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第42話
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マックスが手術のため再生槽から出されてひととき意識を取り戻す日、立ち会いを許されたキャスとシドたちは病室に朝からずっと詰めっ放しでそのときを待った。
引き上げられ防水シーツ上に寝かせられたマックスに繋がったチューブから医師が薬剤を注入して待つこと数分、まぶたを震わせながら灰色の瞳が現れる。
「マックス、わたしよ。分かる?」
ぼんやりした目は何とか焦点を合わせようと努力しているようだったが、力のないまま頷いたマックスにキャスが見えているのかどうか怪しかった。脳の壊死部分の影響もあるのかも知れない。だがキャスは再生液で濡れたマックスに語り続けた。
「貴方、助かったのよ。これからは脳の声も聞こえなくなるわ。もう大丈夫なのよ」
レールガンの連射を浴びたのと反対側、左手をキャスは握る。
「今から手術して本当に良くなるの。待ってるから」
キャスの腹部を指差してシドが割と大きな声で訊いた。
「おい、言わなくて――」
「今はいいの。マックス、貴方の手術が終わったら、とびきりのプレゼントを用意して待ってるから頑張ってきてね」
マックスはようやく状況が掴めてきたらしく、掠れた声を絞り出した。
「キャ、ス……皆、すまん……」
「俺こそ、撃っちまって悪かったな」
「いや……いい。シド、お前にバディが……ハイファスがいなかったら……あの、セントラルで訪ねた夜に……キャスを、頼みたかったんだ……俺の代わりに」
「ふざけるんじゃねぇよ。キャスのバディは他の誰でもねぇ、お前だろうが。そのイカレた頭をさっさと手術で治してきやがれ」
「そうよ。わたしの意志を無視して何言ってるのよ。貴方とわたしのバディシステムは一生続くの。そう誓い合ったじゃない。だから早く良くなって――」
光る二つのリングを目にしてハイファがシドを促し、キャスを置いて病室の外に出た。マックスの状態をこの上なく理解している医療スタッフも室外で待機している。
おそらくマックスとキャスが築いてきたものは今日この日を限りに終わるのだ。
現代医療がいかに進もうと、失った人は帰ってこない。
言語野に関しては補助的にメカを埋めることでかなりの問題解決が見込める上に、知識は幾らでも後付けが利くものの記憶までは埋まる筈もなかった。キャスはそれを知った上で、マックスに子供の存在を告げぬまま手術に送りだそうとしているのだ。
さながら、まっさらなスケッチブックに真っ先に描く夢を決めた少女のように。
「こういうのには幾らでもぶち当たってきたけどさ……俺、だめだ」
廊下のベンチに座り込んだシドの隣にハイファも腰掛けながら溜息をつく。
「はーっ。得意な人はいないでしょ。マックスが本星に帰ってきたら、セントラル・リドリー病院の脳外科の病室キープしてリハビリとセットでプレゼントしようよ」
「ああ、それもいいな。腐るほど当たったのはこのためだったのかもな」
「僕にもFCの役員報酬から手伝わせてね」
「そこまで言ってくれるなら有難い。お前の方が細かいことに気が付くしさ」
「そうじゃなくても本星セントラルなら僕らのホームで色々と小回りも利くしね」
「暫くは近くにいてやりたいしな」
病室のオートドアが開き目を真っ赤にしたキャスが出てきた。医師たちを見て、
「お願いします」
と、ひとこと言い頭を下げた。
手術室に運ばれるマックスは再び意識を落とされており、心肺移植と脳の同時手術に耐えられるのかと心配になるくらい憔悴の影が色濃かった。
だがマックスは手術室から無事に生還した。元より手術自体は、現代ではさほど難しいものではない。しかし問題はこれからなのだ。
手術後三日間は再生液の中で強制的に眠らせてあり、再生槽から出されてからは自発的に目覚めるのを待つ状態で、キャスは勿論シドたちもマックスの病室に殆ど詰めていた。
ずっとマックスの傍から離れずにいるキャスに、シドたちは交代で食事を運び、代わる代わる話し相手を務める。
そうしてタイタンが再び夜のフェイズに入った頃、マックスは灰色の瞳を覗かせたのだった。
◇◇◇◇
「想像してた以上につらいものがあるよな」
「まだメカが脳に馴染んでないって話だけど、先が長そうだよね」
