葉桜

志賀雅基

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第21話

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 制服の左腕をアームホルダーで吊った神原本部長は、端的に云って切れ者だった。
 各所轄署を回って署長と面談し必要最低限の情報交換をした中で『スパイ』である夕月秋人と雪村紫堂の存在を署長連中の口からあっさり吐き出させてしまったほどだ。

 応接セットのソファに紫堂と並んで腰掛けさせられた秋人は、細身で身長もさほど高くない雲上人を観察した。この本部長室に来る前に慌てて検索したデータでは未だに剣道では全国大会レヴェルを維持する猛者だとあった。
 撫でつけた黒髪に白いものは殆ど混じらず今以て妻子もいない。いつでも動かせる警察庁長官の懐刀と言われる所以である。

 茶も出されず灰皿もないので、ひたすら秋人たちは黙って座していた。
 非常に居心地の悪い、腹の探り合いのような数十秒が経つ。そして開口一番、神原本部長が驚きの命令を下した。

「きみたちにはセキュリティポリスSPとして、私の盾になって貰う」
「盾って、まさか弾よけってことか?」
「その通りだ」
「SPならの専門職を就ければいいじゃねぇか、何で俺たちが弾よけなんだよ!」

 備とは警備部でこの場合は警備部警備課のSP専門職を指すが、それはともかく、まるで階級を無視した秋人の物言いにも動じず神原本部長は淡々と述べる。

「きみたちのことは改めて調査させて貰った。射撃・体術ともにきみたちはSPとしての資格を満たしている。だがそれ以前に大きな問題があることは誰より雪村巡査部長、きみ自身が承知している筈だ。そのまま篠宮署刑事課に戻す訳にはいかない」

 微笑みを消し彫像の如く動かない紫堂の代わりに秋人は神原本部長を睨みつけた。

「知ってるか? そいつは俺たちの世界じゃ脅迫っつーんだぜ」
「問題をすり替えるのは止したまえ」

「すり替えたつもりはねぇよ。マシな言い方すりゃパワハラ親父か。大体、何で紫堂の個人的問題を俺にまで聞かせるんだよ?」
「これは雪村巡査部長だけではない、きみたち二人の問題の筈だ。違うかね?」

 勝手に感情を推し量られた秋人はムッとした。昨夜からの自分の脳内での葛藤を覗かれていたような気がしたのだ。
 一方で紫堂は伏せていた目だけを静かに上げた。

「退職勧告ならはっきり仰って下さい。依願退職させて頂きます」
「なっ、紫堂お前!」
「警察官として問題があるのは僕だけでしょう。署長より命ぜられた現任務を停止し夕月巡査部長が篠宮署刑事課に戻るのに何の支障もない筈です。このあとすぐに書類は提出しますので、それで宜しいでしょうか」

「紫堂、テメェが辞めるなら俺も辞めるからな!」
「本部長、夕月巡査部長は僕に同情しているだけですので、聞き捨てて下さい」
「いつ俺がお前に同情したって言うんだよ! もっぺん言ってみろよ、この野郎!」

 そのやり取りを聞いていた神原本部長は薄く笑って足を組み替える。

「麗しいバディ愛だが、それも条件に適ったと言っておこう。そう、テストだよ」
「テストだと?」
「そうだ。この試験に受かれば雪村巡査部長は通院し、的確な治療を受けながら警察官を続けられることを私が約束しよう。但しテストは簡単ではないと言っておく」

「SPは常に実戦、命懸けってことだろ?」
「単なるSP以上を私は求めている。だからこそ、きみたち二人を選んだのだ」
「そろそろ本題に入って欲しいんだがな」

 ニコチン切れで苛つく秋人の低い声に神原本部長は真顔になる。息もしていないかの如く静かな紫堂を見ながら本部長は告げた。

「きみたちのどちらでもいい。私の代わりに撃たれて貰う」

◇◇◇◇

 自分が撃たれるから秋人を元の職場に戻せと騒ぎ出した紫堂を宥めるのは大変だった。第五倉庫に戻っても落ち着かせることができず、人目を惹きながらも官舎に引きずって帰らなければならなかったくらいだ。

