18 / 48
第18話
しおりを挟む
耳に入った言葉を咀嚼するヒマもなく、京哉はレティクルの中に侵入してきた黒いセダンを注視した。予定より二十分も早くやってきたセダンは路地を走り雪花楼の前で駐まる。ドアが開いてナビシートと後部座席からガードらしきスーツの男が出た。
京哉は静かに息を吸い込んで止める。呼吸を止め、心音に合わせてトリガを引けるのは十秒間が限界、それ以上は脳が酸素不足で精確な狙いがつけられなくなる。
「標的が現れた」
その言葉を待たず京哉の銃は撃発音と共に火を噴いていた。だがマズルブレーキを標準装備した銃はさほどの反動を京哉に与えない。それでも銃口は跳ね上がる。
その衝撃を一呼吸でいなしてボルトを引き排莢すると元の位置にピタリと止めた。
「ヒットだ、鳴海。ヘッドショットだ」
「ヤー、もう二射」
スコープのレティクル内で振り仰いだ勘のいいガード二人が、まともに弾丸が届く筈もないリボルバをこちらに向けるのを見て、京哉はその頭部も連続で撃ち抜く。
「ヒット、オールヘッドショットだ。本当にいい腕だな」
と、褒めたデリクだが、次には苦虫を噛み潰したような顔つきで溜息を洩らした。
「しかし、何もガード二人まで殺らなくても」
「リスクは冒せない」
見られて放置するほど京哉は甘くなかった。平坦に言ってようやく銃を手放す。
風が硝煙を攫ってゆく中、大きく肩で息をついた京哉は身を起こし、急いでショルダーホルスタを身に着けた。デリクの『愉しむなら仕事のあと』という冗談を真に受ける馬鹿はいない。狙撃ポイントからは可能な限り迅速に撤収するのがセオリーだ。
今回は道具を全て回収しなければならない。バーナードファミリーに潜入しているデリクの立場が危うくなる可能性があるからだ。それでも撤収準備は五分と掛からず二人は小走りで階段を駆け下り最上階からエレベーターに乗り込んだ。
またも上手く誰にも行き会わず、ビルの裏口から出る。駐めっ放しだった四駆も無事、デリクが飛び乗るなり後部座席に荷物を放り込んでエンジンを掛けた。京哉はソフトケースを抱えたままナビシートに滑り込む。
だがその時だった。
「日本からわざわざご苦労さんだったな」
錆びたような声と共に背後から京哉の首に腕がきつく巻きついていた。英語で何を言われたのかは分からなかったが事態は明白だった。顔の前でナイフがギラリと窓外の傾きかけた陽光を反射する。仕事を成功させ、油断してしまっていた。
おまけに狙撃で人を殺したあと、必ず発症するPTSDによる高熱まで出してぼうっとしていたのである。
身動きも封じられたまま、国軍情報士官の歪んだ嗤いを見た。
「……何故、デリク=ホフマン中尉?」
「言っただろ、俺は三下の役に飽き飽きしてるってよ。老害はわざわざ日本なんて国から来たあんたが始末してくれた。これからは俺がついてるアンセルム=カミュ、いや、ドン・アンセルム=バーナードの時代なのさ」
ダブルスパイに踊らされマフィアの代替わりの儀式に使われたと知ったらあの日本政府の高級官僚はどう思うだろうか。そんなことが京哉の脳裏を掠めた。
またも英語で錆びたような声の主が喚く。
「この野郎、綺麗な顔してジョンとニックの頭まで割りやがって!」
京哉の右首筋にナイフが押し当てられた。ここまでかと思い京哉は深く長い溜息をついた。もう会えないと思うと乾いた哀しさが押し寄せて、そんな感情に浸りたくない京哉は早くそのナイフで殺して欲しかった。覚悟など五年前にできている。
しかし冷たい刃が肌を切り裂く前に、デリクが錆びた声の主を留めた。
「ゲオルグ、殺るなよ」
「何でだ、デリク。予定じゃここで――」
「ドン・アンセルムの許しは貰ってる。こんな上玉、勿体ないだろうが」
「ふ……それもそうだな」
「今回の褒美さ。しかしこんな綺麗な面して、見事にやってくれたぜ」
ドライバー席から身を乗り出したデリクは、下卑た嗤いを浮かべて京哉の胸元を掴んだ。引き寄せられ上を向かされて強引に唇を奪われる。京哉は力の限り口を閉じていたが生温かい舌が唇を割り、無理矢理歯列を割って入り込んできた。
ここで逆らうのは得策ではないと分かっていながらも、京哉は侵入者に対し反射的に歯を立てている。
「痛っ、この野郎!」
僅かに噛み切られた舌から溢れる血を拭いつつ、デリクは脳震盪を起こしそうなほど激しく京哉を殴りつけた。高熱を出した身はそれだけで朦朧としたが、更に薬品を染み込ませた布で口と鼻を塞がれ、甘ったるい臭いを吸い込まされて、もっと意識が遠ざかる。
「んっ……く――」
