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第31話
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咄嗟に京哉が捻り出した、
『プラーグ政府高官に汚職の疑惑があり、この国自体から依頼され内偵をしている国連査察団先遣隊員の二人』
『まずは現地の風土を知るために協力を仰いだプラーグ国民である一女性』
というハッタリを真に受けたマクフォール大佐から嘘も事実も洩れる心配は殆どない。おそらく自分たちバディの最強の武器は口だと霧島は思う。
ともあれ二人は借りた個室で暫し文化的生活を営むことになった。
「ここが軍の管轄で却って助かりましたよね、対応も速かったし」
「確かにな。お前の捜二案件レヴェルの二枚舌にも驚いたが」
「それでこの部屋も借りられたんですから、文句を言わないで下さい」
二人が借りた個室は特別室だった。そこまでされなくてもと思ったが、エアコンとバスにトイレと洗濯乾燥機に電気ポット付きの部屋を他人に譲る気がなくなったのだ。
肝心のユーリンは食らった弾丸も摘出されて今はICUで眠っている。もう命に別状はなく全治二週間という診断も下っていた。三日間は薬で意識レヴェルを落とす予定ということで、ユーリンの意識がはっきりするまでは二人も留まるつもりだった。
早速京哉はポットで湯を沸かし、院長から直々の差し入れであるインスタントコーヒーを二人分淹れる。エアコンの利いた部屋で熱いコーヒーの香りは格別だった。
「それにしても忍さんってば、いきなり何もかも吹っ切り過ぎですよ。共同戦線を提案したり中央撃破をそそのかしたり、まるで貴方が陰のリーダーじゃないですか」
「ふん。ならば私の頭に風穴を開けて任務完了にするか?」
「そうもいかないから困ってるんです。ターゲットも見つからないままどんどん事態が予想外に転がっちゃって、この先、何がどうなるのかさっぱり分からないし」
「主だったグループが集まれば、統制をとる奴も見えてくるかと思ったのだがな」
ソファに腰を下ろした霧島に京哉はカップを手渡すと、煙草を咥えて火を点ける。
「本当にそれだけですか? 本気に聞こえましたよ、大統領と軍司令のガラ取り」
「それこそ交渉役としての代表者が現れるかも知れんぞ」
「だから任務はプラーグ政府の転覆じゃないんですけど」
「結果として腐った中央が倒れることもアリではないのか? いや、そんな目で見るな。別に企んでも具体的な何かを仕掛けてもいない。言ってみただけだ」
「是非ともそうあって欲しいものです、バディとしては」
向かいのソファに腰掛けて京哉は煙草とコーヒーを交互に口に運びながら呟いた。
「でも本当に今回の特別任務って不思議ですよね。不確定要素が多すぎますよ」
「任務自体は単純なんだがな」
「はっきりしてるのは某大国はジョセたちを排除したいってことだけなんですよね」
「一ノ瀬本部長の口から出たそのままだからな」
「某大国がどうしてこんな任務を依頼してきたのか、初めは理由も予想してました。恐怖政治の種である処刑を失くすために反政府ゲリラごと消そうとしているって」
「お前と同様に私も今はその理由を捨てている。実際この国を内側から見て某大国の意図がまるで分からなくなった。彼らも砂の花採掘の一端を担っている頭数だぞ?」
「ですよね。じゃあ別の理由って言われても何にも思いつかないし。忍さんは?」
「過去にも現在にも理由を思いつかん。ならば未来だろう。反政府ゲリラの存在が今まで以上に邪魔になる何かをこれから某大国はしようとしている。どうだ?」
「どうだって訊かれても、例えばどんな?」
「未来のことまで知らん。とにかく貧しい民衆の味方がいたら拙いことだ」
「そんな小学生みたいな物言いして、まだ本気出してないでしょう」
「情報不足で逆さに振っても何も出てこん。脳のリソースを食うだけ無駄だ」
