零れたミルクをすくい取れ~Barter.18~

志賀雅基

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第18話

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 耳に入った言葉を咀嚼するヒマもなく、京哉はレティクルの中に侵入してきた黒いセダンを注視した。予定より二十分も早くやってきたセダンは路地を走り雪花楼の前で駐まる。ドアが開いてナビシートと後部座席からガードらしきスーツの男が出た。

 京哉は静かに息を吸い込んで止める。呼吸を止め、心音に合わせてトリガを引けるのは十秒間が限界、それ以上は脳が酸素不足で精確な狙いがつけられなくなる。 

「標的が現れた」

 その言葉を待たず京哉の銃は撃発音と共に火を噴いていた。だがマズルブレーキを標準装備した銃はさほどの反動を京哉に与えない。それでも銃口は跳ね上がる。
 その衝撃を一呼吸でいなしてボルトを引き排莢すると元の位置にピタリと止めた。

「ヒットだ、鳴海。ヘッドショットだ」
「ヤー、もう二射」

 スコープのレティクル内で振り仰いだ勘のいいガード二人が、まともに弾丸が届く筈もないリボルバをこちらに向けるのを見て、京哉はその頭部も連続で撃ち抜く。

「ヒット、オールヘッドショットだ。本当にいい腕だな」

 と、褒めたデリクだが、次には苦虫を噛み潰したような顔つきで溜息を洩らした。

「しかし、何もガード二人までらなくても」
「リスクは冒せない」

 見られて放置するほど京哉は甘くなかった。平坦に言ってようやく銃を手放す。

 風が硝煙を攫ってゆく中、大きく肩で息をついた京哉は身を起こし、急いでショルダーホルスタを身に着けた。デリクの『愉しむなら仕事のあと』という冗談を真に受ける馬鹿はいない。狙撃ポイントからは可能な限り迅速に撤収するのがセオリーだ。

 今回は道具を全て回収しなければならない。バーナードファミリーに潜入しているデリクの立場が危うくなる可能性があるからだ。それでも撤収準備は五分と掛からず二人は小走りで階段を駆け下り最上階からエレベーターに乗り込んだ。

 またも上手く誰にも行き会わず、ビルの裏口から出る。駐めっ放しだった四駆も無事、デリクが飛び乗るなり後部座席に荷物を放り込んでエンジンを掛けた。京哉はソフトケースを抱えたままナビシートに滑り込む。
 だがその時だった。

「日本からわざわざご苦労さんだったな」

 錆びたような声と共に背後から京哉の首に腕がきつく巻きついていた。英語で何を言われたのかは分からなかったが事態は明白だった。顔の前でナイフがギラリと窓外の傾きかけた陽光を反射する。仕事を成功させ、油断してしまっていた。
 おまけに狙撃で人を殺したあと、必ず発症するPTSDによる高熱まで出してぼうっとしていたのである。

 身動きも封じられたまま、国軍情報士官の歪んだ嗤いを見た。

「……何故、デリク=ホフマン中尉?」
「言っただろ、俺は三下の役に飽き飽きしてるってよ。老害はわざわざ日本なんて国から来たあんたが始末してくれた。これからは俺がついてるアンセルム=カミュ、いや、ドン・アンセルム=バーナードの時代なのさ」

 ダブルスパイに踊らされマフィアの代替わりの儀式に使われたと知ったらあの日本政府の高級官僚はどう思うだろうか。そんなことが京哉の脳裏を掠めた。
 またも英語で錆びたような声の主が喚く。

「この野郎、綺麗な顔してジョンとニックの頭まで割りやがって!」

 京哉の右首筋にナイフが押し当てられた。ここまでかと思い京哉は深く長い溜息をついた。もう会えないと思うと乾いた哀しさが押し寄せて、そんな感情に浸りたくない京哉は早くそのナイフで殺して欲しかった。覚悟など五年前にできている。 

 しかし冷たい刃が肌を切り裂く前に、デリクが錆びた声の主を留めた。

「ゲオルグ、るなよ」
「何でだ、デリク。予定じゃここで――」
「ドン・アンセルムの許しは貰ってる。こんな上玉、勿体ないだろうが」
「ふ……それもそうだな」
「今回の褒美さ。しかしこんな綺麗な面して、見事にやってくれたぜ」

 ドライバー席から身を乗り出したデリクは、下卑た嗤いを浮かべて京哉の胸元を掴んだ。引き寄せられ上を向かされて強引に唇を奪われる。京哉は力の限り口を閉じていたが生温かい舌が唇を割り、無理矢理歯列を割って入り込んできた。
 ここで逆らうのは得策ではないと分かっていながらも、京哉は侵入者に対し反射的に歯を立てている。

「痛っ、この野郎!」

 僅かに噛み切られた舌から溢れる血を拭いつつ、デリクは脳震盪を起こしそうなほど激しく京哉を殴りつけた。高熱を出した身はそれだけで朦朧としたが、更に薬品を染み込ませた布で口と鼻を塞がれ、甘ったるい臭いを吸い込まされて、もっと意識が遠ざかる。

「んっ……く――」

 気を失う寸前に京哉は届く筈もないのに、霧島の名を叫びそうになり飲み込んだ。口にしなかった自分にほんの少し安堵しながら、京哉は白い闇に意識を溶かした。
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