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「……」
……どうしよう、気づかないふりをして優雅に歩きさりたい。
私、吉岡しずくは、長年メイドとして勤めさせていただいている先のお坊ちゃま――今年17歳になられた彰様――が光宿さぬ瞳でびりびりとカレンダーをむしりとっている様を目撃してしまった。17歳にしては幼い見た目をされているが、今の表情はまるで、かれこれ150年くらい世の辛酸を嘗めつくしてきたのでは?? レベルの虚無を滲ませたものだった。
「あっ、吉岡はろー」
えええ。ふつーに話しかけてきた。
「お坊ちゃま、なにをしていらっしゃるのですか……?」
「カレンダーを完膚なきまで叩きやぶっているだけだけど?」
「はい、それはわかるのですが。質問を明確化します。なぜこんな狂気じみたことを?」
「いやぁ、日々が過ぎるのがうれしすぎるんだよね! ばいばい忌々しい過去★」
「過去をそこまで憎まなくても……」
「ふふ、楽しみだなぁ。あと一年で、きみと結婚できるんだね♡」
「…………は?」
「えっ、だーかーらー。あと一年で吉岡と結婚……」
「ちょいとお待ちを!!」
頭の中に、いくつもの『?』が乱舞する。どうして唐突に?! 今まで私のことは――うん、割と甘えてきてはくれていたけど、結婚云々の素振りは欠片も……ッ!
……いけないいけない、名家と名高い西條家のメイド長として、取り乱すなんていう失態はナンセンス。
私はこほん、と咳払いし、なんとかいつものクールな調子で告げた。
「お坊ちゃま、どうして私とそのような事態を想定されているのですか?」
「約束したじゃない」
「やく、そく……??」
「ほら、十一年前の三月二十一日の午後三時十六分、『けっこんしてー』って言ったら『お坊ちゃまにプロポーズいただけるなんて光栄です』って。あのとき吉岡がつけていた華奢な銀細工のバレッタ、最高に似合っていたよね!」
「いや細かい!!」
そのバレッタ、まずは形から上品なメイドを目指してみようと、ちょっと奮発して買ったものだ。初のお給金で買ったもののひとつだから覚えていたけど……。あまりの詳らかさに震える私を眺めて、お坊ちゃまは小首を傾げた。艶やかな黒の猫っ毛がさらりと揺れる。
「吉岡との思い出は全部、脳内で4K画質再生余裕だよ?」
「いや天才~!!」
うっかり素のトーンで讃えてしまうと、お坊ちゃまはふふっ、と大人びた笑みをこぼした。
私はん゛ん゛ん゛ッ、っと今度は強めに咳払いをしてみせて、つんとすましながら反駁した。
「しかしこの結婚は身分差もございますし、到底認められるものでは――」
「なに言っているの? 両親はもう既に調教済みだよ??」
「黒い黒い黒い!!」
真顔真顔真顔! すっごい厳格な奥様と旦那様なのに、一体どうやって!?
「外堀は万全だよ♡」
「いやいや年齢差もえらいことでしてね」
「重要なのはどんな年代のひとと添い遂げるかより、だれと添い遂げるかじゃない?」
「哲学者~!!」
た、讃えつかれた……。ぜはぜはと肩で息をしていると、どこか目を輝かすお坊ちゃまが目の前にいた。
「久しぶりに見せてくれたね、『本当』の吉岡を」
「え」
「ぼくが成長するにつれて笑ってくれなくなったから」
「そ、れは……」
勤めはじめたとき、私は高校生だった。
幼いころ父が事故で他界し、もともと生活は苦しかったから。アルバイトが可能な年齢になったら即働こうと決めていたのだ。
たまたまこのお屋敷の求人広告を見つけて、そこからは必死だった。
屋敷内で派閥争いや、いじめのようなものがなかったとは言わない。
人間ってこんなに醜いものだったっけ? って思うようなことに、一時期は押しつぶされた。
(でも嫌がらせ関連、いつの間にかぱたっとなくなったんだよな……。人間不信を刻むのには充分だったけど)
ふと考えを巡らせながらお坊ちゃまのほうを見遣ると、お坊ちゃまはにこーっ、とそれは無邪気な笑みを魅せた。
「ぼくはいつだってしずくを守るし、それはこれからも変わらないよ?」
「っ、」
まさか。
いつの間にか私を『しずく』と名で呼ぶようになったその青年は、じりじりと迫ってくる。
「ね、しずく。重要なのは愛しているか愛していないかだよ。今はぼくのこと、全然意識していなかったかもしれない。でも……」
うっそりと、彰様は笑った。
「これから、識ってほしい。ぼくがいかに君を想っているか」
「――なんで」
「え、」
「どうして、私なんですか。私、なにもしていないです。お坊ちゃまに好かれるきっかけなんて、なにも……」
「……ふふ。初めから、雄としてしずくを欲しかったよ? でも、決定的だったのは、いじめられていたときだね。家の外れで泣いては、負けるもんかって涙を拭っていた。そのときぼくはどう感じたと思う?」
んん? より雲行きが怪しくなってきたぞ?? これ耳塞いだほうがいいやつかなと思うのに、彼の眼に、まるで搦め捕られたように動けない。
「『あ、ぼく、この女のために要因消してしまえる』……♡」
……うっっっとり言われましても~~。
――一年後、このあざとすぎるヤンデレにずるずると堕とされ、婚姻届に判を押した私がいた。
【終】
……どうしよう、気づかないふりをして優雅に歩きさりたい。
私、吉岡しずくは、長年メイドとして勤めさせていただいている先のお坊ちゃま――今年17歳になられた彰様――が光宿さぬ瞳でびりびりとカレンダーをむしりとっている様を目撃してしまった。17歳にしては幼い見た目をされているが、今の表情はまるで、かれこれ150年くらい世の辛酸を嘗めつくしてきたのでは?? レベルの虚無を滲ませたものだった。
「あっ、吉岡はろー」
えええ。ふつーに話しかけてきた。
「お坊ちゃま、なにをしていらっしゃるのですか……?」
「カレンダーを完膚なきまで叩きやぶっているだけだけど?」
「はい、それはわかるのですが。質問を明確化します。なぜこんな狂気じみたことを?」
「いやぁ、日々が過ぎるのがうれしすぎるんだよね! ばいばい忌々しい過去★」
「過去をそこまで憎まなくても……」
「ふふ、楽しみだなぁ。あと一年で、きみと結婚できるんだね♡」
「…………は?」
「えっ、だーかーらー。あと一年で吉岡と結婚……」
「ちょいとお待ちを!!」
頭の中に、いくつもの『?』が乱舞する。どうして唐突に?! 今まで私のことは――うん、割と甘えてきてはくれていたけど、結婚云々の素振りは欠片も……ッ!
