葉桜

志賀雅基

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第40話

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 神原本部長の右腕切断という大怪我は事故で処理された。
 職務遂行に支障ありとして入院中に本人が依願退職及び退職金の全額返納を申し出、受理されたのは一週間後だった。
 ちなみに手術をしても結局右腕は繋がらなかったという。

 まもなく新たな県警本部長がその椅子に座ったが、やってきたのがどんな人物なのか、秋人は必要以上の興味を持たなかった。
 ただトップが入れ替わるたびに同じく思うのは、現場を理解し得る人物であって欲しい、自分の下で地べたを這いずる者たちの存在を忘れないで欲しいということのみである。

 そうして周囲の冷ややかな視線を紫堂とともに無視し続けた。

 やがては秋人たちを白眼視するのに刑事課全体が飽きかけた頃、飛び込んできたのは警察庁長官の寺本英悟が都内のホテルで暗殺されたという報だった。料亭で某国会議員と会合をしたのちに女性同伴でホテルに宿泊し、翌朝になって射殺体が発見されたのだ。

 眉間と胸腺と腹に四十五口径ACP弾を食らって即死。ホシと思しき女性は不明。

 狂騒の警視庁は躍起になって保秘に走ったが、水野組直参だった園田と同じ殺され方をしたことがメディアに洩れるまで幾らも掛からなかった。
 同時にメディア各社は何処からかのタレコミを受け『警察上層部の腐蝕構造』などと銘打ち寺本の黒い背景も書き立てて、『上』は事態の収拾に苦慮しているらしい。

「けど上には上がいるもんだな」

 香田の立ち回り先を巡り商店街を歩きながら切れ長の目を赤くした秋人は呟いた。

 昨夜は『秋人の快気祝い』と称し、強行犯一係の皆で近所のスナックになだれ込んだのである。すると刑事課の他係の面々までが次々と現れて、秋人と紫堂に酒を注いでから飲み始めたのだ。そのまま季節外れの忘年会の如き大所帯で店をハシゴし、お開きになったのは午前三時だった。

 唐突な秋人の呟きに、こちらも赤い目をした紫堂が首を傾げた。

「いきなり何を言い出したんだ?」
「いやさ、寺本だの神原だのがいれば、そいつらを消すようなシステムまでが存在するんだなって思ってさ」
「女殺し屋が自浄作用とは思えないけどな。結局は寺本が全てを背負わせられただけで、それも最適なタイミングを見計らってのことだからね」

「まあな。でもこうなると余計なことを知っちまった俺たちが生きてるのも奇跡に思えてくるぜ。平刑事の俺ごときが言うのも何だが、たかが所轄署長クラスでさえ大ごとだと察知して俺たちに銃まで用意してたんだろうしさ」

「本当に捨て駒扱いされてなかった証拠だし、いい傾向だよ。知ってしまったことに関しては、小物は小物らしく歯牙にも引っ掛けられないよう祈るしかないけどね。いわゆる『Need to knowの原則』ってヤツだよ」
「だな。永田町お抱えの女殺し屋とやり合うのもぞっとするし撃たれ損も遠慮したいしな」

 幾ら射撃の腕に自信があっても体制を背負ったヒットマンと銃撃戦は勘弁である。大体、普通の刑事に戻った秋人たちはもう特殊警棒しか武装がないのだ。

「でも女ヒットマンはかなりの美人らしいよ?」
「だからどうしたって?」
「ミニスカートの女性の生足だの、肩紐を直す仕草だのが大好きで、白ブラウスを透視する勢いで見つめたりする人には、お手軽なハニートラップだってことだよ」

「……んなことしてるか、俺?」
「気が付いていないのか?」
「そんな目で見るな、俺は何にもしてねぇだろうが!」

 唸った秋人に紫堂は頭を振り、わざとらしく大真面目な顔を作る。

「当たり前だろう、何かしたら犯罪だぞ。そんなことを大声で主張するな。頼むから迷惑防止条例違反で僕が現逮する前に二十五年間で培ったそのクセを直してくれ」
「お前に絞め殺される前に善処する」
「あ、認めてる上に開き直ってるし。でも僕なら絞殺より二人で木っ端微塵だな」

 また極端なことを言い出したぞと秋人は紫堂にチラリと目をやった。

「木っ端微塵に吹き飛んで混じり合う。絶対に別れられないよう骨まで混じるんだ」
「大した野望をお持ちだな。しかし実際スプレッドを見たら気も変わるぜ?」
「そうかな? まあ神原のセムテックスも本部の駐車場裏で発見されちゃったしね」

 そこでコンビニを見つけて紫堂が軒下の灰皿を示す。秋人も否やはない、ポケットから早速煙草を出して休憩の態勢だ。
 コンビニの店内に紫堂だけが入り、灰皿の賃料代わりに缶コーヒー一本を買って戻る。冷たいコーヒー一本を分け合いながら秋人は咥えた煙草にオイルライターで火を点け、紫堂は秋人の煙草から貰い火をして紫煙を吐いた。

 半分ほど煙草を灰にして思い出した秋人は紫堂に訊く。

「ところでセムテックスっていえばATM爆破はいったいどうなったんだ?」
「ああ、それなら東栄会岸谷の発案・指示ってことに落ち着くみたいだよ。爆破し威力を見せつけ、あとから企業を恐喝するつもりだったってストーリー」
「それでパクった岸谷を頷かせたんだろ。岸谷も女殺し屋は勘弁だろうしさ」

 少々不機嫌に言った秋人の前髪に手を伸ばし、紫堂は薄く笑って指を絡ませた。

「水野に上納するカネをかき集めてた岸谷が誰に雇われたのかは永遠に分からないけど、落とし処だよね。それともあんたはあくまで神原を追い込みたいか?」

「いや、腕一本と引き替えだ、もういい。お前こそ『面割り』はどうすんだ?」
「僕も、もういいよ。あんたが三発食らわせて仇は取ってくれたと思ってるから」

「そうか。なら残るは消防士轢き逃げとRTV車両爆破だが、実際どっちがやったんだろうな?」
「神原本人が関知してなかったのは自己申告通りだと思う。民間人殺しにあれだけアレルギーを示してたしね。まあ『黒幕は寺本』が合い言葉だし今更だよ。でも江前署からRTVの件を召し上げた本部サイドは始末に困ってるそうだ」

「四名死亡で死刑もあり得る案件、教唆犯は寺本で収めるにしろ、実行犯として立候補する奴がいないってか?」

 シニカルな笑みを口元に湛えて紫堂は頷く。秋人は「ふん」と鼻を鳴らした。

「まともに捜査してホシを挙げれば済むことだ、本部だって現場は腐ってねぇぞ!」
「お手並み拝見だね、神原の置き土産の部内者内偵チームもしっかり動いてるらしいし。ただ、身内から実行犯を出しかねない状況で県警上層部は性懲りもなくまた保秘に走ってる。お蔭で現場組は息巻く奴に不満な奴、色々らしいよ。それでこんな話まで末端に洩れてくるって訳だ」

「へえ、なるほどな。けどそれ、ネタ元は誰だ?」
「今朝、縮小になった帳場で松尾から」

 それなら近いうちに強行犯一係の仲間も戻ってくる筈だった。

「みんなが帰ってきたらホシを二、三人挙げたって朗報で迎えてやりたいもんだな」
「そうだね。まあ、ホシはさておき、話のネタには困らないだろうけど」

 紫煙を漂わせながらニヤニヤ笑う紫堂に秋人は嫌な予感をよぎらせる。

「お前は俺との仲をカミングアウトするつもりかよっ!」
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