薄氷の上で燃える

なとみ

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第三章 四つの創家

信頼できるのは-②

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「やっぱり、お父様は何も言わなかったわ。……いえ、違うわね。言えなかった」

 ギルドレイ王の腸は煮えくり返っていることだろう。ことを起こしておきながら、シアーラもその面前に立つことを想像するだけで足が竦みそうになる。
 だが、愛娘、それも自分が指名した王位継承者の政策を議会で否定することなど、王にはできしない。そうすればファイネッテの継承者の地位は奪われ、いずれ王弟――バルドバの手に渡る。それを手助けするようなものだからだ。

「シアーラが言ってくれたから」

 ファイネッテが声を潜めて続けた。

「創家の四人が夢見た国を実現しようとしているのは、こちら。正しいのは、私たちだわ」

 だが、希望を表す合い言葉のようなそれは、シアーラの胸を深く抉った。

「ファイネッテ様」

 それは、誤りだったかもしれない。
 そう口にしようとしてシアーラは迷った。確証を得ていない今、伝えるべきか否か。しかしこのままでは、本当に彼女を騙すことになってしまう。その言葉がファイネッテの支えになっているのなら、なおさら、偽りは許されない。

「実は」
「ファイネッテ様」

 呼び掛けられた声に二人は振り向いた。厳しい目をした屈強な兵がこちらを睨んでいる。
 もう、それ以上二人きりで話をすることは許されなかった。





 夜、シアーラはほかの兵数名とファイネッテの部屋の前に控えていた。壁の上で揺れるランプの炎を見つめ、反芻する。
 確かに、自分は四家について信仰にも近い教育を受けた。彼らの功績が誇張されている可能性はある。だが、
 愚かで互いを陥れ合うような人間。本当に、そんな四人の周りに人が集まり、国が一つになるものだろうか。四人の間に何かがあったのか。どうすればそれを確かめられるだろう。
 そう考えていたシアーラは、ふと違和感に気づいた。
 
 やけに、静かすぎやしないか。

「おい……?」

 ぽつぽつとランプが灯るだけの廊下は暗い。そこに、シアーラの声だけが響いた。
 いない。先ほどまでいた兵士が誰も。

 ふっと灯りが消えたのはその時だった。背後の微かな衣擦れの音に、咄嗟に身体を捻る。

「……くっ……」

 ピッと頬を痛みが走る。狙われていたのは首。少しでも動きを間違えればやられていた。

(これほど、早く……!)

 狙われるとは思っていた。だが、こんな王女の寝室の目前で、ほかの兵士もいるような場所で襲われるとは。

――皆、グルか……!

「ぐっ……ぁ」

 胸の前に構える手に激痛が走る。得物は短剣。シアーラは貫かれた利き手を庇った。暗闇に紛れるその何者かは、手を潰し、次は急所を狙ってくるだろう。おそらく、暗殺に特化した、貴族お抱えの傭兵。

(まずい……!)

 そばにあった甲冑を力任せに倒す。崩れ落ちる金属の音が響き渡った。一撃は回避、だが次はどうする。
 暗闇に目が慣れてくる。煌めく剣筋にぞくりと本能的な恐怖を抱き、掴んだ甲冑の腕で自分を庇う。それを弾き飛ばされた。
 その時、シアーラの足が何かにぶつかった。まずい、と思った時には、シアーラの身体は後ろに倒れ込んでいた。

「……っ」

 その隙を逃さず、鋭い煌めきがこちらに向かって降りてくる。剣の柄に伸ばした手は、自分の血でぬるりと滑った。

――駄目だ

 もう、ここまでか。

「……っ!?」

 だが、目的を達せるというその瞬間に、男は咄嗟に後ろに飛び退いた。何かが落ちて、いや、下りてきた。乱れた息はシアーラだけのものではない。男とシアーラの間に、何者かがいる。

 キン、キン、キン、と続けて鳴る音が少しずつ遠ざかる。誰かが男を追い詰めている。何かが割れる音がした。その瞬間、男は窓から飛び出した。

(逃げ……!?)

 途端に、先ほどまでの出来事が嘘のように、しんと静寂が降りる。窓の外を見ていた何者かが頭を覆うフードを取る。その顔を見て、シアーラは息をのんだ。

「……お前」

 振り向いた瞳が鋭く光る。シアーラは身体を固くした。何を油断している。この男こそ、自分を始末しに来たかもしれないのに。

 だが、激痛を抑え剣を抜こうとしたシアーラの目の前に、男の手が差し出された。一瞬の逡巡の後、左手でその手を掴む。ぐっと、力強い腕に持ち上げられた。

「リンゼイ……」

 目が合った。信用できない、相容れない男。でも、シアーラは男のこの目には殺意がないことを知っている。身体がどっと安堵を覚えた。
 よりによって、どうしてこういう時に現れるのが、この男なのか。

「シアーラ……? なにか、あったの?」

 扉の向こうから聞こえた声に、シアーラは慌てて声を上げた。

「ファイネッテ様。問題ありません、少し、躓いてしまって」
「ほんとに?」
「ええ、安心してお休みください」

 もう一度リンゼイに向き直ったシアーラは声を潜めた。

「さっきの、……お前たちの差し金ではないのか」
「……そう思うのは勝手だが」

 窓枠のあたりを検分しながら、リンゼイがこちらを見ることなく続けた。

「あれはバルドバの人間じゃない。動きからして、暗殺専門の傭兵……どの貴族に雇われているかだな……」

 その仕草から何か裏を読み取れないかと観察するが、その様子は真剣だ。だが、そうだとしても、シアーラはこれ以上リンゼイと二人きりではいたくなかった。
 
「……さっさと、行け」
「助けてもらって言う言葉がそれか」

 シアーラは男を睨み上げた。助けられたことは事実だが、裏を疑うに決まっている。この男を許すことも、心から信用することもできない。リンゼイはシアーラを見下ろして言った。

「今後は? あとは、何を企んでる」
「……なんのことだ」
「王女の政策のことだ。どうせお前の入れ知恵だろう」
「知らん」
「余計なことをしてくれた」

 見下ろす目は冷たい。想定していた言葉だ。シアーラがぐ、と剣の柄を握った、その瞬間。

「だが、……お前らしい」

 予想しなかったその言葉に、シアーラは目を見開いた。

「……は」

 リンゼイの視線は冷たいままだ。だが、皮肉であろうその言葉に心臓を掴まれたようになる。
 実の家族だって、ローゼンタールだって敵ばかりだ。誰もこの道を正しいとは言ってくれない。
 だからと言って、
 この男の言葉に揺さぶられるなんて。

 男の視線が緩んだ。

(私は、どうかしている)

 何も言葉を交わさず、どちらからともなく、唇は重なった。
 
 ゆっくりと辿るように触れて、だがそれはすぐに離れた。
 暗闇の中で、煙が消えるように、リンゼイはいなくなっていた。

「……っ」

 唇に手をやった。

 もう、誰のせいにもできない。
 シアーラは、ぎゅっと眉を寄せた。
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