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第27話

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 その果てしない金額に沈黙したシドにレックスは胸を張る。

「支払い能力を調査した上でブローカーはネームに保険を買い取らせる。だが保険とは、いついかなるときも賭けなのだ。そして我々は『結婚指輪からシャツのボタンまで差し出す』。喩えナイトの名が消えようとも、な」
「ふん……別室は結局、ナイト損保を助けるために介入したってことか」
「だからわたしはアルケー星系に行くのだ!」

「逸るなって。……問題は誰が黒幕なのかだが、ここにきて取って付けたみてぇに分かりやすい賄賂なんかを掴ませた辺り――」
「今回の第三者委員会のアルケー星系ツアーは予定になかった?」

 クッキーをコーヒーで流し込んで煙草を咥え、シドは頷く。

「それでも有識者とやらは秘密を知った……やっぱり第一の証拠を掴むには実地見分するしかねぇか」
「よし! 決まりだ! 行くぞ!」

 わぁいと喜ぶ躁男をシドとハイファはじっと見つめた。

「ねえ、レックス。現代では何をするにも何処に行くにも、リモータとIDがなければどうしようもないんだよ?」
「リモータなら持っている! これだ!」

 と、クリーム色のスーツのポケットからレックスは本当にリモータを取り出した。

「あっ、テメェ、それは俺の私物リモータじゃねぇか!」
「クローゼットの引き出しから発見したのだ! ただ何も表示していないのだが」
「だってずっと充電もしてねぇもんよ」

 リモータは僅かな光や振動、生体エネルギーまでをも動力源とする、着けているだけでこちらの腹が減るという貪欲なシロモノだが、あまりに放ったらかしで息の根を止めたらしい。

「充電してやるから寄越せ。でも、だからってIDまでは二人分もねぇぞ?」

 オートドリンカで飲料を買うこともでき、レストランでの無銭飲食防止にはなるだろうが、IDまではどうしようもない。溜息をついてハイファが解決案を出す。

「別室とナイト損保に訊いてみるよ」
「って、ID用意してアルケー星系までつれてくのかよ?」
「仕方ないでしょ、保険の専門家としてオブザーバーだよ」
「保険じゃなくて博打の間違いだろ?」

「もう、どっちでもいいよ」
「ふん。俺たちが博打に手を出したんじゃなければいいけどな」

 そう言った瞬間、上空を旋回していたトリが何かを落とした。シドとハイファは抜群の動体視力でそれが何かを察知、素早く避けるとともにハイファは反射的に、傍に置かれていたモノで落下物をキャッチしてしまう。

「げーっ、キッタネェ!」

 落下物はバードミサイル、いわゆる鳥の糞で、キャッチしたのはボルサリーノだった。
 二人はここにきて初めて萎れるレックスを見た。

◇◇◇◇

 太陽系に出入りするには、土星の衛星タイタンのハブ宙港を経なければならない。ここを通らねば何処にも行けない、要はテラ連邦議会のお膝元であるテラ本星の最後の砦という訳だ。
 本星の宙港からはタイタンへのシャトル便が毎時間出航していた。

 宙港メインビルの二階ロビーフロアにシャトル便は直接エアロックを接続する。そのシャトル便に乗り込む利用客の列に並んで、シドとハイファはレックスがいないことに気付いた。

「おい、あいつは――」

 見渡すとすぐに見つかった。透明素材の壁にへばりついて広大な宙港面を眺めている。

「おーい、レックス! 並ばないと乗れねぇぞ!」

 走り戻ってきたレックスは、緑の目を輝かせながらも素直に並んだ。
 昨日、別室とナイト損保に連絡をすると、すぐに返答がきてレックスはナイト損保と別室とが急遽組み上げたIDデータと新しいリモータを手に入れ、星系外旅行が可能となった。

 カネとチカラ、これ以上ない強力なタッグであった。

 だが喜ぶ本人よりも大変だったのがシドとハイファ……ではなくタマとオウムを一緒くたに預かったマルチェロ医師だろう。狭い一室でケダモノ同士が殺し合わないよう、せめてタマを職場につれて行きたかったであろうに、養殖中のイモムシとカタツムリを食われないようオウムを肩に載せて出勤して行ったのだ。

 さすがは変人、勇気あるな、天晴れだと三人は医師を見送った。

 それから定期BELで一時間半、宙港にやってきたのである。
 徐々に列は進み、チェックパネルの順番が来ると、二人に倣ってレックスもリモータを翳してクリア、難なくエアロックをくぐって客室のシートに収まった。
 いつもなら窓際に座るシドだが、今日ばかりは指定席をレックスに譲る。

 キャビンアテンダントが配る白い錠剤を前に首を傾げたが、ハイファが「ワープ宿酔症止めだよ」と説明するとレックスはポイと口に放り込んだ。

 やがてアナウンスが入り、シャトル便はテラ本星の重力を振り切って上昇を始める。
 ウェザコントローラが働いてか本日は快晴、さほど大きくないシャトル便の窓はあっという間に水色の空から群青色に、群青色から紺色に変わってゆく。紺色がクリアな漆黒となり、シンチレーションを止めた星々が煌めきだすまで数分と掛からなかった。

 その数分間、ずっと息を止めていたのではないかと思うほど、レックスは大仰な溜息を深々とついた。

「素晴らしい! 何とも美しいものだな! それに気付けば躰が浮いておらぬではないか! 宇宙船では躰がプカプカ浮くものだと期待していたのだが」
「G制御装置が働いてるからね」
「そうか。せっかくこうして飲み物も買ってきたというのに残念至極だ!」

 ハイファから借りたショルダーバッグを開け、レックスは飲料を取り出した。

「もしかしてプカプカ浮いてるジュースを飲んでみたかったとか?」
「その通りだ! だが仕方ない。そなたたちも飲むか?」
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