30 / 42
30 罪の重さ
しおりを挟む「やめろ!」
すぐそばにいるはずの、アルケインの声が遠くに聞こえた。
そして次の瞬間、冷たいぬくもりに包まれる。
熱くも冷たくもない、神様の肌。
一瞬ロティは何が起こったのか分からなかった。
ただアルケインの美しい顔が間近にあって、その手のひらが荒く息を吐き出す己の口元に翳されている。
いたわるように背中を撫でられ、そうすると目に見えて呼吸が楽になった。
はふはふと、ロティは忘れてしまった息の仕方を思い出そうと奮闘する。
その間、アルケインは辛抱強くロティの背中を撫で続けていた。
「あの……ありがとうございます」
どうにか平静を取り戻すと、ロティは息も絶え絶えに礼を言う。
アルケインは気まずそうな顔を体を離した。彼が離れていくことが、少し寂しいとロティは思った。
「いや……俺が悪かった。無理に思い出さずともいい。だから今はしっかり休んでくれ。お前は疲れているんだ」
そう言われ、確かにその通りだと納得する。
万全の状態だったならば、きっと今のような状態にはならなかったはずだ。
アルケインの手を煩わせないためにも、ロティは安静にしていようと心に決める。
「ほら」
すると精霊王が両手を差し出してくるので、どういう意味だろうかとロティは首を傾げた。
「運んでやるから、乗れ」
どうやら、抱っこしてベッドにまで連れて行ってくれるということらしい。
ロティは飛び上がりそうになった。
「じ、自分で歩けます!」
「その足でか?」
反論してみるが、確かに足は先ほどの発作の反動でがくがくと震えている。しばらくは使い物にならなそうだ。
「これは……」
「いいから」
そう言うと、アルケインは問答無用でロティを抱え上げてしまった。
血の気の引いていたロティの顔が、今度は真っ赤に染まる。
(こんな、子供みたいに抱っこされるなんて、子供の頃お母さんにしてもらって以来だわ)
それは遠い遠い記憶。
きっとロティが拾われて間もない頃だ。
ぎゃあぎゃあと泣くしかできなかったロティを、養い親は辛抱強くあやしてくれた。
見上げたその顔が何かを思い出すように少し切なげにしていたことすら、昨日のように思い出せる。
しかし今見上げた先にあるのは、恐い顔をした精霊王の顔だ。
(こんなにお手を煩わせてしまっては、もう面倒だと会いに来てはくださらなくなるかも)
不意に、そんな不安がロティの中に湧き上がってきた。
死にかけたところを助けてもらって、なおかつ今は安静にしていろと怒られている。ついさっきなど不安のせいで発作まで起こしてしまった。
(面倒な娘だと、放り出されるかもしれない)
神話に精通するロティは、神々が気まぐれに囲った人間を無慈悲に放り出す例を、山ほど知っている。
神の宝を盗もうとしたから。その言いつけを守らなかったから。飲んではいけないと言われた水を飲んでしまったから。他に愛する者ができたから。
理由は様々だったが、その全てに共通しているのは神が飽きっぽく無慈悲だということだ。
今目の前にいるアルケインもそうだとは限らないが、彼だっていつかロティを助けたことを後悔し、この鳥かごのような部屋から追い出そうと考えるかもしれない。
「赤くなったり青くなったり、忙しいやつだ」
そんな顔色を、どうやら逐一観察されていたらしい。
気付けば雲のベッドに横たえられていたロティは、逆光になっているアルケインの顔を見上げた。
「天界には夜がないから、この部屋に砂時計を持ってこさせよう。それが空になれば眠り、ひっくり返してもう一度空になるまでなら本を読んでいても構わない。分かったか?」
その言いつけに、ロティは神妙に頷いた。
いつか放り出されるかもしれないが、できればそばにいる時間を、少しでも引き伸ばしたいと思った。
本当に分かっているのかとアルケインは疑わしそうにしつつ、彼は部屋を出て行った。
ロティは緩やかな眠りに身をまかせながら、決してアルケインの不興を買わないようにしようと決意していた。
***
それからしばらくの間、ロティはアルケインの言いつけを守って生活した。
彼の言う通り、本当にこの世界には夜がない。
その証拠に窓の外はいつも白い霧で、そこが闇に閉ざされることはないのだ。
あの日アルケインと約束させられた後、眠って目が覚めると本当に部屋の中に大きな砂時計があった。
ロティの身長ほどもある、大きな大きな砂時計だ。
それは支柱もないのに空中に立ち、砂がなくなるとそれをロティに知らせるかのように近づいてくる。
その頃には不思議にももう慣れっこになっていたので、ロティはふっと手を触れてそれをひっくり返してやるのだ。
するとまた砂が落ち始めて、夜が始まる。
ひっくり返すと昼。ひっくり返すと夜。
それをきっと、何度か繰り返した。
どれくらいの時間が過ぎたのか、ロティは最初から数えたりしなかった。
どうせ地上に待っている人もいないのだし、そんなことをしても無駄だと思ったからだ。
アルケインは昼の間に必ず一度、ロティを見舞いにくる。
いつも固い表情ではあるが、約束さえ守っていれば彼は怒ったりしなかった。
それどころか、気が向けばロティに例の本の内容を教えてくれることすらあった。
彼の協力を得て、ロティは古い書物の内容をどんどん理解していった。
そこに書かれていたのは、人間が今までに犯してきた罪の記録だ。
