Hip Trap Network[ヒップ トラップ ネットワーク]~楽園23~

志賀雅基

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第6話

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 中央階段を駆け下りエントランスから外に飛び出すとシドは周囲を見渡したのち、僅か三名の通行人にID提示を願い、目撃情報を求めて訊いて回る。
 だが何の手掛かりも得られず、先程の部屋に戻るしかなかった。

「くそう、ジェムなんかに気を取られてなかったら……チクショウ!」

 掛ける言葉もなくハイファは黙ってシドに付き従っている。
 毒づくうちに緊急音が響いてきた。現場をこれ以上荒らす訳にもいかず、シドとハイファは二〇六とプレートの嵌った玄関の外でじっと待った。
 それから二分と経たずに同輩たちが現着する。

 まずは機捜課の主任であるゴーダ警部がシドの背をどついて通った。

「イヴェントストライカ、殺しとは頂けねぇな」

 ゴーダ主任のバディであるペーペー巡査のナカムラが気の毒そうに通過し、次にポリアカでのシドの先輩でもあるマイヤー警部補が涼しげに微笑んでいった。

「なかなかにイヴェントストライカらしい現場のようですね」
「シド先輩、イヴェントストライカの面目躍如じゃないっスか」

 後輩であるヤマサキにシドが膝蹴りを入れている間に鑑識がどやどやと入って行き、締めは捜査一課の一団である。中でも一番くたびれた半袖ワイシャツ姿のヘイワード警部補がシドの肩を叩いていった。

死体オロクこさえて帳場まで立ててくれるとは涙が出るぞ、イヴェントストライカ」

 帳場とは重要案件が発生した際に立てられる捜査本部のことである。ひとたびこれが立つと組み込まれた捜査員はまさに寝食を忘れさせられてホシを全力で追うことになるのだ。

「シド、貴方の方が涙が出そうだよね、可哀相に」
「……うっ!」
「貴方さえ悪者になれば、みんなが納得するんだから。僕の胸で泣いていいよ」
「誰が泣くか! ざけんなよ、チクショウ! 絶対にホシを挙げてやる!」

 叫んだシドは室内にドカドカと踏み込んだ。ハイファがしずしずと続く。

「で、どうなんだ?」

 全員が鑑識の配った白手袋を嵌め、白い特殊布の袋を靴の上から履いた中、玄関先でシドは鑑識に訊いた。紺の上下にキャップを被った女性鑑識員が答える。

「リモータからマル害はマイルズ=レイン、テラ標準歴二十九歳。職業は普通に会社員みたいね。あと使用されたのは大口径の旧式銃、四十五口径だと思うわ。左肩に二発と頭に一発よ」

 熱変色で濁った真鍮色のエンプティケース、空薬莢を鑑識員はシドに見せた。

「このテラ本星セントラルエリアで立派な得物をお持ちじゃねぇか」
「わたしに八つ当たりしないでくれるかしら」
「ふん、それで?」
「死にたてほやほやってことくらい。リモータをICSに回して、それからよ」

 ICSは署で機捜課の頭上三フロアを占めるインテリジェンスサイバー課のことだ。IT犯罪を専門に追うセクションである。
 片手を挙げて礼を言い、シドはハイファと室内を巡ってみた。ここはマンションでも単身者か核家族用らしく、リビングの他には寝室がひとつとキッチンにバス・トイレしかない。

 特に目を惹いたものといえば寝室のデスク端末が立ち上げられたままで、ホロディスプレイもワイドでいやに立派なものだったことと、デスク上に精密工具と細かな部品のようなものが散っていたことくらいである。

 他は荒らされた形跡もなく綺麗なものだった。

「物盗りじゃねぇのは確かだな」
「そうだね。抵抗するヒマもなく『バーン!』みたい」
「マル害は室内側から撃たれてた。マル被は窓から侵入したのか……それともマル害が逃げようとしただけ、一旦室内に上げたということは顔見知りの線かも知れんな」

 貫通弾が当たって凹んだ玄関ドアをシドは検分する。その弾は砕けていてライフルマークを特定するのは不可能だと鑑識から聞いていた。

「四十五口径なんぞ使ってプロか……いや、肩に二発は外したのか?」

 殆ど独り言のように呟き、シドはもう一度死体を眺めた。眉間に一発を食らい、仰向けになって見開いた水色の目はまだ角膜が混濁していない。お揃いのような二の腕のボディジェムが澄んだ水色で、だが生なき者を象徴するかのように一片の光も溜めてはいなかった。

 一方でシドの切れ長の黒い目に煌めきが宿っているのをハイファは黙って見つめる。

「くそう……」

 低く毒づいたシドの醸し出す雰囲気に誰もが話しかけなくなっていた。
 一通りの鑑識作業が終わり実況見分を済ませるともう十七時過ぎだった。

「ハイファ、帰るぞ」
「まさか、ここに及んで歩いて帰るの?」

 そこにやってきたヤマサキがシドの不機嫌を察知できず、またも朗らかに言う。

「シド先輩、ヴィンティス課長からの伝言っス。『絶対に歩いて帰るな、BELで帰れ』だそうっス。課長、殺しと聞いて青くなってたっスよ、あれは相当胃もやられて……ぐぎげっ!」
「ふん、課長の胃袋なんぞ知ったことか」

 ヘッドロックを掛けておいてシドはヤマサキをポイと放り出し、さっさと二〇六号室をあとにした。中央階段を駆け下りて機捜の第一陣と共に緊急機に乗り込む。勿論ハイファも一緒だ。歩けば四十分ほど掛かる距離をBELは五分に短縮する。

