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第41話(最終話)
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「だからあんた、声が大きい。それにわざわざカミングアウトなんかしなくてもデカ部屋のみんなが悟ってるって。鈍すぎる本人よりもずっと前、二年近くも遡ってね」
「……マジかよ?」
「まじです。だから神原も僕の病気をネタにあんたを脅したんだって。そうでなけりゃ神原の博打は成立しないじゃないか。まさか今の今まで分かってなかったのか?」
呆然と頷く秋人に紫堂は呆れた目を向けながら続けた。
「だって自分で言うのもなんだけど、誰にも触れさせず『氷の女王』の名を頂戴していた僕が初めて他人に触らせたんだぞ。それを見て悟らないほど鈍いデカはいないって。おまけに今回の『長期入院での傷病休暇』で僕の献身的且つ愛の溢れる付き添いだ。状況証拠のみだったところに物証を付け加えて検察送りにしたようなものだよ」
天を仰いだ秋人は恥ずかしさで涙目になりそうなのを堪える。だが泣きたい気分を呑み込むと隣で煙草を吹かす紫堂の薄い背をこぶしで小突いた。
「じゃあますますお前には、自殺も心中もして貰う訳にはいかねぇな」
「ダンナとしては、男の甲斐性を疑われるのは我慢ならないって?」
真顔で頷いた秋人を見上げながら紫堂は微笑んだ。
「幸い最近は薬が効いてきた気がするんだ。結局この前の診察で双極性障害?型って診断が下りた以上、病気とは一生の付き合いかも知れないけれど、上手く薬で気分の過剰な昂揚や落ち込みを調整すれば、寛解とかいう躁や鬱のこない状態に持ち込める可能性もあるらしい」
「そうなのか? 良かったじゃねぇか」
「でも複雑性PTSDも背負った僕は、そう簡単にはいかないっていう但し書き付きだけどな。薬も一生ものみたいだし」
「構わねぇだろ、どんなお前にだって付き合うさ」
「闇で掴んだのは秋人、あんたの手だった。いつまでも離さないでいてくれるか?」
「当たり前だろ。だから覚悟しとけよな」
堂々と言い放った秋人は紫堂の耳元に「今晩な」と囁く。低く甘い声での不意打ちに紫堂は身を震わせ、煙草を落としかけながら本当に嬉しそうに笑った。
いちいち紫堂の反応が愛しくて秋人も嬉しくなる。紫堂の翳りのない笑顔はハッとさせられるほど綺麗で切れ長の目を眇めて暫し見つめた。
二年前に手を差し出してバディを組んだのも、あのとき思わず紫堂を抱き締めたのも、きっとこの表情を見るためだったのだと信じて疑わせない笑顔だった。
その紫堂は微笑んだまま先程から何度も腕時計を見ている。
「何だ、やけに時間を気にしてるじゃねぇか」
「本日十五時、課長に呼び出されてる。たぶん診断書の件だ」
「おっ、とうとう沙汰が降りるってか?」
頷いた紫堂は微笑みを引っ込め、秋人を見上げて真面目に呟いてみせた。
「もしクビになったら、あんたのヒモにでもなろうかな」
「ヒモなあ。すぐに飽きそうな気がするが」
「じゃあ主夫だ。毎日夕食の支度でもしてさ」
「う……そいつは勘弁してくれ、今回のネタで上を脅してでも刑事を続けろ!」
「あんたにしては珍しい発想だが、どうしてだよ?」
素で紫堂は不思議そうな顔をした。秋人はまさかあの生ゴミの煮物、ではなく紫堂流特製カレーを覚えていないのかと眉間にシワを寄せる。
だがそんなモノですら律儀に完食したのだ。鈍い本人は気付かなかったが、その頃から既に愛の片鱗は見え隠れしていたといえるだろう。
それはさておき、ここまで上層部の秘密を知った秋人や紫堂を警察機構が手放すなど考えづらかった。わざわざネタで脅さずとも紫堂を依願退職させて野放しにすることなど、まずあり得ない。これからも二人セットで留め置かれることだろう。
そんなことは二人とも承知していたが、そこはお役所であるが故の通過儀礼でもある。縦割り組織内では一通り『上』の愚痴や説教を聞くのも下の者の務めだ。
「現在時、十三時五十八分。そろそろ署に戻るか」
「そうして貰えると有難い……何だ?」