神の領域を犯した者。神の持ち物を盗んだ者。
罪状と共に、そこにはその人間に下された罰も併記されていた。
生きたまま永遠に、鳥に内臓を啄まれる続けるという罰。
自らの父と許されざる恋に落ち、絶望のあまり樹木に姿を変えた者もいるという。
おそらく地上では、権力者に都合が悪いため消された歴史なのだろう。
その証拠に、罪人に名を連ねる者の多くが王族か神女だった。
神の存在に近いからこそ、罪を犯してしまう。
今まで何度も繰り返されてきたであろう歴史に、ロティは胸が痛くなった。
0
あなたにおすすめの小説
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!
りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。
食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。
だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。
食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。
パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。
そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。
王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。
そんなの自分でしろ!!!!!
十六歳の妹の誕生日、私はこの世を去る。
あいみ
恋愛
碌に手入れもされていない赤毛の伯爵令嬢、スカーレット。
宝石のように澄んだ青い髪をした伯爵令嬢、ルビア。
対極のような二人は姉妹。母親の違う。
お世辞にも美しいと言えない前妻の子供であるスカーレットは誰からも愛されない。
そばかすだらけで、笑顔が苦手な醜い姉。
天使のように愛らしく、誰からも好かれる可愛い妹。
生まれつき体の弱いルビアは長くは生きられないと宣告されていた。
両親の必死に看病や、“婚約者の献身的なサポート”のおかげで、日常生活が送れるようになるまで回復した。
だが……。運命とは残酷である。
ルビアの元に死神から知らせが届く。
十六歳の誕生日、ルビアの魂は天に還る、と。
美しい愛しているルビア。
失いたくない。殺されてなるものか。
それぞれのルビアを大切に思う想いが、一つの選択をさせた。
生まれてくる価値のなかった、醜いスカーレットを代わりに殺そう、と。
これは彼女が死ぬ前と死んだ後の、少しの物語。
新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました
ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」
政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。
妻カレンの反応は——
「それ、契約不履行ですよね?」
「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」
泣き落としは通じない。
そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。
逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。
これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。
契約結婚の相手が優しすぎて困ります
みみぢあん
恋愛
ペルサル伯爵の婚外子リアンナは、学園に通い淑女の教育を受けているが、帰宅すれば使用人のような生活をおくっていた。 学園の卒業が近くなったある日、リアンナは父親と変わらない年齢の男爵との婚約が決まる。 そんなリアンナにフラッドリー公爵家の後継者アルベールと契約結婚をしないかと持ちかけられた。
最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました
斉藤めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。
白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。
その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。
それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。
やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり――
白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。
身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる