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第四章 リスタート
偶然-③
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人生を見直す、か。
家に戻った柚琉は机に向かいながら、端に置いたテキストをパラパラと手で弄んだ。
柚琉は、医学部への編入を考え始めている。
木佐に直接はっきりと相談したわけではないが、参考書について質問したとき優しげな目で教えてくれたから、きっと気づいていると思う。
これほど医者を嫌う自分に、医者になる資格はあるだろうか。
父の死というきっかけはあるが、それは医者という職業を選べるほどの高尚な理由になり得るだろうか。
木佐に言えば、きっと、誰もがそんな高尚な理由で医者を目指すわけではないよと返ってくる気がしていた。
悔いのない人生にしたいと思う。
ここまで真相を突き詰めるために時間を費やしてきた。希望する形には辿り着けていないが、一旦、やれるところまではやった。この先は、待つだけではあまりに長すぎる時間だ。
(訴訟中って、裏取りされるかな。されそうだな)
どこか力の抜けた笑みが浮かんだ。
編入なんてさせてもらえないかもしれない。でも、きっとどこも一枚岩じゃない。いつかはチャンスが来るかもしれない。
病気を治す、自分で取り除きたいという希望よりも、病気の早期発見の手助けがしたい。
それだけははっきりしていた。
静香から連絡が入ったのは、数日後のことだった。
充希が発熱したとのことで、柚琉に連絡があったのだ。
柚琉が運転する隣で、木佐は知人の小児科医に電話で相談し、分厚い本を捲っている。そうしているうちに、静香の家に到着した。
「こんばんは」
「静香さん、椎名です」
バタバタと中から音がし、引き戸が開く。
顔を出したのは静香だ。
だが、その瞬間。
一瞬ほっとしたはずの彼女の表情が、変わった。
「静香さん、お待たせしま……」
「なんで」
「え?」
木佐と、そして柚琉の顔を見て、一歩後ろに下がる。
「静香、どうしたの」
充希を抱っこする静香の夫が彼女の後ろから現れ、直後、彼の表情も変わった。
驚き、愕然?
「なんで、あなたがここに」
「なんで、とは……?」
なぜと言われて、木佐もそう返すしかない。
四人の大人は固まる。
口を開いたのは静香だった。
「会見の……あの医療事故の、先生ですよね」
木佐と柚琉ははっとなった。
「ご覧になってたんですね」
「東京で居場所がなくなって、いらっしゃったんですか」
「おい、やめろ」
「だって」
静香は泣きそうな顔でぐしゃりと顔を歪める。
「私たちがここにいるって知って来たんですか!?」
「落ち着け。偶然だろ、そんなの」
「こんな偶然ある!?」
「ちょ、ちょっと待ってください、いったい何のことか」
「ママ……?」
熱で朦朧とした充希の声に、彼らははっとなった。
木佐も姿勢を正す。
「何かメディアで不安な情報をご覧になったのかもしれませんが、医者としての診察は、懸命にやります」
「そうじゃなくて」
(いったい、なんのこと)
柚琉は必死に考えていた。
静香と夫のこの混乱はなんだ。
木佐の言ったような不安? でもそれだけでは先ほどの言葉の説明がつかない。
木佐は聴診器を取り出す。柚琉はお腹見せてね、と充希の身体を支えた。静香は必死に自分を落ち着けている様子はあるものの、拒否はしなかった。
「音は大丈夫ですね。解熱剤は処方できますが蕁麻疹のお薬は明日になっちゃうかな。取りに来ていただくか、午後なら届けられます。一旦は水分をとってもらって」
「……取りに伺います」
「充希ちゃん、大丈夫だからね」
柚琉は大人たちの不穏な空気に不安そうに眉を下げる充希に声をかけた。
静香ははっとなり、充希を抱き締める。
そして、絞り出すように言った。
「さっきのことは、忘れてください。ありがとうございました」
家に戻った柚琉は机に向かいながら、端に置いたテキストをパラパラと手で弄んだ。
柚琉は、医学部への編入を考え始めている。
木佐に直接はっきりと相談したわけではないが、参考書について質問したとき優しげな目で教えてくれたから、きっと気づいていると思う。
これほど医者を嫌う自分に、医者になる資格はあるだろうか。
父の死というきっかけはあるが、それは医者という職業を選べるほどの高尚な理由になり得るだろうか。
木佐に言えば、きっと、誰もがそんな高尚な理由で医者を目指すわけではないよと返ってくる気がしていた。
悔いのない人生にしたいと思う。
ここまで真相を突き詰めるために時間を費やしてきた。希望する形には辿り着けていないが、一旦、やれるところまではやった。この先は、待つだけではあまりに長すぎる時間だ。
(訴訟中って、裏取りされるかな。されそうだな)
どこか力の抜けた笑みが浮かんだ。
編入なんてさせてもらえないかもしれない。でも、きっとどこも一枚岩じゃない。いつかはチャンスが来るかもしれない。
病気を治す、自分で取り除きたいという希望よりも、病気の早期発見の手助けがしたい。
それだけははっきりしていた。
静香から連絡が入ったのは、数日後のことだった。
充希が発熱したとのことで、柚琉に連絡があったのだ。
柚琉が運転する隣で、木佐は知人の小児科医に電話で相談し、分厚い本を捲っている。そうしているうちに、静香の家に到着した。
「こんばんは」
「静香さん、椎名です」
バタバタと中から音がし、引き戸が開く。
顔を出したのは静香だ。
だが、その瞬間。
一瞬ほっとしたはずの彼女の表情が、変わった。
「静香さん、お待たせしま……」
「なんで」
「え?」
木佐と、そして柚琉の顔を見て、一歩後ろに下がる。
「静香、どうしたの」
充希を抱っこする静香の夫が彼女の後ろから現れ、直後、彼の表情も変わった。
驚き、愕然?
「なんで、あなたがここに」
「なんで、とは……?」
なぜと言われて、木佐もそう返すしかない。
四人の大人は固まる。
口を開いたのは静香だった。
「会見の……あの医療事故の、先生ですよね」
木佐と柚琉ははっとなった。
「ご覧になってたんですね」
「東京で居場所がなくなって、いらっしゃったんですか」
「おい、やめろ」
「だって」
静香は泣きそうな顔でぐしゃりと顔を歪める。
「私たちがここにいるって知って来たんですか!?」
「落ち着け。偶然だろ、そんなの」
「こんな偶然ある!?」
「ちょ、ちょっと待ってください、いったい何のことか」
「ママ……?」
熱で朦朧とした充希の声に、彼らははっとなった。
木佐も姿勢を正す。
「何かメディアで不安な情報をご覧になったのかもしれませんが、医者としての診察は、懸命にやります」
「そうじゃなくて」
(いったい、なんのこと)
柚琉は必死に考えていた。
静香と夫のこの混乱はなんだ。
木佐の言ったような不安? でもそれだけでは先ほどの言葉の説明がつかない。
木佐は聴診器を取り出す。柚琉はお腹見せてね、と充希の身体を支えた。静香は必死に自分を落ち着けている様子はあるものの、拒否はしなかった。
「音は大丈夫ですね。解熱剤は処方できますが蕁麻疹のお薬は明日になっちゃうかな。取りに来ていただくか、午後なら届けられます。一旦は水分をとってもらって」
「……取りに伺います」
「充希ちゃん、大丈夫だからね」
柚琉は大人たちの不穏な空気に不安そうに眉を下げる充希に声をかけた。
静香ははっとなり、充希を抱き締める。
そして、絞り出すように言った。
「さっきのことは、忘れてください。ありがとうございました」
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