歩道の先の方で絹を裂くような悲鳴が上がっていた。二人は反射的に煙草を灰皿に放り込み、秋人が空き缶をゴミ箱にナイス・インさせてダッシュする。十メートルほども走ってから秋人と紫堂は女性がハンドバッグをひったくられたのだと知った。
それだけではない、一瞬こちらを向いたホシの顔には見覚えがあった。
「紫堂、香田の野郎だ!」
「分かってる!」
ここで取り逃がす訳にはいかない。二人は全力で追った。追われていることを知った香田も死にものぐるいだ。走りながらハンドバッグも投げ捨てる。
だが辺りは商店街で人も多く、思うように距離が稼げない上に五分も走ると体力も限界になったらしい。もはや逃げ切れないことを悟ったか、つんのめるように歩道上で足を止めた。
そして振り向くと危惧していた銃ではなく、ポケットからバタフライナイフを取り出し鮮やかな手つきで白刃を露出する。据わった目で二人に対しナイフを構えた。
「篠宮署だ、刃物を捨てて両手を頭の後ろで組め!」
追いついた秋人は威嚇の意も込めて大喝する。香田の手にしたナイフが横ざまに薙いだ。スウェーバックで秋人は銀光を躱す。長めの前髪が数本持って行かれる感覚。
飛び退いて間合いを取ると足払いを掛けるふりをして、上段回し蹴りで右手首を打った。ナイフが落ちる。香田は闇雲に掴み掛かってきた。秋人はその懐に飛び込む。
相手の勢いを利用して片腕と胸ぐらを掴み、身を返し腰に体重を載せると背負い投げて歩道に叩きつけた。目を回した香田を揺さぶり意識をはっきりさせると告げる。
「十四時五分、窃盗及び銃刀法違反、公務執行妨害の現行犯で逮捕する」
香田は大人しく捕縛された。少し離れて見守っていた紫堂が拍手する。
「十四時五分ね。十二秒でKO勝ち、及び当番クリアおめでとう」
「次はお前だからな、せいぜい精進しろ」
「はいはい」
既に周囲は野次馬が輪を作り、彼らからも拍手が湧き起こっていた。やがては歓声や口笛までが混じる。惜しみない称賛を浴びた刑事二人は口元をほころばせて頷き合った。
人々がいる歩道の端には桜並木があり、見えなくなるほど先まで続いている。勿論今はどれも花など咲かせていない。
だが風に葉擦れをさざめかせるそれは木漏れ日が好ましかった。
了
「……マジかよ?」
「まじです。だから神原も僕の病気をネタにあんたを脅したんだって。そうでなけりゃ神原の博打は成立しないじゃないか。まさか今の今まで分かってなかったのか?」
呆然と頷く秋人に紫堂は呆れた目を向けながら続けた。
「だって自分で言うのもなんだけど、誰にも触れさせず『氷の女王』の名を頂戴していた僕が初めて他人に触らせたんだぞ。それを見て悟らないほど鈍いデカはいないって。おまけに今回の『長期入院での傷病休暇』で僕の献身的且つ愛の溢れる付き添いだ。状況証拠のみだったところに物証を付け加えて検察送りにしたようなものだよ」
天を仰いだ秋人は恥ずかしさで涙目になりそうなのを堪える。だが泣きたい気分を呑み込むと隣で煙草を吹かす紫堂の薄い背をこぶしで小突いた。
「じゃあますますお前には、自殺も心中もして貰う訳にはいかねぇな」
「ダンナとしては、男の甲斐性を疑われるのは我慢ならないって?」
真顔で頷いた秋人を見上げながら紫堂は微笑んだ。
「幸い最近は薬が効いてきた気がするんだ。結局この前の診察で双極性障害?型って診断が下りた以上、病気とは一生の付き合いかも知れないけれど、上手く薬で気分の過剰な昂揚や落ち込みを調整すれば、寛解とかいう躁や鬱のこない状態に持ち込める可能性もあるらしい」
「そうなのか? 良かったじゃねぇか」
「でも複雑性PTSDも背負った僕は、そう簡単にはいかないっていう但し書き付きだけどな。薬も一生ものみたいだし」
「構わねぇだろ、どんなお前にだって付き合うさ」
「闇で掴んだのは秋人、あんたの手だった。いつまでも離さないでいてくれるか?」
「当たり前だろ。だから覚悟しとけよな」
堂々と言い放った秋人は紫堂の耳元に「今晩な」と囁く。低く甘い声での不意打ちに紫堂は身を震わせ、煙草を落としかけながら本当に嬉しそうに笑った。
