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第9話
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どんなに汚染されていても主が土足厳禁を言い張る部屋にハイファは靴を脱いで上がる。
「お邪魔しまーす。うん、まだ大丈夫だね」
先日ハイファが怒り狂って掃除をしたばかりなので今日は床が綺麗に見えていた。飲料の空ボトルが数本と『AD世紀の幻のプラモシリーズ』の部品と工具が散っているだけである。
それでも我慢がならずに飲料の空ボトルを入り口に並べた。
硬い寝台にハイファは腰掛け、シドは床から掌サイズの灰皿を取り上げて自分も寝台に並んで腰を下ろす。ハイファはバディの不機嫌を察知して殊更明るい声を出した。
「さあて、別室任務のお時間ですよー」
「くそう……本業やってるヒマもねぇな」
最初の頃は『俺は軍人でも別室員でもねぇんだぞ!』などといってはゴネたシドだったが、最近はあまり抵抗しなくなっていた。拒否権など何処にもないのだ。だからといってこのリモータも外そうとして外せない訳でもない。何が鳴り出そうと捨ててしまえばそこまでだ。
けれど外さないのは惚れた弱みで『この俺をやる』と宣言した男は、ハイファ独りで危険な任務に送り出すことができなくなってしまったのである。
だが任務が降ってきて喜ぶ脳天気でもないので、ポーカーフェイスながらも不機嫌オーラを振り撒いているのだ。心の中では別室長ユアン=ガードナーへの怨嗟の罵倒を並べている。
「まずは内容だけでも見てみようよ」
「開封した瞬間に『命令受領』がフィードバックされるんだろうが」
「それはそうだけど……急ぎだと困るから、見よ?」
溜息ひとつ、シドはスリーカウントでリモータ操作するハイファに倣った。
小さな画面に浮かび上がった緑色の文字を読み取る。
【中央情報局発:コリス星系第四惑星リューラに於いて海洋性人種を違法に取引するグループが存在する疑惑が浮上。その疑惑解明に従事せよ。選出任務対応者、第二部別室より一名・ハイファス=ファサルート二等陸尉。太陽系広域惑星警察より一名・若宮志度巡査部長】
「ふうん、想像通りの任務じゃねぇか」
「まあ、流れから言えば順当だよね」
「けど【海洋性人種を違法に取引】って何だよ、まるで違法じゃない取引があるみたいな書き方だよな?」
そう言って煙草を咥えたシドにハイファは頷いた。
「その通り、コリス星系に於いて海洋性人種を取引するのは違法じゃないんだよ」
「そういやお前は行ったことがあるんだっけな」
「まあね、任務で一度だけ。そのとき僕は人魚の肉を食べさせられたよ」
「げっ、まさか俺たちも――」
「行けば食べさせられる可能性はあるよね」
「マジかよ?」
異星の食文化は怖い。ときに皿を這っていたりスープを泳いでいたりする。だがあの水槽に沈んだ人魚たちを見たあとでは、それ以上にインパクトのある情報だった。
「……俺、ちょっと今回は自信がないかも知れん」
「味は悪くなかったし、普通のお肉と変わらなかったよ」
「勘弁してくれ。それより何で単なる人身売買に別室が乗り出したんだ?」
「それはたぶん海洋性人種の数が激減したからじゃないのかな?」
リモータ操作したハイファはアプリの十四インチホロスクリーンを立ち上げ、一緒に送られてきた資料のファイルを映し出す。ざっと目を通してから一部を指差した。
「ほら、ここ。現在のコリス星系第四惑星リューラに於ける海洋性人種の人口の推移だよ」
「確かに激減してるな。元は十万人以上いたのが今は五千を切ったってか」
「このまま【違法な取引】で絶滅でもさせて汎銀河条約機構にでも知られたら、ここぞとばかりに異星系人種からテラ人は叩かれる。だからじゃない?」
「ふん、ショートサイクルながらバイタリティで以て幅を利かせるテラ人が、今までどれだけの種を絶滅させてきたか、異星人が知ったら吃驚仰天するだろうぜ」
鼻を鳴らしてシドは灰皿に煙草の灰を弾き落とす。
「それは置いといて、あそこは特殊な世界だからね。覚悟しておいて貰わないと」
シリアスなハイファの様子にシドはやや退いた。
「何だよ、その特殊な世界っつーのは?」
「高度文明圏でありながら、ある程度のカルチャーダウンをしてるってこと」
「今どきカルチャーダウンかよ。そいつは不自由しそうだな」
例えば王政の維持や、他星文化の流入を拒んだ完全自給自足政策などで、文化程度を自ら落としていることをカルチャーダウンというのだ。
「故に有人惑星一個につき、テラ連邦軍基地を一ヶ所ないし駐屯地を三ヶ所置くっていうテラ連邦議会の意向もここは護られてない」
「それでも異星系に取られねぇように、上空からは見張ってるんだろ?」
「勿論、巡察艦が常に張りついてるよ」
「じゃあ最悪、助けは求められるってことだな」
そんなナニかを予想しなければならないほどに今までの任務は過酷だったのである。
「ンなとこに、お前は何の任務で行ったんだよ?」
「中央情報局第六課で手配された人と同行して、ね」
「第六課、対テロ課か。同行して証拠を掴んで……ってことだな」
同行してということは、それなりの関係を構築してのことだろう。口に出してしまってからシドは自身の嫉妬心が急激に膨れ上がるのを感じた。終わったことであり、ハイファ自身が心を移した訳ではないことくらい知っている。シドと今のような仲になる前のハイファはひたすら明るく軽く、非情な薄愛主義者だったのだ。
「ごめんね?」
微妙な顔色を読んで先手を打たれ、シドは持って行き場のない感情のままに煙草を灰皿に叩き捨てると、細い躰を軋むくらいに抱き締めた。そして耳許に熱い吐息とともに吹き込む。
「誰にも、もう誰にも渡さねぇからな!」
二人は深く口づけ合った。舌を絡ませ交互に唾液を吸う。シドは歯の裏まで探って舐め回した。昨日までの被疑者は全て検察送致され、二人を邪魔する者は誰もいない。
「お邪魔しまーす。うん、まだ大丈夫だね」
先日ハイファが怒り狂って掃除をしたばかりなので今日は床が綺麗に見えていた。飲料の空ボトルが数本と『AD世紀の幻のプラモシリーズ』の部品と工具が散っているだけである。
それでも我慢がならずに飲料の空ボトルを入り口に並べた。
硬い寝台にハイファは腰掛け、シドは床から掌サイズの灰皿を取り上げて自分も寝台に並んで腰を下ろす。ハイファはバディの不機嫌を察知して殊更明るい声を出した。
「さあて、別室任務のお時間ですよー」
「くそう……本業やってるヒマもねぇな」
最初の頃は『俺は軍人でも別室員でもねぇんだぞ!』などといってはゴネたシドだったが、最近はあまり抵抗しなくなっていた。拒否権など何処にもないのだ。だからといってこのリモータも外そうとして外せない訳でもない。何が鳴り出そうと捨ててしまえばそこまでだ。
けれど外さないのは惚れた弱みで『この俺をやる』と宣言した男は、ハイファ独りで危険な任務に送り出すことができなくなってしまったのである。
だが任務が降ってきて喜ぶ脳天気でもないので、ポーカーフェイスながらも不機嫌オーラを振り撒いているのだ。心の中では別室長ユアン=ガードナーへの怨嗟の罵倒を並べている。
「まずは内容だけでも見てみようよ」
「開封した瞬間に『命令受領』がフィードバックされるんだろうが」
「それはそうだけど……急ぎだと困るから、見よ?」
溜息ひとつ、シドはスリーカウントでリモータ操作するハイファに倣った。
小さな画面に浮かび上がった緑色の文字を読み取る。
【中央情報局発:コリス星系第四惑星リューラに於いて海洋性人種を違法に取引するグループが存在する疑惑が浮上。その疑惑解明に従事せよ。選出任務対応者、第二部別室より一名・ハイファス=ファサルート二等陸尉。太陽系広域惑星警察より一名・若宮志度巡査部長】
