薄氷の上で燃える

なとみ

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第五章 秘密

選択肢-②

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「……私は一度、彼の生家を訪れたことがあります。その時とは場所が違う。記録自体が書き換えられている。王族に近い者しか閲覧を許されていない記録を、これほど簡単に書き換えられるということ。非常に……危険です」
「そう。……もうずっと前から、彼はそちら側の人間だったのね」
「……そういうことに」
「気に入らないわね、本当に」

 響きの変わった声に、シアーラは振り返った。こちらを見るファイネッテの青い目が、苛烈に燃えている。

「私が擁立されたことも、皆が死んだことも。まるで全てが、悲劇の脚本のように決められていたのかしら?」
「ファイネッテ様……」
「行くわよ」
「……! お待ちください」

 腕を引いたシアーラを、不機嫌な目が睨みつけた。

「ここならまだ、見張りの目に留まらない。ここで待機し、バルドバの兵を待ちましょう。両者をぶつけるのは領民の目がある場所にしたい。突然民の前に物々しい兵団が訪れれば、領主として無視はできないはず」
「領民ね……。果たしてそれも、まともな民なのかしら」
「……まさか」
「あなたの言うように、ここの領主が何度も名を変えて本来の姿を隠していたとする。それに気がつかないほど、民は馬鹿ではないわ。それに、建物から見て、これほど古い歴史があれば、訪れた査察だって片手じゃ足りない。それを切り抜けてきたのよ。相当の規模でなければ、偽れないわ」

 シアーラは俯いた。彼女の言う通りだ。とっくにそれを気づいていたのに蓋をしていた。自分にできたのは、その時の最善の手段を取り、一日でも長く命を延ばすことだけだった。今やもう、前と後ろに立ちはだかる大きな力の前に、できることはない。

「私たちがここに来ることくらい、とっくに知られているでしょう。あとは、どちらに先に捕らわれるか、その選択肢くらいかしら」
「悲観される必要はございません」

 突然近くで聞こえた声に、二人は素早く振り返った。そこに立つ黒いマントの相手を見て、シアーラは咄嗟に剣を構える。だが、男は静かに膝をついた。

「中にお招き入れるように、とのご指示でございます」

***

「ようこそ」
「……あなたは」

 目の前に立った男に、ファイネッテは目を見開いた。白い髪と髭をたたえた、穏やかな表情の老人。
 二人を出迎えたのは、記録番その人だった。

「あなたが、『記録番』?」
「ええ、ファイネッテ様。お初にお目にかかります。エフレンと申します」

 あっけなく名を名乗った男に、シアーラは目を見張った。どうせ偽名だろう、いや、本名かもしれない、その思いが交互に浮かぶ。

「我々は歴代、姓を持ちません。本来はこのような形ではなく、お父様から直々にご紹介をいただけたはずだったのですが……。この度は、本当に痛ましいことが起きてしまった」

 シアーラはぴくりと眉を動かした。

――あなたは、それには無関係だと?

 エフレンは、彼女たちが真実を求めてここに来たことには当然気づいているだろう。なのに、この慈しむような笑顔は、その言葉はなんだ? そう問いかける気持ちで見ていたシアーラのほうに、男は突然顔を向けた。激しく責める視線だ。

「そこにいる兵士殿は、我々が何か手を引いていると疑っているようだが、とんでもない。我々の役割はあくまで、客観的に記録を記すのみ。王女よ、彼女が言っていることは、自らの失態を、我々に押し付けているだけに過ぎない」
「……っ」

 シアーラは息を呑んだ。今この瞬間、この男が何かの根源であることに確信を持った。だが、シアーラが動く間もなく、ファイネッテとの間の梯子が外されてしまった。急激に忍び寄る死の気配に、ぞくりと寒気が襲う。

「そうなの。……やっぱりね」

 冷ややかな声が突き刺さる。

「こうして、その者の主観によって歴史は歪められていく。あなたも危ないところだったのではないですか? 見事な誘導……いや、本人もそれを心から信じていたのかな」

(違います、ファイネッテ様)

 確かに確証を持てないままここまで来た。だがどう考えても、自らの情報を偽り、安全な場所から王族の危機を眺める者が、信頼できる相手だとは思えない。だが、彼の言う通り、それはシアーラの主観でしかない。

「ええ、……私も、それを痛感したわ」
「では、真に信じられるものは何だとお思いか?」
「……記録、と言いたいのかしら?」
「……そう。今ここにある、500年の記録。それが国を支えてきた。あなたには、それを見る権利がございます」

 ファイネッテは黙って彼を睨み上げていた。

「……いいわ。見せて」

 主に続こうとしたシアーラの前に、二人を案内した男が立ち塞がる。

「なんのつもり?」

 ファイネッテの言葉に、エフレンが答えた。

「彼女は、ここまでとさせていただきたい」

 ファイネッテとシアーラとの間で視線が交わされる。彼女はシアーラを観察するように見ていた。シアーラの視線には、強い懇願が映っているだろう。
 今、二人の間に、かつてあった信頼関係はない。エフレンはきっと、それを分かっている。ついにシアーラが諦め、瞳を閉じてその視線から逃げた時だった。

「あなたの言葉で言えば、あなたの主観、私の主観、それも全て信用に値しないもの。そういうことだったわね?」
「ええ、仰る通りです」
「確かにこの者は私に、あなたが黒幕であると伝えてきたわ。なんの客観的な事実もなく、評価に値しない。でも同時に、彼女は私を生かし、守り、ここに連れてきた。そうでしょう?」

 エフレンはにこやかに微笑んでいる。

「その点を評価し、今この場では、従者としてそばに置いておきたいわ」

 高慢な物言いをするファイネッテに、老人はゆっくり頷いた。

「口うるさい小娘とお思いかしら?」
「いえ、実に、逞しくなられた」

 シアーラの前から、男が身体を引いた。

「行くわよ。着いてきなさい」

 振り向くことなくそう言った主の言葉に、シアーラは一瞬目を見張り、深く頭を下げた。
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