軽く言い捨てた霧島は京哉がロウテーブルに置いていた煙草のパッケージから一本盗んで咥えると、身を乗り出し京哉の煙草から貰い火をして盛大に紫煙を吐く。
「まあ、取り敢えずはジョセたちにユーリンの容体の報告だな」
「普通にメールで送って大丈夫でしょうか?」
「それくらい洩れても大した影響はない」
応えつつ霧島は某大国とプラーグ政府が一枚岩でないことについて考えていた。
真の思惑はともかく某大国は反政府武装勢力を根こそぎなくしてしまいたいのだ。
一方でダニロ=ブレッヒ大統領率いるプラーグ政府の目論見は、反政府武装勢力の存在まで利用し政権維持し続けて、砂の花売益の一部を掠め取り私腹を肥やすことである。非常に汚いが後者の理屈は分からないでもなかった。
だが幾ら暢気でもプラーグ政府首脳陣が自国と某大国の目論見の食い違いに気付いていないという状況があり得るのか……いや、極貧の小国が某大国に捻り潰されず国体を成している。やはり致命的失敗など犯していない可能性の方が高い。
その場合は『某大国の思惑に反すると分かっていて、プラーグ政府首脳陣は私腹を肥やすシステムを維持している』のだ。裏を返せば『某大国は思惑に反し目標達成の邪魔をしているプラーグの我が儘を許している』ことになる。
これで本当に疑問と思えるものを霧島はひとつ抱え込んだ。
細かな疑問点は挙げたらキリがない。プラーグが思惑も違う某大国だけに砂の花を独占させているのも不思議だ。他国にだって砂の花を売りつけた方が価格競争にも繋がるというのに隣国ユベルをトンネルにして某大国のみに供給し続けている。
他にも思惑の相違から現場レヴェルでは邪魔し合っていると言っても過言ではない状況なのに、それを許すほど某大国がプラーグに対して甘いのはどうしてなのか。
何れの疑問にも砂の花というキィワードを使えば説明はつく。
貴重な砂の花の売り手と買い手の緊密な関係が非常に良好に保たれてきた結果、某大国によるプラーグへの直接介入という最悪の事態も避けてこられたのだ。
結局残ったのが、では砂の花とはいったい何なのかという疑問である。
馬鹿にしたような話だが霧島は本気でそれを考え始めていた。
希少だが放射性物質でもない鉱物に対する、日本を含む国際社会の腫れ物に触るような扱いは妙すぎる。おまけに砂の花で結びついた某大国とプラーグの関係性も特異に思われた。
そこで思い出したのが村の小屋で京哉とした話だ。街の人間なら一個二万もする貴重品だが、村人はそうではない。これがプラーグ国内限定ではなく砂の花が巡る国によってもまるで価値が違うとしたら――。
「忍さん! 灰が落ちますよ」
「ん、ああ、すまん」
「ジョセにメールしておきましたから。先にシャワー浴びてきていいですか?」
「ゆっくり磨いてこい」
ベルトからスペアマガジン入りのパウチ二本や水筒とナイフを外しショルダーホルスタも解くと、ベッドから患者用のガウンを手に取って京哉はバスルームに消えた。
暫くして出てきた京哉は相当すっきりしたらしくご満悦だった。それならと霧島も装備を外してバスルームに向かう。ウォッシャブルのスーツまで全て洗濯乾燥機に押し込んでスイッチを入れた。あとは砂でじゃりじゃりの自分を丸洗いだ。
シャンプーで丁寧に髪を洗い熱い湯で流す。ボディソープも盛大に使って躰を洗った。綺麗にヒゲも剃る。上がって清潔なバスタオルで水滴を拭うと、なるほど気分も晴れるというものだ。
黒髪もバサバサと拭いて京哉と同じく患者用のガウンを身に着ける。部屋に戻ってみるとソファの前のロウテーブルにビスケットのパッケージが置いてあった。
「夜食の差し入れまで貰っちゃいました」
「なるべく早く出て行かないと、院長の胃袋に穴が開くかも知れんな」
「これは院長筋じゃないみたい、ICUのユーリンについてた看護師さんでした」
「そうか。京哉お前、男タラシの次は女タラシか」
