マスキロフカ~楽園7~

志賀雅基

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第3話

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 店から出ると晩春の温い霧雨が煙る中、赤茶色のファイバの歩道に二人は踏み出した。基本、銃を扱う二人が視界を遮り手も塞がる傘を持つことはない。

 出向して数ヶ月、慣れた道をハイファはシドに寄り添うようにして歩く。

 二人が所属する機動捜査課は本来殺しやタタキなどの凶悪犯罪の初動捜査をする部署である。同報という事件の知らせが入ってから現場に飛び出してゆくのが普通だ。

 だが昨今の高度文明星系では有難いことにそういった犯罪はごく稀となっていた。

 特にこのテラ本星セントラルエリアは新たにテラフォーミングされた惑星に比べ、妙なエリート意識が支配する社会である。
 義務と権利のバランスが取れ、ID管理がなされたこの地では誰もが醒めているのだ。割の合わない犯罪にカラダを張って挑むガッツのある人間など殆ど絶滅しかかっている。

 故にシドとハイファ以外の機捜課員はヒマで、しかし血税で遊んでいる訳にも行かず、他課の張り込み交代要員などの下請け仕事ばかりやっている。

 だがイヴェントストライカに下請けを頼むようなチャレンジャは滅多にいないのでヴィンティス課長に睨まれながらもシドは『刑事は歩いてなんぼ』を標榜し、ハイファを引きつれて管内を歩き回ってばかりいるのだ。

 勿論ヒマ潰しの散歩ではない。歩いていなければ見えてこない犯罪を取り締まるための隠密捜査、いわゆる密行だがイヴェントストライカの二つ名を持つ名物刑事は既に皆に知られているので、殆ど歩くこと自体が犯罪者への牽制にも繋がっている。

「けどさ、エリート意識ってのも何だな。よそから見れば相当鼻につくよな」
「でも本星は上手くやってると思うよ。例えばこの合法ドラッグ店だって禁止すれば取り締まらざるを得ないけど厚生局監修の許で認めれば却ってジャンキーを出さずにそういう嗜好を満足させる。解除薬とセットで『ハイ、どうぞ』だもん、健全だよ」
「それでも違法モノに手を出す奴はいるけどな」
「まあね。けど地下組織のひとつもないのは奇跡的なんだよ、公式発表通りならね」
「もしかして大本営発表で、じつはあるかも知れないってか?」
「テラ本星だって広いもん。このセントラルエリアにはなくても、他ではあってもおかしくないでしょ。三千年前の大陸大改造計画で人の住める地は殆ど地続きだし」
「そうか。あんまり考えたことがなかったな、それは」
「目の前で起こる事件で手一杯だもんね」

 夜になると息を吹き返す裏通りの歓楽街は今は人の気配も薄く閑散としている。そこから路地を曲がって表通りに出た。大通り沿いにブティックが並ぶ界隈、スライドロードが併設された歩道は傘の花が多数咲いている。

 大通りを挟んで対岸は公園になっていた。遠目にも遊具やベンチが色とりどりに塗られているのが見える。植樹された周囲の木々が慈雨で文字通り緑が滴るようだ。
 その公園で行きがけに不法入星者を捕らえた。

 今度は公園には寄らず、署の方向である右に針路を取った。ショッピング街をゆったりと歩く。雨のせいか大通りを走るコイルが多い。

 現代の移動手段としてポピュラーなコイルはAD世紀の自動車に形も似ているがタイヤはない。小型反重力装置で僅かに地面から浮いて走る。殆どの場合、座標指定をしてオートで走らせるものだ。停車して接地する際に、車底から大型サスペンションスプリングが出るので通称コイルと呼ばれるようになったらしい。

 雨の中、愛し人と散策を愉しむつもりでコイル群を眺め、ハイファはのんびり歩いていた。だがシドのまとう雰囲気を敏感に察知し、合図で視線を振り向ける。

 切れ長の黒い目で示された一軒の宝飾店内、外に面する側が全て透明なポリカーボネートのそこを覗くと、女性店員が二人して展示してあった商品を無骨な鞄に詰め込んでいた。彼女らの背後には男が一人ずつ刃物をちらつかせ突きつけている。

「ふうん、タタキかあ。貴方の銃ならともかく僕のはウィンドウで逸れるかも」

 若草色の瞳がポリカーボネートの厚さを測るように動く。

「じゃあ、お二人様ご来店だな」

 気負いの欠片もなく表情ひとつ変えないシドとハイファはオートドアをセンサ感知し宝飾店内に足を踏み入れた。びしょ濡れで入ってきた客に強盗二人は目を上げる。
 間髪入れずにシドが大喝した。