 だが一緒に帰ってきたマイヤー警部補が、

「皆さん、十七時半になりました。定時ですよ。今晩の深夜番はヨシノ警部とケヴィン警部の幹部コンビです、挨拶をして帰りましょう」

 などと爽やかに宣言する中、シドとハイファは書類との格闘である。

 単独時代から遊撃的な身分とされてきたシドは現在に至るも、どの班にも属していない。何も優遇されているのではなく特定人員だけに負荷が掛かるのを避けるためだ。バディのハイファも同様で、仕事のキリさえよければ定時で上がれるのである。
 しかしシドは今日中に終わらせる勢いで書類に向かい続けた。

 多機能デスクから時折恨めしそうにこちらを見るブルーアイをガン無視しつつ、シドは四枚の書類と始末書A様式とC様式を一枚ずつ書き上げる。
 屈辱のダブル始末書は、あのような場所でぶちかましたことと、マル害の部屋のドアと建材を破壊したことによる。その点ハイファは無罪放免、これもシドの怒りを煽った。

「チクショウ、頭、削られかけたんだぞ!」

 喚くシドにハイファは宥める口調だ。

「もういいじゃない、終わったんだから」
「終わってねぇよ、事件は」
「分かってるよ、そんなことは。でもほら、タマが待ってるし帰ろうよ」

「嫌だ」
「嫌だって貴方……」

 呆れたハイファを前にシドは咥えていた煙草を捻り消すと対衝撃ジャケットを羽織って深夜番の許に行き、挨拶をしてからデジタルボードの自分の名前の欄を『在署』から『自宅』に変えた。すたすたとデカ部屋を出るとエントランスではなく階段に向かう。

「帰るんじゃないんだ?」
「五階に寄ってから帰る。悪いな」

 ハイファは黙って首を横に振った。シドが目前でホシを取り逃がし、どんなに悔しい思いをしているのか、傍にいる自分が一番理解している。
 シドはシドで料理などできない自分と違い、帰ればハイファにはまだキッチンでの仕事が残っていることを忘れていない。尤も、半ば趣味でやっているのも知ってはいるが。

「帳場、まさか今日のウチに立っちゃうの?」
「いや、明日の朝イチだろ。だから帰ったらさ」
「ん、何?」
「今晩、な?」

 ふいに耳許に吐息を掛けられハイファは目元を染めて俯き階段を上った。

 五階は捜査一課、目的地は大会議室である。ホシがキンパイにでも引っ掛からなければ明日には立つ帳場、外様の機捜のように暢気にはしていない筈だった。
 そろそろ得られた情報が捜査戦術コンにぶち込まれた頃である。機捜のデカ部屋でも情報だけなら見られるが、他の捜査員の意見を聞くことはできない。

 五階大会議室の前に二人は立った。いつも帳場が立てられるのはここ、廊下では警務課の婦警が帳場の準備で戒名と呼ばれる帳場名を記した長い紙切れを制作中だった。それには『マンション地区射殺事件捜査本部』と印字してある。

 オートドアから滑り込むと大会議室内は、ここも帳場準備の警務課婦警と捜一の人員がうようよしていて、にわかに酸素すら薄い気がする状態だった。
 人をかき分けるようにしてヘイワード警部補の元に辿り着く。

 開口一番シドが訊いた。

「ICSのリモータ解析は出ましたか?」
「いや、まだだ。あそこもここのところ忙しいらしくてな」
「何か抱えてるんですか?」
「ああ。ニセクレジット入りのリモータがそこら中に溢れてるらしいぞ」

「へえ。溢れてて、何だって捕まらないんですかね?」
「何でもニセクレジットで捕まった奴は、皆が皆『自分は知らない』の一点張りなんだそうだ。それも殆どが立件にも二の足を踏む低額だって話でな」

 詳しく訊けば低額も低額、二桁からせいぜい四桁ということで、それはそれでICSも気の毒な限りだとシドは思った。だが今はもっと気になることを目で追っている。
 気になること……こんな所に居るべきではない人物が、居て当然のような顔と態度を、室内隅になるべく目立たぬよう佇んでいたのだ。

 思わずシドはハイファと共にそいつをガン見しながらヘイワード警部補に訊いてみた。本当なら直接その男に訊きたいところだったが、僅かにシドと目が合ったと思った瞬間、その男は目で哀願するかのように『関わらないでくれ!』と明らかに訴えていたからだ。

「ところでヘイワード警部補、あの男、あんまり見ない顔じゃないですか?」

 切れ長の視線を辿ってチラリと見たヘイワード警部補が答える。

「捜査二課の名物男だが、知らないのか?」

 知らないのかと訊かれれば大変よく知ってはいたのだが、こんな所で見かけるとは思っても見なかったのでシドですら内心驚いていた。お蔭で誤魔化さねばならないと瞬時に悟りつつも返事は上の空になる。

「え、あ……捜査二課ですか。今、知りましたよ。なあ、ハイファ?」
「そう、だね……僕も知らなかったです。いつからいるんですか?」

 二人が疑問を抱いたその男は、元々他星系の惑星内配置テラ連邦軍の憲兵隊長でシドとハイファの別室任務に絡んで軍功を立てたためにテラ本星に異動、中央情報局第六課(対テロ課)にいたが、自ら望んで別室入りを果たした、シドにしてみれば物好きを超えて珍奇な男である。

 名はリカルド=マウロ、テラ連邦軍での階級は一等陸尉。ここに至っても茶色く長めの髪をオールバックにした上、顔にはトレードマークのヒゲを生やしたままだった。

 シドとハイファは既に「何かの別室任務での潜入だろう」と気付いてはいたが、自分たちが聞かされていないという事は全く関係ない別室案件が立ち上がっているという証左だ。喩え別室員同士でも己に与えられた案件は秘匿し、おいそれと喋る訳にはいかない。
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