気を失う寸前に京哉は届く筈もないのに、霧島の名を叫びそうになり飲み込んだ。口にしなかった自分にほんの少し安堵しながら、京哉は白い闇に意識を溶かした。
京哉は静かに息を吸い込んで止める。呼吸を止め、心音に合わせてトリガを引けるのは十秒間が限界、それ以上は脳が酸素不足で精確な狙いがつけられなくなる。
「標的が現れた」
その言葉を待たず京哉の銃は撃発音と共に火を噴いていた。だがマズルブレーキを標準装備した銃はさほどの反動を京哉に与えない。それでも銃口は跳ね上がる。
その衝撃を一呼吸でいなしてボルトを引き排莢すると元の位置にピタリと止めた。
「ヒットだ、鳴海。ヘッドショットだ」
「ヤー、もう二射」
スコープのレティクル内で振り仰いだ勘のいいガード二人が、まともに弾丸が届く筈もないリボルバをこちらに向けるのを見て、京哉はその頭部も連続で撃ち抜く。
「ヒット、オールヘッドショットだ。本当にいい腕だな」
と、褒めたデリクだが、次には苦虫を噛み潰したような顔つきで溜息を洩らした。
「しかし、何もガード二人まで殺らなくても」
「リスクは冒せない」
見られて放置するほど京哉は甘くなかった。平坦に言ってようやく銃を手放す。
風が硝煙を攫ってゆく中、大きく肩で息をついた京哉は身を起こし、急いでショルダーホルスタを身に着けた。デリクの『愉しむなら仕事のあと』という冗談を真に受ける馬鹿はいない。狙撃ポイントからは可能な限り迅速に撤収するのがセオリーだ。
今回は道具を全て回収しなければならない。バーナードファミリーに潜入しているデリクの立場が危うくなる可能性があるからだ。それでも撤収準備は五分と掛からず二人は小走りで階段を駆け下り最上階からエレベーターに乗り込んだ。
またも上手く誰にも行き会わず、ビルの裏口から出る。駐めっ放しだった四駆も無事、デリクが飛び乗るなり後部座席に荷物を放り込んでエンジンを掛けた。京哉はソフトケースを抱えたままナビシートに滑り込む。
だがその時だった。
「日本からわざわざご苦労さんだったな」
錆びたような声と共に背後から京哉の首に腕がきつく巻きついていた。英語で何を言われたのかは分からなかったが事態は明白だった。顔の前でナイフがギラリと窓外の傾きかけた陽光を反射する。仕事を成功させ、油断してしまっていた。
おまけに狙撃で人を殺したあと、必ず発症するPTSDによる高熱まで出してぼうっとしていたのである。
身動きも封じられたまま、国軍情報士官の歪んだ嗤いを見た。
「……何故、デリク=ホフマン中尉?」
「言っただろ、俺は三下の役に飽き飽きしてるってよ。老害はわざわざ日本なんて国から来たあんたが始末してくれた。これからは俺がついてるアンセルム=カミュ、いや、ドン・アンセルム=バーナードの時代なのさ」
ダブルスパイに踊らされマフィアの代替わりの儀式に使われたと知ったらあの日本政府の高級官僚はどう思うだろうか。そんなことが京哉の脳裏を掠めた。
またも英語で錆びたような声の主が喚く。
「この野郎、綺麗な顔してジョンとニックの頭まで割りやがって!」
京哉の右首筋にナイフが押し当てられた。ここまでかと思い京哉は深く長い溜息をついた。もう会えないと思うと乾いた哀しさが押し寄せて、そんな感情に浸りたくない京哉は早くそのナイフで殺して欲しかった。覚悟など五年前にできている。
しかし冷たい刃が肌を切り裂く前に、デリクが錆びた声の主を留めた。
「ゲオルグ、殺るなよ」
「何でだ、デリク。予定じゃここで――」
「ドン・アンセルムの許しは貰ってる。こんな上玉、勿体ないだろうが」
「ふ……それもそうだな」
「今回の褒美さ。しかしこんな綺麗な面して、見事にやってくれたぜ」
ドライバー席から身を乗り出したデリクは、下卑た嗤いを浮かべて京哉の胸元を掴んだ。引き寄せられ上を向かされて強引に唇を奪われる。京哉は力の限り口を閉じていたが生温かい舌が唇を割り、無理矢理歯列を割って入り込んできた。
ここで逆らうのは得策ではないと分かっていながらも、京哉は侵入者に対し反射的に歯を立てている。
「痛っ、この野郎!」
僅かに噛み切られた舌から溢れる血を拭いつつ、デリクは脳震盪を起こしそうなほど激しく京哉を殴りつけた。高熱を出した身はそれだけで朦朧としたが、更に薬品を染み込ませた布で口と鼻を塞がれ、甘ったるい臭いを吸い込まされて、もっと意識が遠ざかる。
「んっ……く――」
気を失う寸前に京哉は届く筈もないのに、霧島の名を叫びそうになり飲み込んだ。口にしなかった自分にほんの少し安堵しながら、京哉は白い闇に意識を溶かした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる