31 / 42
31 美の女神フロテア
しおりを挟む「顔色が優れないな。気分が悪いのか?」
本の内容を説明している途中、俯いたロティをアルケインが気遣う。
ロティは控えめに、首を横に振った。
「いいえ。そういうわけではないんです。ただ……」
「ただ?」
「悲しいと思いました。罪を犯した人の中には、自分のためじゃなくて誰か大切な人のためにそうしなければならなかった人もいたのに」
ロティの言葉に、アルケインは眉を顰める。
「では、理由があれば罪を犯してもいいと?」
アルケインの硬質な言葉に、ロティははっと顔を上げた。
「そういうわけじゃ、ないです。悪いことは、悪いこと。それを取り違えているわけじゃなくて……ごめんなさい。うまく言えないです。でも私は―――」
「私は?」
一言一言確かめるように、ロティは言った。
「もしアルケインさまが危険な目にあっていて、それを助けるためには定められた規則を破らなければならないというのなら、きっと罪を犯すと思うんです。罰を受けると分かっていても、そんなの耐えられないから」
そう言った時のロティの顔は、まるで迷子の子供のように頼りなかった。
その言葉を聞いて、次に俯いたのはアルケインの方だ。
「すいません。不愉快でしたか?」
精霊を―――ひいてはすべての秩序を司るのが精霊王だ。自分の言葉が癇に障ったのかもしれないと、ロティは不安になった。
(不興を買わないようにしようって決めたのに、私ったらつい……)
そうは思っても、後の祭りだ。
アルケインは何も言わず立ち上がると、そのまま部屋を出て行こうとした。
「アルケインさま!」
呼び止めると、彼は立ち止まる。
しかし決して後ろを振り返ろうとはしなかった。
「すまない。残してきた仕事を思い出したので戻る」
口早にそう言うと、アルケインはさっさと部屋から出て行ってしまった。
すぐに霧で消えてしまう背中を、ロティは心細げに見送る。
まさか彼が顔を真っ赤にし、部屋から出た途端にその場にしゃがみ込んでいたことなど、ロティは知る由もなかった。
アルケインが去った後、しばらくして砂時計が最後の砂粒を落としたので、彼女はベッドに入ることにした。
精霊王の機嫌を損ねたのではないかと不安ではあったが、彼との約束を破るわけにはいかない。
霧の布団にくるまれて目を閉じていると、ふと誰もいないはずの室内から物音がした。
アルケインが戻ってきたのかもしれないと、ロティは思わずベッドから起き上がる。
するとそこにいたのは太陽の髪を持つ男神ではなく、実った麦穂色の髪に透き通った湖の目を持つ、大変に美しい女神だった。
ロティは一目で。その神が誰であるかを悟った。
「はじめまして。私は美と愛欲の女神フロテア」
そう言って、女神は艶やかにほほ笑んだ。
***
「ねえあなた。一体どんな手を使ってアルケインを落としたの?」
カウチに寝そべりながら、それでも優雅にフロテアが言う。
女神が口にするのは、さっきからそんな内容の質問ばかりだ。
「ですから、何度も言っている通り私はアルケインさまにそのようなことはしていません!」
ロティは必死に否定するのだが、女神は耳を貸そうともしない。
「そんなはずないじゃない。だってもう天界中でもちきりの噂よ? あの朴念仁のアルケインが地上から恋人を連れ帰ったって。ねえあなた、そんな顔してすごく駆け引き上手なの? それとも意外に床上手とか?」
キラキラと目を輝かせてフロテアに聞かれても、ロティは首を横に振る他なかった。
(というか床上手って、一体何? 床のお掃除の名人ってこと?)