「酷い! 僕は見境なくタラしてるんじゃない、任務で仕方なくですからね!」
「冗談だ。私を、私だけをタラしていてくれ」
ソファの肘掛けに座った霧島は隙を突いて京哉に口づけたが、拗ねた京哉の舌は逃げて捉えられない。今は唇を諦めると京哉の前髪を掻き上げて白い額にソフトキス、背と膝裏に腕を入れて抱き上げた。
霧島は京哉をベッドに横たえ、そのまま自分も上がる。
『プラーグ政府高官に汚職の疑惑があり、この国自体から依頼され内偵をしている国連査察団先遣隊員の二人』
『まずは現地の風土を知るために協力を仰いだプラーグ国民である一女性』
というハッタリを真に受けたマクフォール大佐から嘘も事実も洩れる心配は殆どない。おそらく自分たちバディの最強の武器は口だと霧島は思う。
ともあれ二人は借りた個室で暫し文化的生活を営むことになった。
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「それでこの部屋も借りられたんですから、文句を言わないで下さい」
二人が借りた個室は特別室だった。そこまでされなくてもと思ったが、エアコンとバスにトイレと洗濯乾燥機に電気ポット付きの部屋を他人に譲る気がなくなったのだ。
肝心のユーリンは食らった弾丸も摘出されて今はICUで眠っている。もう命に別状はなく全治二週間という診断も下っていた。三日間は薬で意識レヴェルを落とす予定ということで、ユーリンの意識がはっきりするまでは二人も留まるつもりだった。
早速京哉はポットで湯を沸かし、院長から直々の差し入れであるインスタントコーヒーを二人分淹れる。エアコンの利いた部屋で熱いコーヒーの香りは格別だった。
「それにしても忍さんってば、いきなり何もかも吹っ切り過ぎですよ。共同戦線を提案したり中央撃破をそそのかしたり、まるで貴方が陰のリーダーじゃないですか」
「ふん。ならば私の頭に風穴を開けて任務完了にするか?」
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「主だったグループが集まれば、統制をとる奴も見えてくるかと思ったのだがな」
ソファに腰を下ろした霧島に京哉はカップを手渡すと、煙草を咥えて火を点ける。
「本当にそれだけですか? 本気に聞こえましたよ、大統領と軍司令のガラ取り」
「それこそ交渉役としての代表者が現れるかも知れんぞ」
「だから任務はプラーグ政府の転覆じゃないんですけど」
「結果として腐った中央が倒れることもアリではないのか? いや、そんな目で見るな。別に企んでも具体的な何かを仕掛けてもいない。言ってみただけだ」
「是非ともそうあって欲しいものです、バディとしては」
向かいのソファに腰掛けて京哉は煙草とコーヒーを交互に口に運びながら呟いた。
「でも本当に今回の特別任務って不思議ですよね。不確定要素が多すぎますよ」
「任務自体は単純なんだがな」
「はっきりしてるのは某大国はジョセたちを排除したいってことだけなんですよね」
「一ノ瀬本部長の口から出たそのままだからな」
「某大国がどうしてこんな任務を依頼してきたのか、初めは理由も予想してました。恐怖政治の種である処刑を失くすために反政府ゲリラごと消そうとしているって」
「お前と同様に私も今はその理由を捨てている。実際この国を内側から見て某大国の意図がまるで分からなくなった。彼らも砂の花採掘の一端を担っている頭数だぞ?」
「ですよね。じゃあ別の理由って言われても何にも思いつかないし。忍さんは?」
「過去にも現在にも理由を思いつかん。ならば未来だろう。反政府ゲリラの存在が今まで以上に邪魔になる何かをこれから某大国はしようとしている。どうだ?」
「どうだって訊かれても、例えばどんな?」
「未来のことまで知らん。とにかく貧しい民衆の味方がいたら拙いことだ」
「そんな小学生みたいな物言いして、まだ本気出してないでしょう」