「ふうん、想像通りの任務じゃねぇか」
「まあ、流れから言えば順当だよね」
「けど【海洋性人種を違法に取引】って何だよ、まるで違法じゃない取引があるみたいな書き方だよな?」
そう言って煙草を咥えたシドにハイファは頷いた。
「その通り、コリス星系に於いて海洋性人種を取引するのは違法じゃないんだよ」
「そういやお前は行ったことがあるんだっけな」
「まあね、任務で一度だけ。そのとき僕は人魚の肉を食べさせられたよ」
「げっ、まさか俺たちも――」
「行けば食べさせられる可能性はあるよね」
「マジかよ?」
異星の食文化は怖い。ときに皿を這っていたりスープを泳いでいたりする。だがあの水槽に沈んだ人魚たちを見たあとでは、それ以上にインパクトのある情報だった。
「……俺、ちょっと今回は自信がないかも知れん」
「味は悪くなかったし、普通のお肉と変わらなかったよ」
「勘弁してくれ。それより何で単なる人身売買に別室が乗り出したんだ?」
「それはたぶん海洋性人種の数が激減したからじゃないのかな?」
リモータ操作したハイファはアプリの十四インチホロスクリーンを立ち上げ、一緒に送られてきた資料のファイルを映し出す。ざっと目を通してから一部を指差した。
「ほら、ここ。現在のコリス星系第四惑星リューラに於ける海洋性人種の人口の推移だよ」
「確かに激減してるな。元は十万人以上いたのが今は五千を切ったってか」
「このまま【違法な取引】で絶滅でもさせて汎銀河条約機構にでも知られたら、ここぞとばかりに異星系人種からテラ人は叩かれる。だからじゃない?」
「ふん、ショートサイクルながらバイタリティで以て幅を利かせるテラ人が、今までどれだけの種を絶滅させてきたか、異星人が知ったら吃驚仰天するだろうぜ」
鼻を鳴らしてシドは灰皿に煙草の灰を弾き落とす。
「それは置いといて、あそこは特殊な世界だからね。覚悟しておいて貰わないと」
シリアスなハイファの様子にシドはやや退いた。
「何だよ、その特殊な世界っつーのは?」
「高度文明圏でありながら、ある程度のカルチャーダウンをしてるってこと」
「今どきカルチャーダウンかよ。そいつは不自由しそうだな」
例えば王政の維持や、他星文化の流入を拒んだ完全自給自足政策などで、文化程度を自ら落としていることをカルチャーダウンというのだ。
「故に有人惑星一個につき、テラ連邦軍基地を一ヶ所ないし駐屯地を三ヶ所置くっていうテラ連邦議会の意向もここは護られてない」
「それでも異星系に取られねぇように、上空からは見張ってるんだろ?」
「勿論、巡察艦が常に張りついてるよ」
「じゃあ最悪、助けは求められるってことだな」
そんなナニかを予想しなければならないほどに今までの任務は過酷だったのである。
「ンなとこに、お前は何の任務で行ったんだよ?」
「中央情報局第六課で手配された人と同行して、ね」
「第六課、対テロ課か。同行して証拠を掴んで……ってことだな」
同行してということは、それなりの関係を構築してのことだろう。口に出してしまってからシドは自身の嫉妬心が急激に膨れ上がるのを感じた。終わったことであり、ハイファ自身が心を移した訳ではないことくらい知っている。シドと今のような仲になる前のハイファはひたすら明るく軽く、非情な薄愛主義者だったのだ。
「ごめんね?」
微妙な顔色を読んで先手を打たれ、シドは持って行き場のない感情のままに煙草を灰皿に叩き捨てると、細い躰を軋むくらいに抱き締めた。そして耳許に熱い吐息とともに吹き込む。
「誰にも、もう誰にも渡さねぇからな!」
二人は深く口づけ合った。舌を絡ませ交互に唾液を吸う。シドは歯の裏まで探って舐め回した。昨日までの被疑者は全て検察送致され、二人を邪魔する者は誰もいない。
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