いちいち紫堂の反応が愛しくて秋人も嬉しくなる。紫堂の翳りのない笑顔はハッとさせられるほど綺麗で切れ長の目を眇めて暫し見つめた。
二年前に手を差し出してバディを組んだのも、あのとき思わず紫堂を抱き締めたのも、きっとこの表情を見るためだったのだと信じて疑わせない笑顔だった。
その紫堂は微笑んだまま先程から何度も腕時計を見ている。
「何だ、やけに時間を気にしてるじゃねぇか」
「本日十五時、課長に呼び出されてる。たぶん診断書の件だ」
「おっ、とうとう沙汰が降りるってか?」
頷いた紫堂は微笑みを引っ込め、秋人を見上げて真面目に呟いてみせた。
「もしクビになったら、あんたのヒモにでもなろうかな」
「ヒモなあ。すぐに飽きそうな気がするが」
「じゃあ主夫だ。毎日夕食の支度でもしてさ」
「う……そいつは勘弁してくれ、今回のネタで上を脅してでも刑事を続けろ!」
「あんたにしては珍しい発想だが、どうしてだよ?」
素で紫堂は不思議そうな顔をした。秋人はまさかあの生ゴミの煮物、ではなく紫堂流特製カレーを覚えていないのかと眉間にシワを寄せる。
だがそんなモノですら律儀に完食したのだ。鈍い本人は気付かなかったが、その頃から既に愛の片鱗は見え隠れしていたといえるだろう。
それはさておき、ここまで上層部の秘密を知った秋人や紫堂を警察機構が手放すなど考えづらかった。わざわざネタで脅さずとも紫堂を依願退職させて野放しにすることなど、まずあり得ない。これからも二人セットで留め置かれることだろう。
そんなことは二人とも承知していたが、そこはお役所であるが故の通過儀礼でもある。縦割り組織内では一通り『上』の愚痴や説教を聞くのも下の者の務めだ。
「現在時、十三時五十八分。そろそろ署に戻るか」
「そうして貰えると有難い……何だ?」
歩道の先の方で絹を裂くような悲鳴が上がっていた。二人は反射的に煙草を灰皿に放り込み、秋人が空き缶をゴミ箱にナイス・インさせてダッシュする。十メートルほども走ってから秋人と紫堂は女性がハンドバッグをひったくられたのだと知った。
それだけではない、一瞬こちらを向いたホシの顔には見覚えがあった。
「紫堂、香田の野郎だ!」
「分かってる!」
ここで取り逃がす訳にはいかない。二人は全力で追った。追われていることを知った香田も死にものぐるいだ。走りながらハンドバッグも投げ捨てる。
だが辺りは商店街で人も多く、思うように距離が稼げない上に五分も走ると体力も限界になったらしい。もはや逃げ切れないことを悟ったか、つんのめるように歩道上で足を止めた。
そして振り向くと危惧していた銃ではなく、ポケットからバタフライナイフを取り出し鮮やかな手つきで白刃を露出する。据わった目で二人に対しナイフを構えた。
「篠宮署だ、刃物を捨てて両手を頭の後ろで組め!」
追いついた秋人は威嚇の意も込めて大喝する。香田の手にしたナイフが横ざまに薙いだ。スウェーバックで秋人は銀光を躱す。長めの前髪が数本持って行かれる感覚。
飛び退いて間合いを取ると足払いを掛けるふりをして、上段回し蹴りで右手首を打った。ナイフが落ちる。香田は闇雲に掴み掛かってきた。秋人はその懐に飛び込む。
相手の勢いを利用して片腕と胸ぐらを掴み、身を返し腰に体重を載せると背負い投げて歩道に叩きつけた。目を回した香田を揺さぶり意識をはっきりさせると告げる。
「十四時五分、窃盗及び銃刀法違反、公務執行妨害の現行犯で逮捕する」
香田は大人しく捕縛された。少し離れて見守っていた紫堂が拍手する。
「十四時五分ね。十二秒でKO勝ち、及び当番クリアおめでとう」
「次はお前だからな、せいぜい精進しろ」
「はいはい」
既に周囲は野次馬が輪を作り、彼らからも拍手が湧き起こっていた。やがては歓声や口笛までが混じる。惜しみない称賛を浴びた刑事二人は口元をほころばせて頷き合った。
人々がいる歩道の端には桜並木があり、見えなくなるほど先まで続いている。勿論今はどれも花など咲かせていない。
だが風に葉擦れをさざめかせるそれは木漏れ日が好ましかった。
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