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第45話

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「いやいや、思ったよりも早くバッテリが届きましてな、今日から設置に入れることになりました。それもこれも皆さんのお蔭でして――」

 長々と語るリアム=マクレーン行政副長の言葉を皆は殆ど右から左に聞き流していた。フリッグホテルの一階ロビーである。二十余名を前にしてマクレーン氏は語っているのだ。

 その二十余名の中でも、酔っ払って『お願い』した男と、酔っ払いの『お願い』を真に受けた男は、ジリジリとしてマクレーン氏の演説会が終わるのを待っていた。

「ハイファ、じっと立ってて大丈夫か?」
「うん、平気だから心配しないで」

 とはいえハイファの白い肌は透けるよう、長いまつげで伏せられた目は赤く潤んでいてシドの心配は尽きない。だからといって皆の前で細い腰を支えてやることもできなかった。

 今朝方までナニしてしまい、本当にハイファを壊しかけたのは事実で自分こそ猛省すべきだと解ってはいた。けれどタダでさえ朝食の席に揃って遅刻してしまい、皆から生温かい目で見られ、腐女子にネタを投げ与えてしまったのである。

 テラ本星に帰れば一連の事実と憶測が署内メールで飛び交うのは間違いなかった。

「……チクショウ」

 呟きと不機嫌オーラにヤマサキとナカムラがシドの視界から半歩外に出た。

「それでは宙艦の時間も迫ってきたことですし、この辺りでヨーゼフ=シャハト行政長の謝辞を読み上げたいと思います……」

 いい加減にしろよこの野郎とシドはマクレーン氏を睨みつける。あまり長くなるとキャリーバッグの中のタマのトイレ問題もあった。
 苛つきながら切れ長の目で睨み続けること更に十五分、ようやく宿泊代分の大演説は終焉を迎える。

「ということで、またの御来島をお待ち申し上げております」
「では、皆、コイルに乗車したまえ」

 ヴィンティス課長の仕切りでエントランスを抜け、車寄せの四台のオープンコイルに全員が分乗した。走り出してからシドはリモータを見る。現在時、十時半。十二時発の宙艦には充分間に合う時間だ。だがその前に一度、タマには用を足させた方がいいかも知れないと思う。

 コイルは軍警察の兵士たちが手動運転していた。一台に二人の兵士が就き、先頭には二分署副署長のルーファス三等陸佐が乗り込んでいるという物々しさだったが、コイルは軽快にテュールの都市を走り抜けてエレベーターに乗り、細い通路を通ってBEL格納庫に辿り着く。

「どうも、わざわざすみませんな」
「いえ、あの砂嵐の中でBELを操縦可能な者が僅かしかおりませんので」
「ということは副署長殿が自ら……?」
「ええ、まあ。人材不足を賓客に露呈するのは、お恥ずかしい限りですが」

 ルーファス副署長はヴィンティス課長と話しながらもキビキビと七名の部下に指示し二機の中型BELを準備させた。何となく機捜課と警務課に分かれて乗り込むとルーファス副署長は男の本能からか警務課の方のBELのパイロット席に悠々と座る。

 残りの席を兵士たちが埋めると出発だ。

 反重力装置を起動させた二機の中型BELはテュールの腹から生み落とされるようにテイクオフする。浮島の慣性から解き放たれると同時にかなりの揺れが襲ったが、何度も経験したシドは恐怖感を覚えない。ただ窓外を眺めて目下に宙港を見つけようと注視していた。

「あ、あそこに見えたよ、第一宙港。もう宙艦が着いてる」

 コンマ数秒だけハイファに先んじられ、シドは微かに悔しく思いながらランディングを待った。やがてスキッドが接地した振動が伝わる。

 宙艦は往路でテュール向けの半永久バッテリを積んできたもので、まだ荷を降ろしきれておらず、シドたちは薄茶色の熱風の中をユニット建築まで歩くこととなった。

 女性であっても唾を吐き目を擦るのは状況として仕方ないだろう。水道はあるが、ここの水道はテュールからのアンテナ送電によるモーターで水を汲み上げていて、今は断水中なのだ。

 皆が何とか見られるよう体裁を整えた頃になって宙艦の乗組員が一人やってきて、乗り込みスペースができたことを告げる。また砂嵐かという思いと旅客ではなく貨物扱いかという諦めとが皆に深い溜息を洩らさせた。だが乗らねば帰れないのだ。

 ユニット建築のドアを開けると七、八十メートル先の貨物艦まで二十数名が一斉にダッシュする。ダッシュしたが、やはり熱風に圧されてすぐに一歩一歩を踏み締めるハメになった。砂塵を吸って咳き込みながら目も半分瞑った状態で後部カーゴドアを目指す。

 足元は砂のヤスリで削られ割れた石畳、転ばないよう気を付けつつ距離を半分消化した辺りで、シドは風の唸りに紛れた異音を捉えた。ハイファも気付いたか、シドを鋭く見る。

「だめだ、全員止まれ、後退しろ! 撃たれるぞ!」

 その頃には皆も異変に気付き、警務課の婦警組を背後に庇ってシリルを抜いていた。茶色い砂塵に目を凝らすと、貨物艦の後部カーゴドアを掩蔽にした一団が見え隠れしている。

 そう、こちらを狙っているのは、皆を送ってきた軍警察の兵士たちだった。

 だが彼らの得物も同じくシリルM220、装薬の少ないプラ弾では風に流され、狙いをつけても殆ど当たることがない。
 しかし万が一の流れ弾ということもある。皆は徐々に後退した。

 風の唸りに負けじとハイファが大声を出す。

「何で? どうなってるのサ!」
「たぶんルーファス副署長も敵ってことだろ!」
「まさかアラキバ抵抗運動旅団?」
「何処でオルグされたか知らねぇが、そういうことだ!」
「そっか……あっ、シド! あそこ、あれ見て!」

 貨物艦の傍にビッシリと積まれたバッテリユニットに向かってルーファス副署長が一人で銃を向け、淡々とトリガを引いていた。時折バッテリが紫色の光を発し放電している。

「くそう、これじゃヨルズの民まで干上がっちまうぜ!」

 他の誰が撃っても当たらない、どころかフレンドリーファイアになる恐れすらあった。ワープ前に怪我は掠り傷でも拙い。自分のレールガンしかないのを承知してシド、熱砂の嵐の中でパワーセレクタを親指で跳ね上げる。
 殆ど視界が利かない中でトリプルショット、更にダブルタップ。テロリストの最後の砦だったであろうルーファス副署長が風に血飛沫を攫われながら吹き飛んだ。

 けれどまだ七人もの兵士がプラ弾をぶちまけている。だがこれにはシドも容易に撃ち込めない。貨物艦にはクルーもいるのだ。それに宙艦に穴を空けては洒落にならない。
 宙艦の外殻は意外に薄い。金属を宇宙線が透過する際に変容して人体に悪影響を与えないよう、気密を保てる最低限の厚みしかないのが現状なのだ。

「弾切れまで待つか」
「接近戦にトライするかだね」
「接近戦にトライしようぜ」
「涼しい顔して気が短いんだから。弾切れまで待とうよ」
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