「こう言っちゃなんだが夫婦っつーより親と赤ん坊みてぇだもんな」
「確かにキャスがツバメのお母さんみたいに見えるかも」
マックスは、やはり記憶を失くしていた。
生きてゆくのに最低限必要な知識に関してはある程度の能力が残存していると検査で知れたものの、それを出力する言葉が未だ片言状態で単語をぽつぽつ発してはキャスに欲求をする様子はなるほどヒナが親鳥に口を開けて餌をねだるようでもあった。
キャスが食事を終えるのを待って二人は一旦ホテルに帰ってきていた。同じホテルにキャスの部屋も取ってあるがキャスは殆ど病院に泊まり込んでいる。
シドがコーヒーを淹れハイファに手渡す。熱い液体を吹くと同時に二人は溜息だ。
煙草を咥えて火を点けたシドはしみじみと紫煙を吐く。
「俺たちもそろそろ帰らなきゃな」
「マックスが完全回復まで、なんて言ってたら何ヶ月か何年か、分からないもんね」
「一応あいつも、そろそろショートワープはいけるらしいんだがな」
ハイファがコーヒーに口をつけながら提案した。
「傷は全て塞がってるもんね。じゃあ本星の病院に移るならセントラル・リドリー病院の件、あとでキャスに訊いてみようよ。いい返事が貰え次第病室押さえるからサ。早くしないとキャスが過労で倒れちゃうよ」
「キャス一人の躰じゃねぇもんな」
少しでもキャスを休ませ寝かせるために二人は一日おきに病室での不寝番を買って出ているのである。今日もこのあと病院に戻る予定だった。
「見るのはつらいが腹の子供にまで何かあってからじゃ遅いからな」
「言ったら何だけど、大きい子供が先にできちゃったって感じだもんね」
「でもさ、本当に母は強しだよな。俺には真似できねぇよ。お前に子供ができなくて良かったぜ。お前、間違っても力技で妊娠するなよな」
「そういう人ほど、娘なんかできた日にはチャブ台返しするんだよ」
「何処のデータだよそれは。俺はお前がいればいい……なあ?」
「ちょ、そこで欲情してる場合じゃないでしょ」
向かい合って腰掛けたソファ、ロウテーブル越しに自分の肩に手をかけたシドを睨み、それでもキスを許す。舌を絡め合い、唾液を吸い合って離れた。
「んっ。ほら、さっさとリフレッシャ、先に使ってきて。病院行く前にキャスに何か甘い物でも買っていってあげるんだから」
二日後、二人はテラ本星行きの宙艦に乗った。キャスとマックスも一緒に。
引き上げられ防水シーツ上に寝かせられたマックスに繋がったチューブから医師が薬剤を注入して待つこと数分、まぶたを震わせながら灰色の瞳が現れる。
「マックス、わたしよ。分かる?」
ぼんやりした目は何とか焦点を合わせようと努力しているようだったが、力のないまま頷いたマックスにキャスが見えているのかどうか怪しかった。脳の壊死部分の影響もあるのかも知れない。だがキャスは再生液で濡れたマックスに語り続けた。
「貴方、助かったのよ。これからは脳の声も聞こえなくなるわ。もう大丈夫なのよ」
レールガンの連射を浴びたのと反対側、左手をキャスは握る。
「今から手術して本当に良くなるの。待ってるから」
キャスの腹部を指差してシドが割と大きな声で訊いた。
「おい、言わなくて――」
「今はいいの。マックス、貴方の手術が終わったら、とびきりのプレゼントを用意して待ってるから頑張ってきてね」
マックスはようやく状況が掴めてきたらしく、掠れた声を絞り出した。
「キャ、ス……皆、すまん……」
「俺こそ、撃っちまって悪かったな」
「いや……いい。シド、お前にバディが……ハイファスがいなかったら……あの、セントラルで訪ねた夜に……キャスを、頼みたかったんだ……俺の代わりに」
「ふざけるんじゃねぇよ。キャスのバディは他の誰でもねぇ、お前だろうが。そのイカレた頭をさっさと手術で治してきやがれ」
「そうよ。わたしの意志を無視して何言ってるのよ。貴方とわたしのバディシステムは一生続くの。そう誓い合ったじゃない。だから早く良くなって――」
光る二つのリングを目にしてハイファがシドを促し、キャスを置いて病室の外に出た。マックスの状態をこの上なく理解している医療スタッフも室外で待機している。
おそらくマックスとキャスが築いてきたものは今日この日を限りに終わるのだ。
現代医療がいかに進もうと、失った人は帰ってこない。
言語野に関しては補助的にメカを埋めることでかなりの問題解決が見込める上に、知識は幾らでも後付けが利くものの記憶までは埋まる筈もなかった。キャスはそれを知った上で、マックスに子供の存在を告げぬまま手術に送りだそうとしているのだ。