「床のお掃除なら、多少は得意ですけど……」
ロティが自信なさげに言うと、フロテアは目をまん丸にした後、美貌を歪めて爆笑し始めた。
カウチに張られた布をバンバンと叩いている。
「くっ、くるし~!」
まるで芋虫のようにもがく女神に、ロティは慌ててしまった。
どこかに水がないだろうかと探すと、いつものように水差しとコップがどこからともなくやってくる。
「ひゃっひゃっひゃっ!」
もはや笑い声かどうかも怪しくなってきた喘ぎをあげるフロテアに、ロティは恐る恐る水を注いだコップを差し出す。
フロテアは震えながらそれを手にすると、勢いよく飲み干してしまった。
「はは、はは、もう笑わせないでよ……」
そう言いながら、フロテアは苦しそうにお腹をさすっている。
「も、申し訳ありません」
何が悪かったかは分からないが、とりあえずロティは謝っておいた。
偉い人にはとりあえず頭を下げておく。これが神殿で生き抜いてきたロティの処世術である。
「なーんか予想外ね。アルケインのやつ、こーんな純真無垢っぽい子が好きなんだ。どうりで私に靡かないわけだ」
フロテアの素っ気ない物言いに、ロティは心臓がぎゅっとつかまれたような気がした。
「あの、お二人はその、特別な関係でらっしゃったんですか……?」
思わず尋ねると、フロテアは不機嫌そうに眉をしかめる。
「なに、気になるの? たかが人間風情が」
勢いよく言い返され、ロティはしおしおと小さくなる。まるで潮風にあたった草のように。
「すいませんその、驚いてしまって」
ロティの知る文献の中のアルケインは、女嫌いで気難しい神だ。
だから今まで、アルケインにそういう相手がいることを想像したことなどなかった。
しかし実際にフロテアの美しさを目にしたら、そういうこともあったんじゃないかと思えてしまうのだ。
彼女は女であるロティが思わず見とれてしまうほど綺麗で、魅力的だった。豊満な体のラインを出す簡素なドレスに、そこからすっきりと伸びた白い手足。
ここ何年も地上の収穫祭ではシェスカがフロテアの役を務めていたが、十分に美しいと思っていたそれが実は力不足だったのだと、ロティは実物を目にして知った。
不意にフロテアが立ち上がり、ロティの目の前に立つ。
改めて煌めくような容姿に、ロティは目が潰れる思いだ。
0
あなたにおすすめの小説
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!
りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。
食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。
だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。
食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。
パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。
そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。
王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。
そんなの自分でしろ!!!!!
十六歳の妹の誕生日、私はこの世を去る。
あいみ
恋愛
碌に手入れもされていない赤毛の伯爵令嬢、スカーレット。
宝石のように澄んだ青い髪をした伯爵令嬢、ルビア。
対極のような二人は姉妹。母親の違う。
お世辞にも美しいと言えない前妻の子供であるスカーレットは誰からも愛されない。
そばかすだらけで、笑顔が苦手な醜い姉。
天使のように愛らしく、誰からも好かれる可愛い妹。
生まれつき体の弱いルビアは長くは生きられないと宣告されていた。
両親の必死に看病や、“婚約者の献身的なサポート”のおかげで、日常生活が送れるようになるまで回復した。
だが……。運命とは残酷である。
ルビアの元に死神から知らせが届く。
十六歳の誕生日、ルビアの魂は天に還る、と。
美しい愛しているルビア。
失いたくない。殺されてなるものか。
それぞれのルビアを大切に思う想いが、一つの選択をさせた。
生まれてくる価値のなかった、醜いスカーレットを代わりに殺そう、と。
これは彼女が死ぬ前と死んだ後の、少しの物語。
新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました
ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」
政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。
妻カレンの反応は——
「それ、契約不履行ですよね?」
「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」
泣き落としは通じない。
そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。
逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。
これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。
契約結婚の相手が優しすぎて困ります
みみぢあん
恋愛
ペルサル伯爵の婚外子リアンナは、学園に通い淑女の教育を受けているが、帰宅すれば使用人のような生活をおくっていた。 学園の卒業が近くなったある日、リアンナは父親と変わらない年齢の男爵との婚約が決まる。 そんなリアンナにフラッドリー公爵家の後継者アルベールと契約結婚をしないかと持ちかけられた。
慈悲深い天使のテーゼ~侯爵令嬢は我が道を征くつもりだ
あとさん♪
恋愛
王太子の婚約者候補に名を連ねながら、政権争いに敗れ、正式任命されなかった侯爵令嬢パトリシア。
彼女には辺境伯家との縁組が命じられた。辺境伯は毛むくじゃらの天をつくような大男で、粗野で野蛮人だと王都では噂されている。さらに独立して敵国に寝返るかもしれないと噂される辺境伯家に嫁いだら、いったいどうなるの?
いいえ、今まで被り慣れた巨大な猫を、この際、盛大に開放させましょう。
わたくしは過去の自分を捨て、本来のわたくしに戻り、思うまま生きてやります!
設定はゆるんゆるん。なんちゃって異世界。
令嬢視点と辺境伯視点の2話構成。
『小話』は、2人のその後。主に新婚さんの甘々な日常。
小説家になろうにも掲載しております。
最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました
斉藤めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。
白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。
その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。
それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。
やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり――
白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。
身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる