アムネジアの刻印~Barter.14~

志賀雅基

文字の大きさ
15 / 41

第15話

しおりを挟む
 走り出したタクシーの窓外を霧島はじっと眺めていた。書類仕事を放擲しては普段警邏などで行き来している道を覚えているのかいないのか、表情からは読めない。

 そうして県警本部に着くと京哉は少し考えて裏に駐めた白いセダンに向かい、霧島を助手席に乗せた。自分は運転席に収まると携帯で一ノ瀬本部長に現状報告をしてからマンションに帰ることにする。本部長は霧島が記憶喪失と聞いて大層焦っていた。

 構わず京哉は白いセダンを出してマンションに向かって走らせ始める。けれどそれこそ毎日通っている道を霧島が覚えているのかどうかも分からなかった。霧島はサイドウィンドウの外にばかり灰色の目を向けていて、殆ど京哉を見ようとしない。

 真城市内のマンション近くの月極駐車場に着くまで互いに何も喋らなかった。

 また霧島をゆっくり歩かせてマンション五階の角部屋五〇一号室に辿り着く。京哉がキィを出してロックを解きドアを開けた。玄関で霧島を促して靴を脱がせると上がらせる。

 リビングのエアコンを入れて温かな空気が充満するまでの間、霧島はコートも脱がず銃も吊ったままで、じっとキッチンに立ち尽くしていた。記憶を探っているのか。

「覚えていませんか?」
「いや、何となく分かる……気がする」

 ということは覚えていないのだろう。京哉が電気ポットの水を取り替えてセットするのを見ながら霧島は少し考えてからポケットを探り煙草を取り出して一本咥えた。火までは点けない。そこで京哉は手を差し出して霧島に笑いかけつつ言ってみる。

「吸うのは構いませんが、オイルライターは僕のです」
「ん、ああ、これか。これも見たことが……あるような気がする」
「これ、忍さんの父上から僕が頂いたものですから」

「そう、か……私には父もいるのか」
「取り敢えずはこの部屋での生活に慣れてから会いに行きましょう」

 返されたライターを換気扇の下にあった灰皿と一緒にしてテーブルに置いた。

「いつまでもそのままじゃ重たいでしょう。こっちに来て下さい」

 寝室に霧島をつれて行きコートとスーツのジャケットを脱がせ、ショルダーホルスタを外してやる。自分も同様にするとベッドサイドのライティングチェストを示した。

「手錠ホルダーに特殊警棒だのが着いた帯革や、銃とホルスタにスペアマガジンなんかのサツカングッズは、全てこの引き出しが定位置ですからね」

 二人分の銃その他を並べて引き出しを閉め、あとは自分がチェックのシャツにセーターとジーンズの普段着に着替える。脱いだものをハンガーに掛けながら説明した。

「貴方は普段からドレスシャツとスラックスですが、この際ラフにシャツとカーディガンなんかどうです? あ、でも全身打撲だから却って全てオーダーメイドのドレスシャツやスーツ類の方が楽かも知れませんね」
「ん、ああ、この格好で構わない」

「そうですか。やっぱり普段通りの格好が落ち着くのかな。でも外に出る時はジャケットとコートをちゃんと着て下さいね、風邪を引きますから。了解?」
「ん、ああ」
「じゃあ洗面所でしっかり手洗いとうがいです。そうしたらコーヒー淹れますから」

 明るく言い洗面所につれて行く。自分も洗面所を使ったのちキッチンに戻った。マグカップ二つにインスタントコーヒーを淹れたが霧島はふらりと寝室に消える。椅子に腰掛けて京哉がコーヒーを飲んでいると霧島が出てきた。右手に銃を持っている。

 そのまま霧島はキッチンではなくリビングの二人掛けソファに腰を下ろした。僅かに淋しい気もしたが京哉は表情に出さず、噛んで出来た舌の傷を考慮して少し冷ましたマグカップをロウテーブルに置いてやり、自分はまたキッチンの椅子に戻る。

 続き間で引き戸は開け放してあるので霧島の様子はちゃんと分かった。
 眺めていると霧島はロウテーブルでシグ・ザウエルP226の分解結合を始める。

「そういうのは覚えてるんですね」
「手が勝手に動く」
「でも左腕は吊っておかないと。折れたら困るからギプスも巻いてあるんだし」

 言われて納得したのか霧島はまた立って銃をしまいに行き、戻ってくると思い出したようにキッチンのテーブルに置いてあった煙草を手にした。抜いていた一本を咥え直してオイルライターで火を点けると灰皿がこちらにあるからか、今度は京哉の向かいの椅子に座る。