「情報不足で逆さに振っても何も出てこん。脳のリソースを食うだけ無駄だ」
軽く言い捨てた霧島は京哉がロウテーブルに置いていた煙草のパッケージから一本盗んで咥えると、身を乗り出し京哉の煙草から貰い火をして盛大に紫煙を吐く。
「まあ、取り敢えずはジョセたちにユーリンの容体の報告だな」
「普通にメールで送って大丈夫でしょうか?」
「それくらい洩れても大した影響はない」
応えつつ霧島は某大国とプラーグ政府が一枚岩でないことについて考えていた。
真の思惑はともかく某大国は反政府武装勢力を根こそぎなくしてしまいたいのだ。
一方でダニロ=ブレッヒ大統領率いるプラーグ政府の目論見は、反政府武装勢力の存在まで利用し政権維持し続けて、砂の花売益の一部を掠め取り私腹を肥やすことである。非常に汚いが後者の理屈は分からないでもなかった。
だが幾ら暢気でもプラーグ政府首脳陣が自国と某大国の目論見の食い違いに気付いていないという状況があり得るのか……いや、極貧の小国が某大国に捻り潰されず国体を成している。やはり致命的失敗など犯していない可能性の方が高い。
その場合は『某大国の思惑に反すると分かっていて、プラーグ政府首脳陣は私腹を肥やすシステムを維持している』のだ。裏を返せば『某大国は思惑に反し目標達成の邪魔をしているプラーグの我が儘を許している』ことになる。
これで本当に疑問と思えるものを霧島はひとつ抱え込んだ。
細かな疑問点は挙げたらキリがない。プラーグが思惑も違う某大国だけに砂の花を独占させているのも不思議だ。他国にだって砂の花を売りつけた方が価格競争にも繋がるというのに隣国ユベルをトンネルにして某大国のみに供給し続けている。
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そこで思い出したのが村の小屋で京哉とした話だ。街の人間なら一個二万もする貴重品だが、村人はそうではない。これがプラーグ国内限定ではなく砂の花が巡る国によってもまるで価値が違うとしたら――。
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「ん、ああ、すまん」
「ジョセにメールしておきましたから。先にシャワー浴びてきていいですか?」
「ゆっくり磨いてこい」
ベルトからスペアマガジン入りのパウチ二本や水筒とナイフを外しショルダーホルスタも解くと、ベッドから患者用のガウンを手に取って京哉はバスルームに消えた。
暫くして出てきた京哉は相当すっきりしたらしくご満悦だった。それならと霧島も装備を外してバスルームに向かう。ウォッシャブルのスーツまで全て洗濯乾燥機に押し込んでスイッチを入れた。あとは砂でじゃりじゃりの自分を丸洗いだ。
シャンプーで丁寧に髪を洗い熱い湯で流す。ボディソープも盛大に使って躰を洗った。綺麗にヒゲも剃る。上がって清潔なバスタオルで水滴を拭うと、なるほど気分も晴れるというものだ。
黒髪もバサバサと拭いて京哉と同じく患者用のガウンを身に着ける。部屋に戻ってみるとソファの前のロウテーブルにビスケットのパッケージが置いてあった。
「夜食の差し入れまで貰っちゃいました」
「なるべく早く出て行かないと、院長の胃袋に穴が開くかも知れんな」
「これは院長筋じゃないみたい、ICUのユーリンについてた看護師さんでした」
「そうか。京哉お前、男タラシの次は女タラシか」
「酷い! 僕は見境なくタラしてるんじゃない、任務で仕方なくですからね!」
「冗談だ。私を、私だけをタラしていてくれ」
ソファの肘掛けに座った霧島は隙を突いて京哉に口づけたが、拗ねた京哉の舌は逃げて捉えられない。今は唇を諦めると京哉の前髪を掻き上げて白い額にソフトキス、背と膝裏に腕を入れて抱き上げた。
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