マスキロフカ~楽園7~

志賀雅基

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第29話

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 部屋に戻るとシドは早速髪だけでなくリフレッシャで全身を洗って乾かした。

「ふあーあ、さっぱりしたぜ」

 すっかりくつろいだ表情になっていてハイファも自然と微笑まされる。

「なあ、あとで俺の服、買ってきてくれよな」
「分かってる。でも本来再生槽入りの貧血患者なんだから出歩いたらだめだよ」
「出歩こうにも今は行くアテもねぇしな。基地ん中じゃ散歩もできねぇし。あとはこの痛覚ブロックテープを剥がせればいいんだがな。また唇の端がピリピリ麻痺してるぜ。せっかくの煙草も旨さ半減だわ、下手すると火傷しそうになるわ」
「だからって勝手にやっちゃだめ、絶対後悔するから。貴方自身はどうだか知らないけど、ちょっとトラウマになる光景だったからね、あれは」
「サキイカになった辺りから先は殆ど覚えてねぇよ」
「覚えてなくて正解だよ。僕が貧血になるとこだったもん」
「キャスに言うんじゃねぇぞ」
「まさか言えないよ。でもその手、特に左は形見れば大概バレると思うけどね」
「じゃあ俺、半分寝とくか。毛布に手ぇ突っ込んどきゃいいだろ」

 ベッドの上半身部分に角度を付けて背を預け、毛布は胸の下辺りまで被って両手は自然に毛布の中へ。これなら大丈夫だろうと頷き合ったときチャイムが鳴った。
 オートドアはコード入力されたリモータを持つ者にしか開けられない。この場合、シドとハイファ、あとは看護師と医師だけだ。

《シド、具合はどう?》

 インターフォンのキャスの声に、ハイファがリモータ操作してドアを開けてやる。入ってきたキャスは昨夜別れたときに比べて顔色が格段に良くなっていた。

「ああ、シド、生きててくれて――」 

 ベッドに近づくなりキャスはシドの頭を抱き締める。

「ちょ、キャス、やめ、あのっ!」

 鼻先にモロに薄いセーターの胸が当たって藻掻くシドに、

「つらい思いしたご褒美よ。本当のご褒美はもういるけれどもね」

 と、シドとハイファとを見比べながら言った。

「隠すのを見たいとまでは言わないわ。でも、ナースステーションで訊いてきちゃったから。移植が必要な大怪我ですって?」

 恐るべきは女の情報網である。守秘義務などあったものではない。それでもシドは毛布から手を出さなかった。これ以上、余計なショックを与えたくはない。

「んで、マックスは……やっぱり病院っつっても軍だもんな。うろうろできねぇか」
「そう、ね。そうなんだけど……」
「どうした、何かあったのか?」
「退屈しのぎと続報知りたくてTV視てたら、いつもの頭痛が始まっちゃって」
「それこそ診て貰うべきだな。キャスも診て貰ったんだろ?」
「ええ……」

 そこで初めてハイファが口を開いた。

「で、お腹の赤ちゃん、何ヶ月だったの?」
「……えっ?」

 シドはキャスの、全く変化がないように思われる腹を見たまま固まった。

「三ヶ月も終わり、四ヶ月に入ったわ。勿論、自分では分かってたのよ」
「その分じゃ、マックスにも言ってないんじゃないの?」
「バディとしての最後の仕事が終わるまで言いたくなかったの。ねえ、お願い。言わないでいてくれないかしら」
「鈍い男性陣には口で言わなきゃバレないだろうし、余計な気遣いされたりするより現場そのものから外されたりするのが嫌なのは分かるけどね」
「でもそれは最低限、マックスには言うべきだと思うがな」

 ポーカーフェイスの中にも心配を浮かべてシド。キャスはハイファに勧められた椅子に素直に腰掛けながら暫し考えを巡らせる。

「そう……かしら。いいえ、やっぱりだめよ。ずっとバディでやってきたのよ。あと少しだけなの。こんなことになってしまったけれど……最後まで一緒にやりたい」

 シドも、ハイファにも、そのキャスの気持ちは痛いほどに分かった。

 バディは命が掛かったときに背中を預け合う相手だ。その繋がりを解消せねばならない最後の日まで、共に対等でありたいと願うのは自分たちも同じである。

「黙ってるのは簡単だが、キャス、腹の子供は大丈夫なのか?」
「順調だって言われたわ。だからお願い、言わないで頂戴」
「無理すんじゃねぇぞ。ヤバくなったらバレちまうんだから、自重しろよな。こんな状況だって精神的には拙いんだろうしさ。色々我慢してストレス溜めたりするなよ」
「ええ、でも本当に大丈夫よ」

