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第25話
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この時間でもまだまだ恒星クセラは頭上で輝いている。それでも塩分を含まない爽やかな海風は散策して火照った躰を冷まし、僅かにかいた汗もたちまち乾かしてくれる。お蔭で気分良く歩いているうちに随分と大使館から離れて、遠くに小さく見えていただけの岩場まできてしまう。
近づいてみると岩場というより、幅が十メートル以上ある大きな岩そのものだった。煙草を消して吸い殻パックを仕舞ったシドは、そこで男の子に還って岩登りを始める。
「ねえ、何かいた?」
「いた! ちょっときてくれ!」
果たして滑らないよう慎重に岩を登ったハイファが見たものは、網で囲われた中にいた、数千、いや、数万匹はいるであろうアカザリガニだった。
タイドプールに棲みついているのではない。人工的な網だけでなく岩場そのものがくりぬかれたように巨大な生け簀になっているのである。半永久バッテリに繋がれたポンプでエアレーションもなされていた。
「うわあ、ここまで沢山いると鳥肌モノかも」
「だよな。で、これって何なんだ?」
「何って、こんな場所でお手軽に密輸品の養殖ってことじゃないの?」
「大使館で使うのを養殖してるんじゃねぇのか?」
「大使館の分は業者が箱詰めにして納入してたじゃない」
「あ、そうか。なら業者が商品をストックしてるとかさ」
「そう思う? ここには大使館とその隣の兵舎からしか降りられないんだよ?」
確かに降りられるのは数本のスロープのみで、この岩場から向こうはビーチではなく荒々しく波頭も高い海になっていた。そして反対側も兵舎の端から延びた高い堤防になっていて、プライヴェートビーチ内への一般人の侵入を阻んでいる。
「船でこれば辿り着けないこともないけど」
「そこまでして治外法権である大使館の領地内に、業者がザリガニを飼う意味がねぇか」
「じゃあ、本当に密輸のブツはこれでビンゴかもね」
「こんな近くで養殖とはな。舐めてやがるぜ」
「確かにね。じゃあ、運び出すのを上手く見張らなきゃ」
密輸出に関わる人物に見咎められないよう、岩場を降りたシドとハイファは速やかに元の大使館裏に戻った。足元を這うヤドカリを眺めながらヒマを潰し、二十一時四十分になって大使館内へと入る。シドはまたエプロンに長靴、ハイファは食堂側で監視だ。
料理長代理が戻ったことで厨房は機能し始めた。牡蠣フライの揚がる香ばしい匂いが漂いだす。その匂いに釣られたように食事組第一陣が早々とやってきた。
心配したがシドはミソスープと牡蠣フライを味覚でチェックしたのみ、あとは厨房スタッフたちに任せてヒマそうである。シドを眺めているだけで幸せなハイファは厨房に一番近い席を確保して、客が捌けてからシドと一緒に食事を摂るつもりだった。
忙しいピークはたちまち過ぎ去って、やがて客も殆どがいなくなる。
「ハイファ、待たせたな。腹減っただろ?」
「ちょっとね。でもリチャードがまだ食べにきてないよね?」
「そういやそうだな」
だが一時間の食事タイムが終わると、時間ピッタリに現地採用のスタッフは勝手にエプロンを外し、さっさと厨房から出て行ってしまった。こういう時間にはルーズではないらしい。
シドはガラガラと動いていたコンベア方式の食器洗浄機を止めると二人分の食事を盛りつけ始める。しかしそこで新たに客が入ってきた。やってきたのはリチャードを含めてスーツ姿の男四名である。
何をしていたのか時間外にやってきた四人は厨房に一番近いテーブルに腰掛けた。たぶんこれでイーノス二等書記官以外の正規大使館要員が揃ったものと思われた。
「丁度良かった。これで皆に紹介ができるよ」
内心何を考えているのか分からないが、朗らかな性質らしいリチャードの音頭で、背が高くシドたちと同じくらい若い赤毛の男が歯切れ良く自己紹介をした。
「駐在武官のジョアン=カーヴィー、原隊はテラ本星中央情報局第六課です」
「第六課って対テロ課だよね?」
ハイファの問いにジョアンは笑って答える。
「そうですね。でも別にここでテラ連邦に対するテロが仕組まれてる訳じゃないですよ。単に情報科ってだけで左遷されてきたんです」
「おいおい、それじゃあ同じ情報科の御仁に失礼だろうが」
横から揶揄してニヤリと笑ったのは三十代半ばくらいの背の低い男だった。
「一等書記官のノーマン=ラングレーだ。出身はパライバ星系、星系政府の外務省で事務官をやっていたが、手当がいいんで転職した。あんたらの次にジョアンと俺がここでは日が浅い」
ノーマンの隣はハイファに匹敵するほど細い男だった。
「一等書記官のユーイン=クラウザー、本星ネオロンドン出身です」
物静かな性質らしく、これもジョアンと同じくらい若いユーインは笑顔を見せるでもなく、視線を足元に落としてしまう。外交官という職に就いている割には社交的ではないらしい。
