砂中で咲く石Ⅰ~Barter.11~

志賀雅基

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第2話

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「あっ、つうっ!」

 思わず声を上げてしまってから京哉きょうやは慌てて左手を背後に回して隠した。だが上司二人は京哉の声を聞き逃さず、揃ってこちらを向き眉をひそめた。
 咄嗟に京哉は誤魔化そうと右手指でメタルフレームの伊達眼鏡を押し上げつつ横を向いたが見逃しては貰えない。

「どうした、鳴海なるみ巡査部長?」
「えっ、あっ、何でもありません。霧島きりしま警視」
「何でもないって声じゃなかったぞ、京哉くん」
「本当に何でもなくて。小田切おだぎり警部も職務を続行して下さい」
「嘘をつくな。どれ、見せてみろ」

 上司二人は隊長及び副隊長席からわざわざ立ってくると京哉が隠した左手を出させる。人差し指の根元から血が滴っていた。ファイル作りでカッターナイフの手を滑らせたのだ。
 目にした小田切副隊長がごく自然な動きで京哉の血を舐めようとしたが、そんな行いを京哉の相棒バディでありパートナーでもある霧島が許す筈がない。

「止せ、小田切。貴様が舐めると鳴海が妊娠するだろう!」
「んな訳あるかい。幾ら俺でもそんな技は持ってないよ」
「貴様なら分からん。いいから離れろ」

 グイと押されて顔を変形させつつ、小田切は霧島隊長が京哉の指を舐めるのを見る。

「かなり傷が深いようだな。私がついて行ってやるから、お前は医務室だ」
「隊長に付き添って貰う程じゃないですよ。独りで行きます」
「いや、部下の事故は私の責任だ。ほら、行こう。さあ、行こう」

「また、そんなこと言って報告書類から逃げるつもりじゃないんですか?」
「書類など腐らん。そんなものよりお前の怪我だ。お前の痛みは私の痛みだからな」
「霧島警視、そこまで僕を……」

 見つめ合う二人を小田切は眺め、馬鹿馬鹿しくなって耳をかっぽじった。丁度昼飯休憩で戻ってきていた隊員たちも二人の世界を構築している霧島と京哉を笑い野次を飛ばす。

「それこそ隊長に舐められたんだ、鳴海、妊娠してないか?」
「検査した方がいいぞ。隊長の技はキレが違うからな」

 ここは首都圏下の県警本部庁舎二階、機動捜査隊・通称機捜の詰め所である。

 機捜は普通の刑事と違い二十四時間交代という過酷な勤務体制で、ここでは三班に分かれローテーションを組んでいた。職務は私服に覆面パトカーで密行警邏し、殺しや強盗タタキに放火その他の凶悪事件が起こった際に、いち早く駆けつけて初動捜査に就くことである。

 だが機捜隊長の霧島と副隊長の小田切に秘書の京哉は基本的に内勤が主で、定時出勤・定時退庁する毎日だった。大事件さえ起こらなければ土日祝日も休みである。

 ともかくそんな機捜は不思議なほど女性率が低く、皆が下ネタに走ってしまうのは仕方がないと云えた。皆の大声に我に返った京哉は顔を赤くしたが、今年の春に異動してきて今は初冬である。初めの頃は給湯室に逃げだしていたが、今ではすっかり慣れて霧島の鉄面皮に倣い表情筋を動かさない。

 それに霧島との関係はとっくに皆に知られていた。左薬指にペアリングまで嵌めていては今更言い訳もできない。表情筋が揺らがぬうちに医務室に向かうことにする。

「本当に独りで行ってくるからいいですよ」

 隊長殿をサボらせまい、いや、手を煩わせまいとする腐心する鳴海京哉は二十四歳だ。巡査部長二年生で小柄ながらスペシャル・アサルト・チーム、いわゆるSATサットの非常勤狙撃班員でもあった。

 県警本部長直々にSAT狙撃班員に任命されたのは、京哉が元々スナイパーだったからである。無論それは合法ではなく、陥れられたのだった。
 警察学校で抜きんでた射撃の腕に目を付けられ、卒業し配属寸前で捏造された亡き父の罪をネタに脅されたのである。

 政府与党重鎮と警察庁サッチョウ上層部の一部に、国内外にあまたの支社を展開する巨大総合商社の霧島カンパニーが組織した暗殺肯定派に嵌められて、政敵や産業スパイの暗殺に従事させられていたのだ。

 だが警察官をする傍ら五年間もスナイパーをして一度も外さなかった驚異の腕を持ちつつ霧島と出会って心を決めた。『知りすぎた男』として消されると知った上で暗殺スナイパー引退宣言に踏み切ったのだ。
 結局本当に暗殺されそうになり、間一髪で霧島が機捜の部下を率いて飛び込んできてくれて命を存えたのである。