 母は強しなのか手を腰に当ててとびきりの笑顔をキャスはして見せた。

「ところでそれは僕から振った話だけど、キャスはシドのお見舞い以外に何を言いに来たの? 急にあんなに具合が悪くなるようなことがあった。それを白状するの?」
「ハイファス、貴方には本当に隠し事はできないわね」

 途端に沈んだキャスは、まだ僅かに迷っている風だった。

「たぶんマックスのことだね」
「そう。でも大したことじゃないの、本当に。……実は一昨日の昼間だけれど、わたし午前中はマックスと別行動だったのよ。少しつわりの吐き気があったからマックスには『熱っぽい』って言って官舎で眠ってたのよね」
「だからマックスにアリバイはないって思っちまったのか?」
「あの人、今は機動捜査課にいるけれど爆発物処理課程も出てるのよ」
「爆発物……でもそんな道具や材料を持ってきた形跡はあるのか?」

 浮かない顔ながらキャスは首を横に振る。

「ないと思う。でも鞄の隅から隅までチェックした訳でもないから」

「まあ、普通はそうだよな。だからってキャス、お前は信じてやれよ。そもそも嵌められたからこそ、こうしているんだぜ? 本物のテロリストなら、こんな拙い真似する筈ないだろ? 俺たちはサツカンだが署の出入りで却って一般人よりチェックが厳しいんだぜ」

 言われてキャスは、やっと大きく肩で息をついた。

「そうね……そうよね。わたしったら、おかしい。どうかしてたわ」

 余程気になっていたのだろう。今は顔をほころばせて、セントラルのシドの自室で飲み騒いだときのように和らいだ表情に戻っていた。

「ありがとう。また訪ねてきてもいいかしら」
「ああ、いつでもいいぜ。マックスに宜しく言っておいてくれ」
「こっちは五日以上缶詰確定だからね、もしかしたらこっちから訪ねるかも」
「ヒマで腐る前にお願いするわ。じゃあ」

 心の重荷が取り去られたその足取りも軽く、クリーム色に塗られたオートドアからキャスは出て行った。去った嵐にシドとハイファは溜息をつく。

「お前、よくキャスが妊娠中だって分かったな?」
「言ったでしょ、男性陣は鈍すぎだって。身体症状プラス情緒不安定。だから無理矢理警察に出頭させるのは止したんだよ。マックスを観察したかったのもあるけど」
「お前がマックスに突っ掛かってたヤツか。そんなに前から『何かある』って気が付いてた、いや、疑ってたのか?」

 あっさりハイファは頷く。

「シドとの繋がりのみで別室に囮として選ばれるにしては離れてた時期も長いし、ちょっと線が弱すぎるって思ったから。実際、ヴィクトル星系からテラ本星に来て育って、馴染んで公僕にまでなった人間って珍しすぎると思って。でも別室に選ばれるほど『本当に何が珍しいのか』が分からなかったんだよね」
「それ、俺も思ってた。別室が選んだからには何かがある。それも良い事じゃねぇ、人生において瑕疵とも言える何かだ。今はキャスがいるが何があってもマックスから目を離すんじゃねぇぞ。本人は無意識に拙いことをやらかしている場合もある」
「分かってるよ。でも僕の考えが至らないうちにこんな……お蔭で超危険な綱渡り、シドにつらい思いをさせることになっちゃったんだけど」

 曇り顔のハイファをシドは宥める。

「そいつはもう終わったからいい」
「貴方が強い人で良かった。普通なら正気失くしててもおかしくないよ」
「もう言うなって。だがマックスが爆発物処理課程修了者とはな」
「そういうのも含めて別室は罠を仕掛けたんだろうけど、まだある?」
「俺の勘ではな。ヴィクトル星系出身の件といい、とんでもなく網の目が細かいぜ」
「別室の本気度の高さ……このままじゃ終わらない、終われない気がするよ」
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