葉桜

志賀雅基

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第20話

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 ウィスキー一本とウォッカを半分空けた翌朝の目覚めは最悪だった。紫堂によると殆ど秋人が一人で飲んだらしい。
 片や今日の紫堂は相変わらずの高め気分ながら安定しているようだ。鼻歌混じりに湯を沸かしてインスタント味噌汁を作ってくれる。

 躁真っ最中の男に介抱されるのも情けなかったが、胃袋を空っぽにしたあとの味噌汁は効いた。お蔭で何とか出勤しようという気力が湧く。シャワーを浴びてアセトアルデヒド臭を流し、ヒゲも剃ってからバスルームを出ると、バスタオルで適当に拭い服を着た。

 フローリングの部屋に出て行くと、秋人の姿を見て紫堂が文句を垂れる。

「あんたは髪も拭けないのか?」
「拭いたさ。出るまでには乾くからいい」
「床が濡れるし、風邪でも引かれたら僕が困る。ちょっとそこに座れよ」
「いいから構うなって!」

 バスタオルを手にして追いかけてくる紫堂に過剰反応してしまうのは仕方ないだろう。忘れようと決めたところで昨日の今日である。だが気分の上下が激しい今の紫堂には完全にねじれて伝わってしまったらしく、ニヤニヤ笑いで背後から抱きつかれてしまう。

 思わず秋人は息まで止めたのち紫堂の腕を思い切り振り払っていた。今まで二人の間では普通だったスキンシップを拒否されて笑うことも忘れた紫堂は固まっている。
 そんな紫堂を折れそうなくらいに抱き締めたい欲求を確かに感じ、秋人は暗澹たる思いで低い声を押し出した。

「悪いが触らないでくれるか」
「……どうしてって、訊いてもいいか?」
「そいつもパスだ。ただ、こいつは俺の問題なんだ。お前が悪い訳じゃない」
「そう……か」

 見る間に萎れてしまった紫堂は酷く可哀相だが、秋人も紫堂を失いたくなかった。
 昨日は『勘違い、気の迷いだ』と脳内で自分にさんざん言い聞かせ、更にはアルコールで誤魔化したが、すっかり素面になってみても朝っぱらからこの有様である。
 これから先が思いやられた。

 二人はギクシャクしたまま煙草を吸い、時間を見計らって執銃するとジャケットを着て部屋を出た。出勤途中も互いに喋らず、第五倉庫に着いても暫くは無言だった。
 だが黙っていては何も進まない。秋人が口火を切って今後の出方を相談する。

「たった二人で東栄会にガサ入れもできねぇしな」
「そうだな、まず無理だ」
「もう一度、帳場にタレコミしてみるか?」
「前回は空振り。二度目を簡単に信用するのかな」

「収賄警視正に捜二を焚きつけさせて、総会屋崩れ三人に別件でガサはどうだ?」
「岸谷会長が三人を差し出して終わりだと思う」
「なら三人の誰かを行確するのはどうだ?」
「東栄会本家も事務所も張り込みしやすそうでいいかもね」

 喚き出したくなった秋人はすっかり力の抜けてしまった紫堂をデスク越しに睨む。紫堂は茫洋と視線を彷徨わせていた。指に挟んだ煙草も殆ど吸わず灰になっている。

 唐突に心境の変化を起こしたのは秋人の側のみだ。やはり自分が悪いのだろうかと秋人は考えてみたが、こればかりはどうしようもない。未だに信じがたいが、紫堂の一挙一動を気にしている自分は明らかに紫堂を昨日までと同じ目で見られなくなってしまっていた。

 柔らかな髪に触れたい。細い腰を抱き締めて口づけたい。

 朝っぱらから何を考えているのかと我ながら呆れるが、ここまでくると自分には下心があったからこそ紫堂の厄介な部分も受け入れたのではないかとさえ疑いだす始末である。そこまで自分が下衆だとは思いたくないが、依存されて受け入れ、世話まで焼いてきたのも確かだった。

 そうすると自分は二年も紫堂を想っていたことになるが、幾らミテクレが良くても手近な男で済ませるほど交際相手に困窮していなかったと自負しているし、無節操でもないつもりだ。逆を言えば二年も片想いでいられるほど気が長くもない。

 けれどそう自負しているだけに、この感情が心の引き出しの何処に分類されるのかは既に悟っていた。それに下衆な下心は否定したいが、思い返すと昨日突然始まったことではないような気もしてくる。

 例えば紫堂の最大の秘密である病気のことを自分だけが告げられたと知ったとき、嬉しくなかったといえば嘘になるだろう。紫堂がたびたび求めてくるスキンシップだって、誰でもない自分だけに求めて許すのだという事実に安堵していた部分があったようにも思う。

 更には過去、幾度となく問い質そうとしては爆笑されるのが予想できて呑み込んできた『俺はお前の何なんだ?』という疑問こそが、秋人自身も無意識だった本心を表しているのではないだろうか。
 敢えて答えを求めなかったのは笑い飛ばされるのが癪だったのではない、一笑に付されてしまうのが怖かったのだと考えれば納得もいく。

 そんな無意識の欠片が秋人の中で降り積もり、いきなりの同居や独自捜査といった状況で急激に紫堂との日常が圧縮され、とうとう溢れ出しただけなのかも知れない。

 ……などと小難しく考えてみた秋人だったが、結果は一目惚れと何ら変わらない。恋愛のきっかけとしてあの紫堂の表情があっただけ、まだ上等だと言えるだろう。

 しかし、だからといって同性というのを差し置いてもコトは簡単ではない。

 二年、片想いでいられない自信があるのだ。このままでは近い将来において紫堂とのバディシステムに破綻が訪れるのは必至である。
 わざわざ秋人が告白などの手段に挑むまでもない。性的欲求を匂わせ、目に情欲を溜めているのを紫堂に気付かれてしまうだけで、友情や信頼やその他諸々を積み上げて築いた二人の二年は砂楼より脆く崩壊する。

 右ストレートで済むならまだしも、どちらかが異動してバディ解消となる日まで微笑み仮面で蔑まれては堪らない。そうなるとやはり隠し通さねばならないのだ。暗澹たる思いが胸に広がるのを抑えられなかった。

 だがそもそも愛の告白めいた科白を吐き、過度のスキンシップを要求した上に、キス紛いの接触にまで及んでおいて、下半身的思考が一切御法度とはあり得ないだろうと思う。
 幾ら無性的でも元々自分も男の躰を持って生まれたならば、男の生理くらい理解しておくのが当たり前、相手にまで無性を求めるのは卑怯というか無理だ。

 そこに至るまで放置した秋人自身の鈍さにも責任はあるが、間違いなくいえるのは『紫堂も秋人が好き』という事実だった。そんなことはこれほどまでに萎れてしまった男を見なくとも重々承知している。しかしプラトニックなどというモノは何処に売っているのだろうか。

 馬鹿馬鹿しくもそんなことを考えた秋人は今朝からもう三箱目の煙草を封切った。 
 二十五の男が今更こんなことで悩まなければならないとは情けなくて涙が出る。

 煮詰まりきった空気の中、二人で灰ばかり生産しているとFAXが入った。取りに立った秋人は仰け反る。振り向いた紫堂もさすがに秋人の反応に興味を示した。

「何、どうした?」
「県警本部長の神原真司警視監。【可及的速やかに本部長室に来られたし】だとよ」
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