……いけないいけない、名家と名高い西條家のメイド長として、取り乱すなんていう失態はナンセンス。
私はこほん、と咳払いし、なんとかいつものクールな調子で告げた。
「お坊ちゃま、どうして私とそのような事態を想定されているのですか?」
「約束したじゃない」
「やく、そく……??」
「ほら、十一年前の三月二十一日の午後三時十六分、『けっこんしてー』って言ったら『お坊ちゃまにプロポーズいただけるなんて光栄です』って。あのとき吉岡がつけていた華奢な銀細工のバレッタ、最高に似合っていたよね!」
「いや細かい!!」
そのバレッタ、まずは形から上品なメイドを目指してみようと、ちょっと奮発して買ったものだ。初のお給金で買ったもののひとつだから覚えていたけど……。あまりの詳らかさに震える私を眺めて、お坊ちゃまは小首を傾げた。艶やかな黒の猫っ毛がさらりと揺れる。
「吉岡との思い出は全部、脳内で4K画質再生余裕だよ?」
「いや天才~!!」
うっかり素のトーンで讃えてしまうと、お坊ちゃまはふふっ、と大人びた笑みをこぼした。
私はん゛ん゛ん゛ッ、っと今度は強めに咳払いをしてみせて、つんとすましながら反駁した。
「しかしこの結婚は身分差もございますし、到底認められるものでは――」
「なに言っているの? 両親はもう既に調教済みだよ??」
「黒い黒い黒い!!」
真顔真顔真顔! すっごい厳格な奥様と旦那様なのに、一体どうやって!?
「外堀は万全だよ♡」
「いやいや年齢差もえらいことでしてね」
「重要なのはどんな年代のひとと添い遂げるかより、だれと添い遂げるかじゃない?」
「哲学者~!!」
た、讃えつかれた……。ぜはぜはと肩で息をしていると、どこか目を輝かすお坊ちゃまが目の前にいた。
「久しぶりに見せてくれたね、『本当』の吉岡を」
「え」
「ぼくが成長するにつれて笑ってくれなくなったから」
「そ、れは……」
勤めはじめたとき、私は高校生だった。
幼いころ父が事故で他界し、もともと生活は苦しかったから。アルバイトが可能な年齢になったら即働こうと決めていたのだ。
たまたまこのお屋敷の求人広告を見つけて、そこからは必死だった。
屋敷内で派閥争いや、いじめのようなものがなかったとは言わない。
人間ってこんなに醜いものだったっけ? って思うようなことに、一時期は押しつぶされた。
(でも嫌がらせ関連、いつの間にかぱたっとなくなったんだよな……。人間不信を刻むのには充分だったけど)
ふと考えを巡らせながらお坊ちゃまのほうを見遣ると、お坊ちゃまはにこーっ、とそれは無邪気な笑みを魅せた。
「ぼくはいつだってしずくを守るし、それはこれからも変わらないよ?」
「っ、」
まさか。
いつの間にか私を『しずく』と名で呼ぶようになったその青年は、じりじりと迫ってくる。
「ね、しずく。重要なのは愛しているか愛していないかだよ。今はぼくのこと、全然意識していなかったかもしれない。でも……」
うっそりと、彰様は笑った。
「これから、識ってほしい。ぼくがいかに君を想っているか」
「――なんで」
「え、」
「どうして、私なんですか。私、なにもしていないです。お坊ちゃまに好かれるきっかけなんて、なにも……」
「……ふふ。初めから、雄としてしずくを欲しかったよ? でも、決定的だったのは、いじめられていたときだね。家の外れで泣いては、負けるもんかって涙を拭っていた。そのときぼくはどう感じたと思う?」
んん? より雲行きが怪しくなってきたぞ?? これ耳塞いだほうがいいやつかなと思うのに、彼の眼に、まるで搦め捕られたように動けない。
「『あ、ぼく、この女のために要因消してしまえる』……♡」
……うっっっとり言われましても~~。
――一年後、このあざとすぎるヤンデレにずるずると堕とされ、婚姻届に判を押した私がいた。
【終】
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