さながら、まっさらなスケッチブックに真っ先に描く夢を決めた少女のように。
「こういうのには幾らでもぶち当たってきたけどさ……俺、だめだ」
廊下のベンチに座り込んだシドの隣にハイファも腰掛けながら溜息をつく。
「はーっ。得意な人はいないでしょ。マックスが本星に帰ってきたら、セントラル・リドリー病院の脳外科の病室キープしてリハビリとセットでプレゼントしようよ」
「ああ、それもいいな。腐るほど当たったのはこのためだったのかもな」
「僕にもFCの役員報酬から手伝わせてね」
「そこまで言ってくれるなら有難い。お前の方が細かいことに気が付くしさ」
「そうじゃなくても本星セントラルなら僕らのホームで色々と小回りも利くしね」
「暫くは近くにいてやりたいしな」
病室のオートドアが開き目を真っ赤にしたキャスが出てきた。医師たちを見て、
「お願いします」
と、ひとこと言い頭を下げた。
手術室に運ばれるマックスは再び意識を落とされており、心肺移植と脳の同時手術に耐えられるのかと心配になるくらい憔悴の影が色濃かった。
だがマックスは手術室から無事に生還した。元より手術自体は、現代ではさほど難しいものではない。しかし問題はこれからなのだ。
手術後三日間は再生液の中で強制的に眠らせてあり、再生槽から出されてからは自発的に目覚めるのを待つ状態で、キャスは勿論シドたちもマックスの病室に殆ど詰めていた。
ずっとマックスの傍から離れずにいるキャスに、シドたちは交代で食事を運び、代わる代わる話し相手を務める。
そうしてタイタンが再び夜のフェイズに入った頃、マックスは灰色の瞳を覗かせたのだった。
◇◇◇◇
「想像してた以上につらいものがあるよな」
「まだメカが脳に馴染んでないって話だけど、先が長そうだよね」
「こう言っちゃなんだが夫婦っつーより親と赤ん坊みてぇだもんな」
「確かにキャスがツバメのお母さんみたいに見えるかも」
マックスは、やはり記憶を失くしていた。
生きてゆくのに最低限必要な知識に関してはある程度の能力が残存していると検査で知れたものの、それを出力する言葉が未だ片言状態で単語をぽつぽつ発してはキャスに欲求をする様子はなるほどヒナが親鳥に口を開けて餌をねだるようでもあった。
キャスが食事を終えるのを待って二人は一旦ホテルに帰ってきていた。同じホテルにキャスの部屋も取ってあるがキャスは殆ど病院に泊まり込んでいる。
シドがコーヒーを淹れハイファに手渡す。熱い液体を吹くと同時に二人は溜息だ。
煙草を咥えて火を点けたシドはしみじみと紫煙を吐く。
「俺たちもそろそろ帰らなきゃな」
「マックスが完全回復まで、なんて言ってたら何ヶ月か何年か、分からないもんね」
「一応あいつも、そろそろショートワープはいけるらしいんだがな」
ハイファがコーヒーに口をつけながら提案した。
「傷は全て塞がってるもんね。じゃあ本星の病院に移るならセントラル・リドリー病院の件、あとでキャスに訊いてみようよ。いい返事が貰え次第病室押さえるからサ。早くしないとキャスが過労で倒れちゃうよ」
「キャス一人の躰じゃねぇもんな」
少しでもキャスを休ませ寝かせるために二人は一日おきに病室での不寝番を買って出ているのである。今日もこのあと病院に戻る予定だった。
「見るのはつらいが腹の子供にまで何かあってからじゃ遅いからな」
「言ったら何だけど、大きい子供が先にできちゃったって感じだもんね」
「でもさ、本当に母は強しだよな。俺には真似できねぇよ。お前に子供ができなくて良かったぜ。お前、間違っても力技で妊娠するなよな」
「そういう人ほど、娘なんかできた日にはチャブ台返しするんだよ」
「何処のデータだよそれは。俺はお前がいればいい……なあ?」
「ちょ、そこで欲情してる場合じゃないでしょ」
向かい合って腰掛けたソファ、ロウテーブル越しに自分の肩に手をかけたシドを睨み、それでもキスを許す。舌を絡め合い、唾液を吸い合って離れた。
「んっ。ほら、さっさとリフレッシャ、先に使ってきて。病院行く前にキャスに何か甘い物でも買っていってあげるんだから」
二日後、二人はテラ本星行きの宙艦に乗った。キャスとマックスも一緒に。
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