 そのあと警察が総力で以て京哉がスナイパーだった事実を隠蔽したために現在はこうしていられるのだが、京哉は自分が撃ち砕いてきた人々を決して忘れない。

 忘れられるどころか心に多数の墓標を抱えてしまい、パートナーの霧島曰くPTSDで心の一部が壊れ気味でもある。京哉自身も自覚していて場にそぐわない言動を取ってしまったり、意志に関係ない命令での狙撃で他者の命を奪うと酷い熱を出したりすることもあった。

 それでも一生涯のパートナーを誓い合い、過去の暗殺スナイプですら共に背負うと言ってくれた霧島が常に傍にいてくれるお蔭で随分と癒され、こうして日々の勤務も生活も普通にこなせている。そんな霧島には感謝と愛情でいっぱいな京哉だった。

 それに暗殺スナイパーの件に関わった霧島も『知り過ぎた男』認定されてしまい、最近は二人して県警本部長を経由し下される特別任務に就かされることも多くなってきた。
 特別任務の依頼主は、自衛隊だの政府だの果ては国連安全保障理事会だのという、県警とはまるで関係ないが断れない筋だったりする。

 お蔭でそのたびに二人して謎な出張に出張らなければならない。そして極秘の特別任務は大概が激しくも厳しく銃弾が飛び交うような有様で、誰が何をどれだけ背負うなど考えていられなくなってきた気がしていた。

 ただ自分に関わったために『警察官の鑑』とまで言われる霧島が銃口を人に向けねばならない場面も増えてきて、京哉は霧島から『私の意志だ』とたびたび言われながらも巻き込んでしまった後悔を拭えずにいた。

 ともあれそんな京哉が怪我をして放置できる霧島ではない。

「いいから私にも付き添わせろ。ここまで深いと縫うことになるかも知れん」

 年下の恋人が愛しくて堪らず、ハーフだった生みの母譲りの灰色の目に心配を浮かべる霧島しのぶは二十八歳だ。
 この若さで警視の階級にあり機捜隊長を拝命しているのは、最難関の国家公務員総合職試験を突破したキャリアだからである。それも同期内でトップという成績で入庁した。更には霧島カンパニー会長御曹司でもあった。

 京哉が暗殺されかけた所に踏み込み未遂で防いだあの一件で霧島カンパニーはメディアに叩かれ株価が大暴落して窮地に追い込まれた。だが数ヶ月を耐え抜いて現在は持ち直し、却って上昇傾向にある。

 故に警察を辞めたら霧島カンパニー本社社長の椅子が待っているのだが、本人は警察の現場のノンキャリア組を背負うことを何より望み、辞める気は欠片もない。それどころか実父の霧島会長を毛嫌いしていた。

 目的のためなら手段を選ばない実父を『クソ親父』『悪魔』呼ばわりし、裏での悪事の証拠さえ掴んだら逮捕も辞さないと明言している。却って京哉の方が霧島会長と気が合い、御前と呼び親しんでいるくらいだ。

 そんな霧島は百九十センチ近い長身をオーダーメイドスーツに包み、切れ長の目が涼しく怜悧さを感じさせるほど造作が整っていた。
 おまけに武道の全国大会で何度も優勝を飾っているという、まさに眉目秀麗・文武両道を地でゆく、他人から見れば非常に恵まれた男である。

 お蔭で『県警本部版・抱かれたい男ランキング』でここ数期連続トップを独走しているのだが、元々同性愛者でその事実を隠そうともしていないので、京哉も少々安心していられるのだ。

「では行ってくるからな。小田切、あとを頼むぞ」
「ふあーあ。へいへい、頼まれるから早くつれて行ってやってくれるかい?」

 大欠伸をしている小田切だがこれでもキャリアで霧島の二期後輩に当たる。同期内ではビリの成績で入庁し、男女関係ない派手な付き合いを上に睨まれ、たらい回しの挙げ句この機捜に流れ着いたという経緯があった。京哉と同じくSATの非常勤狙撃班員でもある。

 異動してきた当初は京哉にも秋波を送っていたが、つい先だって昔の彼氏であり現在は同じ県警生活安全部せいあんに所属する香坂こうさか警視と縒りを戻して落ち着いたばかりだ。

 ラフな挙手敬礼をして二人を送り出すと、さて何をして仕事をサボろうかと小田切は周囲を見渡す。その時、傍にやってきた三毛猫がパサリと膝に乗って丸くなり、小田切は顔色を変えた。

 このオスの三毛猫ミケは特別任務の副産物でマンションがペット禁止だからと京哉がつれ込んだ、野生でもあり得ない凶悪さを誇るケダモノだ。
 トイレにも行けなくなった小田切は脂汗を流し続けた。
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