「惑星警察だ、武器を捨てて両手を頭の上で組め!」

 ここで重要なのは大声、気を取られて強盗らは女性店員からナイフを僅かに離す。その隙をシドとハイファは逃さない。二人はそれぞれ銃を抜き撃った。

 旧式銃の「ガーン!」という撃発音と「ガシュッ」というレールガン独特の発射音は、一発に聞こえるほどの速射で二発ずつ響いた。その残響が店内の空気を震わせているうちに、二人は肘からちぎれ落ちた強盗らの腕を握ったナイフごと蹴り飛ばす。

「十四時三十四分、現逮だ。ハイファ、リモータ発振」
「アイ・サー」

 ハイファがリモータ操作しているうちにシドは泡を吹き気絶した宝石強盗らの腕を樹脂の結束バンドで締め上げ止血処置だ。その頃に女性店員らが悲鳴を上げ始める。

 先に現着したのは救急機だった。白地に赤い十字をペイントした救急機はBELベル、BELは反重力装置で駆動する垂直離着陸機だ。AD世紀のデルタ翼機の翼を小さくしたような、オービタにも似た機体である。

 そのスライドドアが開いて白ヘルメットに作業服の隊員たちが飛び降りてくるとタタキ二人と腕二本を回収、再生槽にボチャンと投げ入れて速やかに去った。
 心臓を吹き飛ばされても処置さえ早ければ助かるのが現代医療、腕一本の培養移植なら二週間もすれば取り調べが可能になるだろう。

 次に緊急機が飛来、シドとハイファの同輩たちと鑑識を吐き出した。鑑識作業が終わるのを待ち、慣れたメンバーで実況見分をするすると済ませる。
 そして再び外に出たシドに、さすがに色々と心配になったハイファが訊いた。

「ねえ、緊急機に便乗して帰らなくてもいいのかな?」
「どうせ帰れば書類で缶詰だからな。お前、先に帰りたかったら乗って帰って書類に手ぇ付けといてくれよ。雨で残業も鬱陶しいしさ」
「何言ってるの、それじゃバディの意味がないじゃない。シドが歩くなら僕も歩く」

 ということで同僚たちの半ば唖然とした視線を無視し、再び二人はファイバの歩道を歩き始めた。だがイヴェントはまだまだ盛り沢山だった。
 本来ならば店内のトリップスペースで摂取する筈の合法ドラッグに酔い、往来のド真ん中でトリップ&ストリップしている男女を厚生局の薬対に連絡して引き渡す。

 次はコンビニ内で万引きというには大量の食品類を持ち出そうとしたオバチャンを説諭し、リアルマネーなどありもしない銀行で「クレジットを寄越せ!」と引火物らしき液体入りボトルとライターを持って騒いでいた男を引きずって、やっと署まで辿り着いた。

 課長に小言を言われる前に銀行脅迫男の取り調べを済ませ、地下の留置場に放り込んでからロッカールームで濡れた衣服を着替え、機動捜査課の刑事デカ部屋に戻る。

 まずデカ部屋名物通称・泥水コーヒーの紙コップを二人は確保しシドは自分のデスクに着いて煙草を咥えた。ハイファは捜査戦術コンから報告書類を打ち出してくる。
 盛大に紫煙を吐きながらシドはぼやいた。

「くそう、汎銀河一の平和とエリート意識は何処に行ったんだ?」
「さあね。あーたの前ではみんな雲散霧消するんじゃない、イヴェントストライカ」
「その仇名を口にするな!」
「わあ、やめてっ! その距離は貴方じゃなくても当たるっ、確実に当たるって!」

 シドは七年前、二人の出会いとなった広域惑星警察大学校・通称ポリスアカデミーの初期生とテラ連邦軍部内幹部候補生課程の対抗戦技競技会で、ハイファと共に動標射撃部門にエントリーし、揃って過去最若年齢にして最高レコードを叩き出したという射撃の腕の持ち主だ。その記録は未だに破られていない。

 だがそんな事実も、顎の下にねじ込んで撃つ分には関係ない。

「ならこの書類、八:二でお前が八な」
「誰よりも現実認識能力が高いクセして、無駄な抵抗的八つ当たりしないでよ」
「ふん、お前は危機管理能力を磨くべきだな」

 自分の与り知らぬ特異体質に言及されるのをシドは何より嫌うのだ。
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