 京哉はリビングのマグカップを回収し、再びぬるめのコーヒーを淹れてやった。

「病院で聞いて、私は自分を刑事だと思ったんだが学生だったのか?」
「えっ、どうして?」
「これが……」

 と、ポケットから青峰大学の学生証を出し、

「コートに入っていた」

 咥え煙草で喋る霧島は結構本気で悩んでいるらしい。微笑んで京哉は立つと自分の学生証を持ってくる。すると余計に混乱したか霧島は黙り込んでしまい、京哉は少々慌てた。

「刑事っていうより貴方は機動捜査隊長です」
「そう言えば病院でも隊長、警視と言われたが、私はそんなに偉いのか?」
「忍さんはキャリアですから。キャリアって分かりますか?」

「ああ、分かる。だが機捜隊長がどうしてこんなものを持っている?」
「捜査でね、学生のふりをしてただけです」

 そう言ったが霧島は納得していないようである。切れ長の目を眇めて見返された。潜入捜査など機捜隊長の職掌にないのだから当然だ。そこを深く突っ込まれたくなかった京哉はテーブル上の煙草を手にすると一本咥えてオイルライターで火を点ける。

「それで、霧島忍と鳴海京哉は結婚しているのか?」
「ぶっ、ゲホゴホ……何です、いきなりそれは?」

「病院で刑事が私のことを『ダンナ』とも言っていた」
「まだ日本の法律で同性婚は認められていないんですけど」
「分かっている。だが同じ指輪もしているし、事実婚ということもあるだろう?」

 切れ長の目の真剣な色に笑うこともできなくなって、京哉は考えつつ答えた。

「うーん、どうなんでしょうね。忍さんが感じたままに思ってくれたらいいですよ」

 そこでやや俯いて考え込んでしまった霧島に京哉はふっと微笑む。

「無理しなくていいですから。僕のことは気にしないで下さい」
「無理はしていないが、気にはなる。一緒に住んでいるのだろう?」
「あー、ええと、そうなんですけど、ほら、リビングのソファでも眠れますから僕」

「ベッドはダブルだったが」
「でも僕、コンパクト設計ですし、それにそもそも貴方との出会いからして結構いい加減で、貴方から『誰でも良かった』なんて言われちゃったくらいですし」

 何だかもう自分が喋るたびにドツボに嵌ってゆくのを痛切に自覚し、泣きたい気分になった京哉だったが、今現在の状態の霧島に対して都合良く自分を刷り込むことはできなかった。
 それなら迷走せずにあるがままを告げたら良さそうなものだが、自分と関わり霧島が傷ついたことを数え上げてしまい、すっかり自信を失くしていたのである。

 自分は霧島がいなければもう生きてはいけないほどに愛してしまった。
 だが霧島にしてみたら疫病神のようなこの自分と関係を断つチャンスなのではないかと思ったのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

明治かんなぎ少女の冥契 五百年の時を超えて、あなたに愛を

花籠しずく
キャラ文芸
 ――ですが、わたくしは生まれました。あなたに会うために。  月のものが来るようになってから、琥珀は不思議な夢を見る。誰かに探されている夢。きっと大切な人だったことは分かるのに、目が覚めると朧気で何も思い出せない。婚約者である志貴の言いなりの人形になる生活をし、生家とは会うと脅され、心が疲弊していたある日、家からひとり抜け出すと、妖魔のようなものに出会う。呪術師である志貴に、一時祓ってもらいはしたが、不思議と心が痛む。夢に美しい男が現れ、声に導かれるようにして、ある山のふもとの、廃れた神社の中に入ると、そこには苦しそうに蹲るあの妖魔がいた。琥珀はそれが夢に現れた、蘿月という男だと直感する。全身が黒い靄で包まれた彼の、靄を払う方法を、どうしてか琥珀は知っていた。口づけをし、息を吹き込むように、生きて、と願った。  帰ってすぐに志貴に殴られ、月のものがはじまっていたことが志貴にばれる。琥珀を穢そうとする志貴の様子に恐ろしさを覚えて、助けてと叫んだその瞬間、闇を裂くようにして、蘿月が現れた。 「琥珀は、俺が五百年待ち望んだ花嫁だ」  これは、時を超えて紡がれる愛の物語。そして虐げられた少女が、愛を知り、愛のために生きる自由を選ぶ物語。 ※R-15っぽいゆるい性描写があります。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

あやかし帝都の婚姻譚 〜浄癒の花嫁が祓魔の軍人に溺愛されるまで〜

鳴猫ツミキ
キャラ文芸
【完結】【第一章までで一区切り】時は大正。天羽家に生まれた桜子は、特異な体質から、家族に虐げられた生活を送っていた。すると女学院から帰ったある日、見合いをするよう命じられる。相手は冷酷だと評判の帝国陸軍あやかし対策部隊の四峰礼人だった。※和風シンデレラ風のお話です。恋愛要素が多いですが、あやかし要素が主体です。第9回キャラ文芸大賞に応募しているので、応援して頂けましたら嬉しいです。【第一章で一区切りで単体で読めますので、そこまででもご覧頂けると嬉しいです】。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...