「イーノスはもう知っているね?」
訊いたリチャードにシドは質問返しをした。
「あいつは何処に行ったんだよ?」
「今日から五日間の休暇申請を受理したところだ」
今まで自分がさせられてきた雑用を『子分』に押し付けて逃げたという訳だ。
近づいてみると岩場というより、幅が十メートル以上ある大きな岩そのものだった。煙草を消して吸い殻パックを仕舞ったシドは、そこで男の子に還って岩登りを始める。
「ねえ、何かいた?」
「いた! ちょっときてくれ!」
果たして滑らないよう慎重に岩を登ったハイファが見たものは、網で囲われた中にいた、数千、いや、数万匹はいるであろうアカザリガニだった。
タイドプールに棲みついているのではない。人工的な網だけでなく岩場そのものがくりぬかれたように巨大な生け簀になっているのである。半永久バッテリに繋がれたポンプでエアレーションもなされていた。
「うわあ、ここまで沢山いると鳥肌モノかも」
「だよな。で、これって何なんだ?」
「何って、こんな場所でお手軽に密輸品の養殖ってことじゃないの?」
「大使館で使うのを養殖してるんじゃねぇのか?」
「大使館の分は業者が箱詰めにして納入してたじゃない」
「あ、そうか。なら業者が商品をストックしてるとかさ」
「そう思う? ここには大使館とその隣の兵舎からしか降りられないんだよ?」
確かに降りられるのは数本のスロープのみで、この岩場から向こうはビーチではなく荒々しく波頭も高い海になっていた。そして反対側も兵舎の端から延びた高い堤防になっていて、プライヴェートビーチ内への一般人の侵入を阻んでいる。
「船でこれば辿り着けないこともないけど」
「そこまでして治外法権である大使館の領地内に、業者がザリガニを飼う意味がねぇか」
「じゃあ、本当に密輸のブツはこれでビンゴかもね」
「こんな近くで養殖とはな。舐めてやがるぜ」
「確かにね。じゃあ、運び出すのを上手く見張らなきゃ」
密輸出に関わる人物に見咎められないよう、岩場を降りたシドとハイファは速やかに元の大使館裏に戻った。足元を這うヤドカリを眺めながらヒマを潰し、二十一時四十分になって大使館内へと入る。シドはまたエプロンに長靴、ハイファは食堂側で監視だ。
料理長代理が戻ったことで厨房は機能し始めた。牡蠣フライの揚がる香ばしい匂いが漂いだす。その匂いに釣られたように食事組第一陣が早々とやってきた。
心配したがシドはミソスープと牡蠣フライを味覚でチェックしたのみ、あとは厨房スタッフたちに任せてヒマそうである。シドを眺めているだけで幸せなハイファは厨房に一番近い席を確保して、客が捌けてからシドと一緒に食事を摂るつもりだった。
忙しいピークはたちまち過ぎ去って、やがて客も殆どがいなくなる。
「ハイファ、待たせたな。腹減っただろ?」
「ちょっとね。でもリチャードがまだ食べにきてないよね?」
「そういやそうだな」
だが一時間の食事タイムが終わると、時間ピッタリに現地採用のスタッフは勝手にエプロンを外し、さっさと厨房から出て行ってしまった。こういう時間にはルーズではないらしい。
シドはガラガラと動いていたコンベア方式の食器洗浄機を止めると二人分の食事を盛りつけ始める。しかしそこで新たに客が入ってきた。やってきたのはリチャードを含めてスーツ姿の男四名である。
何をしていたのか時間外にやってきた四人は厨房に一番近いテーブルに腰掛けた。たぶんこれでイーノス二等書記官以外の正規大使館要員が揃ったものと思われた。
「丁度良かった。これで皆に紹介ができるよ」
内心何を考えているのか分からないが、朗らかな性質らしいリチャードの音頭で、背が高くシドたちと同じくらい若い赤毛の男が歯切れ良く自己紹介をした。
「駐在武官のジョアン=カーヴィー、原隊はテラ本星中央情報局第六課です」
「第六課って対テロ課だよね?」
ハイファの問いにジョアンは笑って答える。
「そうですね。でも別にここでテラ連邦に対するテロが仕組まれてる訳じゃないですよ。単に情報科ってだけで左遷されてきたんです」
「おいおい、それじゃあ同じ情報科の御仁に失礼だろうが」
横から揶揄してニヤリと笑ったのは三十代半ばくらいの背の低い男だった。
「一等書記官のノーマン=ラングレーだ。出身はパライバ星系、星系政府の外務省で事務官をやっていたが、手当がいいんで転職した。あんたらの次にジョアンと俺がここでは日が浅い」
ノーマンの隣はハイファに匹敵するほど細い男だった。
「一等書記官のユーイン=クラウザー、本星ネオロンドン出身です」
物静かな性質らしく、これもジョアンと同じくらい若いユーインは笑顔を見せるでもなく、視線を足元に落としてしまう。外交官という職に就いている割には社交的ではないらしい。
「イーノスはもう知っているね?」
訊いたリチャードにシドは質問返しをした。
「あいつは何処に行ったんだよ?」
「今日から五日間の休暇申請を受理したところだ」
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