばかりに、冷たくドライな感触しか返してこなかった。

 セフェロVで最大という第一鉱区へ向かう二時間は、この惑星の夜へと染みこんでゆくような時間だった。BELの中でシドはセンリーに訊く。

「そういや第五鉱区には第五出張所、第十二鉱区には第十二出張所があったが、第一鉱区にもある筈の出張所は誰も第一出張所とは呼ばねぇよな。何でだ?」
「初めてトリアナチウムが採れたのは当然、第一鉱区でした。でもすぐに掘り尽きてしまい一度は閉鎖の話まで出たのです。そんな折に旧第一鉱区の付近で新たな鉱区、現在の第一鉱区が発見されました。当時これ以上の鉱床は見つからないだろうと思われ、それは現在に至るも同じです。ですので出張所も移動し名称も曖昧になったままだとか」
「へえ。名前がねぇんじゃ不便だろ?」
「関係者は皆、記念的な意味も込めて『FC出張所』と呼び習わしております」

 良くある話だ。シドもヒマ潰しに訊いてみたに過ぎない。

「ふうん。……ところでここの人間の髪ってテラ系星人にしちゃ、すごく独特な色ばっかりだよな。何か理由でもあるのか? 異星系との混血とかさ」
「それは耳にされてもあまり気分の良い話ではありませんが……約二十五世紀前の入植時からここは王政を敷いてきました。その中で奴隷層といいますか、まあ、そういった人々にいつの頃からか、あのような特徴的な髪を持たせる遺伝子操作がなされたのは明らかです。それがいったいどのような条件でなされたのかまでは、わたくしも存じません」

 まさかこの現代に於いて奴隷なる言葉をリアルに感じさせられるとは思いも寄らず、シドは実権を持たないと知りつつもハイファの血縁である王族を思い出さずにはいられなかった。
 実際には王族ではなく星系政府の意向なのかも知れなかったが。

「チッ、そんな意味があるのか。奴隷たる者としての遺伝子操作とか、ふざけた世界だぜ」
「ふざけていようが、それが彼らの社会です。幾らFCでも社長のご提案までがギリギリでしょう。それも王族である社長だからこそです。よその星の慣習に干渉はできません」
「んなこた、分かっちゃいるんだがな……」

 だが頭で分かっていても、交易宙艦を敢え無く降りて以来、記憶ある限りテラ本星文化で育ったシドの体と精神は拒絶反応を起こす。それも仕方のないことだった。

 既に窓外は薄暗く、惑星の夜の相の部分にBELは侵入していた。

 やがてBELが減速したので着いたのかと思いきや、ガクンと何かの鈎で引っ張られたような衝撃が起こり、皆、放り出されるような感覚を味わってシートベルトを身に食い込ませる。

「どうしました、機の不具合ですか?」
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