C-PTSD~Barter.3~

志賀雅基

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第35話

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 二人してクルーザーの客室キャビンを覗き込んだ。

 中には七、八名もの男たちが乗り込んでいる。皆が立っているのに対して革張りソファに腰を下ろしウィスキーのらしきものを飲んでいるのは間違いない、あの意外に女が寄ってきそうな顔は県警組対で写真を見た富樫だった。

 それだけではない。甲板には大型バイクのシルエットが三台分あった。

「あれって盗難に遭った高級バイクじゃないでしょうか?」
「おそらくな。国外にでも売り飛ばすつもりだろう。それに面子からしてクスリの洋上取引も兼ねているかも知れん。これは見逃せんぞ、一ノ瀬本部長に貸しができる」
「見逃せんって忍さん、まさか乗り込むんですか?」
「ああ。まだ見つかっていない、こっちだ」
「えっ、そんな、本気ですか?」

 返事もせず霧島は身を低くして移動するとクルーザーの後部に飛び移ってしまう。仕方なく京哉も霧島の腕に飛び込んだ。
 身を屈めたまま甲板を艫に回る。霧島が船尾の大きなハッチを押し上げた。中には船倉に降りてゆく短い階段がある。
 降りてみると意外に天井は高かったが、それでも京哉ですら背を丸めなければならない。

 だがそれよりも京哉には悪臭が敵だった。何度も唾を飲み込んで吐き気に耐えつつ見渡すと、薄明りの灯った空間にはロープやバケツに洗剤の容器、ボロ布などが打ち捨てられていて、あまり人が出入りするようには見えない。隠れ潜むには最適な場所らしかった。

 二人は隅に積んであった木箱に腰を下ろす。

「でも忍さん、僕らは厚生局の麻取まとりでも組対の薬銃課でもないのに……」
「高級バイクに関しては機捜も一度は手を付けた案件だ。おまけに百二十億を稼げるクスリの取引かも知れん。これを見届けなければサツカンではないだろう?」
「だからってもし見つかったら本当に海に『ドボン』ですよ?」
「お前は泳げんのか?」
「頭に一発食らったあとでは自信がありませんね」
「ネガティヴなことを言うものじゃない。顔色が悪いな、少しお前は寝ていろ」
 
 薄明りの中、酷い悪臭に耐えながら煙草すら吸えないのだ。何処からキャビンや操舵室に煙が洩れ出るか分からない。徐々にニコチン切れで苛立ってくるだろう京哉の行動パターンを読み、霧島は小柄な躰を自分に凭れさせ積極的に寝かせようとする。

 温かな腕に凭れたが悪臭が酷すぎて京哉に眠りは訪れない。まもなく上階で動きが感じられた。足音がここまで響き、内容までは聞き取れないが話し声も聞こえる。
 
 まもなくアンカーが巻き上げられる音がした。二人は反射的に腕時計を見る。時刻は零時二分、出航のようだ。耳をすませているとアンカーの鎖が立てるガラガラという騒音に負けじと喋っている甲高い声は間違いない、城山である。

「どうして城山まで暴力団の取引に参加してるんでしょう?」
「幻の百二十億円をエサに海棠組を釣ったつもりだろうが、海棠組も使い走りにされてばかりではないということだ。悪事の共犯者にしてしまえば相手は所詮サラリーマン、脅しの一言で靴でも舐めるようになる。ヤクザの常套だな」
「なるほど。洋上取引までどのくらい掛かるんでしょうね?」
「暗いうちに帰ってくる筈だからな。そう遠くはないだろう」

 本格的に航行し始めたらしく船倉は波の影響を直接受けて結構揺れる。同時に京哉の口数が少なくなった。霧島が様子を見ると酷い顔色をしている。

「無理をさせてすまん。今だけ我慢してくれ」
「大丈夫です。ちょっと臭いが厳しいだけですから」

 ちょっとどころではなく激しい吐き気に苛まれていたがギヴアップする訳にいかない。自分はともかく何としてでも霧島に金星を取らせるつもりでグッと我慢した。

 だが京哉は船酔いを甘く見ていた。数少ない乗船体験は霧島が操舵するクルーザーくらいだが、一度も酔ったことがなかったので逃げ場のない船酔いがどんなにつらいか分からず、ここで初めて体験するハメになったのだ。

「うっ……ゲホッ、ゴホッ!」
「これは失敗したかも知れんな。京哉、すまん」
「いえ、これくらいは……ゲホゲホッ!」

 そこで頭上から影が差した。ハッとして二人は背後を見上げる。身を凍らせたがもう遅い、階段を隠すハッチが大きく開けられて男二人がこちらに銃口を向けていた。

「迷い込んだネズミさん、さっさと出てきて貰おうか」

 嗤いを含んだ恫喝と共にカチリと銃の撃鉄ハンマーを起こす音がして、脅しでなく次は撃たれると二人は悟る。仕方なく身を起こした。
 甲板に出ると京哉はそれどころではないと知りつつ新鮮な潮風で深呼吸する。激しい吐き気を催す悪臭から解放されて心の片隅ではホッとしていた。

 けれど自分が立てた物音で見つかったと思うと悔やんでも悔やみきれない。

 甲板には銃を持った男六人が待ち受けていた。二人の顔を月明かりで確認して一様に下卑た嗤いを洩らす。銃口にものを言わせて二人をキャビンにつれ込んだ。

 キャビンではソファに座り富樫組長と城山がサシでウィスキーを飲んでいた。こちらも不本意な状況で引っ張り出されたのか少々顔色の悪い城山が二人を見上げる。

「おや、霧島さんに鳴海さんじゃないですか。何をしているんです?」
「あんたこそ、ここで何をしている?」
「わたしは富樫さんとナイトクルージングを満喫中ですが、そうは見えませんか?」
「これからヤクザに骨の髄までしゃぶり尽される男の姿なら見えるが」
「わたしには無謀な水泳にトライしようとしているお二人が見えますよ」
「何なら約束を守らない輩を水泳先発隊長に任命してもいいんだぞ」

 不毛な会話を交わしている間に霧島と京哉は武装解除され、携帯まで取り上げられた。
 ここは自分の手錠で縛められる場面だろうと想像していた京哉だったが、二人の顔をじっと見つめた富樫組長が口元に笑みを浮かべて酔狂なことを言い出す。

「やけに綺麗なネズミだね。ここにきて酌でもしてくれないかい?」

 一見して暴力団組長に見えない、割と理知的な風貌の富樫はのんびりとした口調で言った。京哉は霧島と目で頷き合うと富樫の横に腰掛けウィスキーをグラスに注ぐ。
 眉間にシワを寄せた霧島は立ったまま城山のグラスに溢れんばかりにウィスキーを注ぎ入れた。そんな霧島の『酌などごめんだ』という意思表示にも富樫は笑うだけだ。

 だがその笑った目の底に残忍な光が宿っているのを京哉は見逃さない。案の定、すぐにヤクザは馬脚を露した。

 富樫は手下に命じて薄茶色の錠剤を出させる。霧島がシャブ入りだと踏んだ『魔法の薬』だ。その錠剤をウィスキーグラスに四錠も落とし込みグラスを揺らしてクスリを完全に溶かす。

 そしてクスリ入りウィスキーグラスを霧島に突きつけたのだ。

「霧島の御曹司。酌が嫌なら一緒に一杯やろうじゃないか」
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