 あまりに興奮しすぎた紫堂に『触るな』などとは言っていられず、官舎の部屋でねじ伏せるように三十分近くも抱き締めてやると、やっと紫堂は大人しくなった。
 折悪しく躁も真っ最中、感情の起伏が激しい時期に最大の弱みともいえる部分を的確に攻撃されて、普段の抑えをすっかり失くしてしまっていた。

 神原本部長は二人にも詳細を語らなかった。秋人が想像したような警察上層部の腐蝕があるのか単なる保秘なのかは分からない。ただ神原本部長は自分が今後も狙われることが確実であり、敵に二度と日の目を見させないためにも『ある種の演出』が必要なのだと言っていた。

 それを聞いた秋人は自分たちが演出に使われたATM爆破を思い出し、急激に頭が沸騰して『そこまで言うならテメェが撃たれてろ!』と喚きそうになった。だが実行しなかったのは、やはり紫堂のことを考えたからである。

 あの場で既に紫堂は完全に神原本部長の話術に嵌められてしまったのだ。ふいに顔色を真っ白にしたと思ったら、次には制御弁を吹き飛ばしたように騒ぎ始めた。

 結果として質に取られたのが紫堂の職というより精神だったために秋人も捨て科白を吐いて本部長室を出て行くことができなくなった。秋人もあそこまで激昂した紫堂を初めて見た。

 わざわざ秋人と紫堂を選んだのは、秘密を背負った二人が脅しに屈するだろうという目算があっただけでなく、互いが互いを護ろうとする目に期待したのだという。

 だが秋人と紫堂を再調査したときにはまだ秋人は紫堂に対し特別な感情を抱いていなかった訳で、何処で下世話なガセネタを掴んだのか知れないが、これにも秋人は猛烈に腹を立てていた。

 とにかく要点として、それこそ敵は演出でなく本物の敵であること。故にシミュニッション弾などと呼ばれる模擬弾でなく、実弾で撃たれる覚悟が要ること。そして実際にどちらかが撃たれても必ず神原本部長を護ること。以上の三点が挙げられた。

 つまりは銃弾で頭を割られても惜しくない捨て駒ということである。
 期限は明日から狙撃されるまでという、じつにふざけたものだった。そのため神原本部長は赴任したばかりの土地を物見遊山、いや、視察して回るらしい。そして『犯罪に屈しない』腕を吊った県警本部長の車両には、ぞろぞろとメディアがくっついて歩くのだ。

 本当のところ、秋人はこんな組織にほとほと嫌気が差していた。
 もう少し紫堂がまともに話せる状態なら、とっくに二人で依願退職しようと相談している。だが完全に度を失った今の紫堂には判断させられない。刑事でいる理由がどんなにねじ曲がったものでも、それが紫堂のアイデンティティーを保つためのものなら尚更だ。

 当の紫堂はぼんやりとフローリングに座っている。先程までは口を開けば『退職する』か『自分が撃たれる』だったが、黙った今は落ち着いたというよりも、極度に興奮したあとの虚脱感に襲われているようだ。
 これは本気で暫く目が離せない。神原本部長より紫堂の傍にいることが肝要だ。刃物類もそれとなく遠ざけねばなるまい。

 自分がいなければSP話も流れる、そう考えついたら何をやらかすか分からない。

 虚脱した紫堂は、だが色素の薄い瞳でずっと秋人を追っている。

 それが何を求めているのか分かっていて、秋人はマグカップの水を飲ませたのち、自分も床にどすんと腰を落とした。壁に凭れて脚の間に紫堂を座らせ、再び背後から抱き締めてやる。
 互いの体温と吐息を感じながら、黙って時間が流れるに任せた。その間、秋人の躰が成長して紫堂の腰に当たっていたが、幸い紫堂には気付かれなかったらしかった。
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