世界が終わる。そして、僕は生き返る。

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 あと少し、もう少しで、私の夢が叶う。

 私はその時、窓から空を見上げていた。

 七月上旬の空は嫌いだ。いつだって、あの時のことを思い出してしまうから。

 病室に取り付けられたテレビから、原稿を読むアナウンサーの声が響き渡る。

『続いての特集は『エモーション』により人生を壊された人々についてです』

 その言葉に、私はハッとした。すぐにテレビに視線を向け、ニュースを食い入るように見る。

 エモーション。この言葉を、忘れるわけがない。約五年ほど前に一般に流通し始めた薬だ。今では、その販売は停止されている。

『エモーション』は人々に感情を植え付ける。ある人は喜びの感情を、ある人は勇気の感情を、用途に合わせてそれぞれの銘柄の『エモーション』が服用された。自らを鼓舞したい時、人を勇気づけたい時、人々は『エモーション』を服用した。だが、その薬には大きな欠陥があった。

 初めてその事件が明るみに出たのは『エモーション』が世間に浸透してから二ヶ月ほど経った頃だった。

 それは家の階段を踏み外し頭を強打したという男性が昏睡状態に陥り、眠りから覚めないという内容だった。また、小学生が雲梯から落下して昏睡状態に陥ったという事件も起こった。目撃者は皆、それほど強く頭を打ったわけではなかったと証言していた。

 極め付けは高校サッカーの試合中に起こった。ヘディングをした生徒が、昏睡状態に陥ってしまったのだ。

 彼らの共通点は、全員『エモーション』を服用していた、という点にある。

 それから立て続けに『エモーション』を服用した人々が頭に衝撃を受け昏睡状態に陥るという事件が起きた。

 調査の結果『エモーション』と脳への衝撃の関連性が証明された。つまり、『エモーション』を服用した上で頭に何かしらの衝撃が加わると、脳の機能の一部が破壊されてしまうことが認められたのだ。

 衝撃の大小には個人差があり、かなりの衝撃を受けても昏睡状態に陥らない人もいた。だが、サッカーの事例のように些細な衝撃でも昏睡状態に陥る人も少なからず存在する。

 それにより『エモーション』は販売が停止となった。

 テレビでは『エモーション』によって昏睡状態に陥った家族に密着したドキュメンタリーが放送されていた。結局、被害者は目覚めることなく、脳機能が停止して亡くなってしまった。

 私はたまらない気持ちになって、彼の手を握りしめた。

 ピー、ピー、という電子音が断続的に流れている。私の最愛の幼馴染である越生優太は、今も眠り続けたままだ。四年前『エモーション』を服用した直後に事故に遭った優太くんは脳にダメージを負った。彼は起きることなく、眠り続けている。

 医師によると今は自発的に呼吸を行なっているが、いつどのように容態が悪化するかは分からないという。つまり彼はニュースの患者のようにいつ死んでもおかしくない状態なのだ。これ以上治療することは不可能に近く、容態が悪化したら手の施しようがないという。だからもう、後は優太くんが自力で起きるのを待つしかない。今の優太くんはそういう状態にある。

 彼が目覚める可能性は限りなくゼロに近いという。

 今現在『エモーション』によって昏睡状態に陥った患者が回復したケースが、極端に少ないからだ。

 だが、私は奇跡が起きるのを信じていた。そういった事例が無かったわけではないからだ。その可能性があるのなら、私は信じる。

 いつか優太くんが起きて、本当の意味で彼と再会出来るのを信じていた。

 真っ白な部屋の壁には、いくつものコンピュータ機器が並べられている。それらの機器からはケーブルが伸びており、優太くんが付けているヘッドギアへと繋がっている。

 とても便利な世の中になったと思う。彼は今、夢の世界で擬似生活を送っている。もちろん、彼は自分が夢の世界にいることを知らないし、自分が『エモーション』を使って事故に遭ったことも知らない。部屋に転がっている機器が損傷した脳を補助し、あたかも自分が現実世界にいるかのような映像を見せているのだ。

 私はベッドに近づいて行って、眠り続ける優太くんの手を握り締めた。彼の手は、凄く暖かい。

「ねえ、改めて聞くけど、本当に事故に遭ったのが来夏さんって設定にして良かったの?」

 優太くんの枕元に座っていた千代田さんがパソコンを弄りながら聞いてきた。

「ええ、それで良いんです」

 彼の世界に『エモーション』なんてものは存在しない。そういった世界になるよう私が頼んだ。だから、本来なら事故そのものを無かったことにできた。でも、それは嫌だった。

「私、彼の世界に入りたいんです。彼の隣いるのは、本物の私がいいんです」

 私が居なくなって、もしかすると優太くんは悲しいと思うかもしれない。私と同じように、地獄のような日々を送ることになるかもしれない。でも、優太くんの隣にいるのは本当の私が良かった。生きている私が良かった。コンピュータが作り上げた架空の私が彼の隣に居続けるのは、どうしても嫌だった。

「死んだ人間がいきなり目の前に現れるのよ。混乱するだろうし、拒絶されるかもしれないよ」

 千代田さんは私の瞳をジッと見つめた。彼女の瞳は「その覚悟はあるのか?」と私に問いかけている。

「別にそうなっても良いんです。優太くんの側に居られれば、なんだっていい。恨まれる覚悟だって、あります」
「そっか……それなら安心だよ」

 私の覚悟が伝わったのか、千代田さんは表情を崩した。彼女は『ナビゲーター』と呼ばれる職に就いており、優太くんの世界を作り上げた張本人だ。

 優太くんが現在眠っているこの部屋も『ナビゲーター』が管理している。

 仮想世界と現実世界とでは時間がズレており、私達の世界の方が一日早い。仮想世界は私達の世界をなぞるように時間が過ぎていく。だから、こちら側が何か干渉しない限り基本的に同じようなことが起こるのだ。だから、仮想世界で起こる出来事はある程度予想できる。

 千代田さんはそれを基に優太くんの世界を監視していて、彼の身に危険が起こらないよう助言してくれている。そのため、優太くんからしたら千代田さんは未来予知ができる超能力者に見えるかもしれない。

「いよいよ明日だね」

 千代田さんはパソコン画面を眺めながら言った。

「そうですね。このために、今まで必死に生きてきたようなものですから」

 明日、私は二十歳の誕生日を迎える。私はようやく、彼の世界に入ることができる。

 この国の法律で、二十歳になってからでないと仮想世界に入っては行けないと決められている。

 患者の仮想世界に入るには、その患者と同じ機能を持ったヘッドギアを使わないといけない。それはつまり、健康な脳に補強をかけるということだ。無意味な補強は脳にダメージとして蓄積されていく。そのため、成人を迎えないと仮想世界には入ることは許されていない。

「来夏さんが来るって、後で越生くんに匂わせちゃおっかなー」

 千代田さんは楽しそうにキーボードを打った。

「今、越生くんかなりナイーブだから。来夏がいないのに世界が幸せそうなのが許せないって、一人で嘆いてるから」

 その言葉を聞いて、胸がきしきしと痛んだ。私は、私のエゴで優太くんを苦しめている。私が優太くんと再会することを諦めれば、優太くんは今頃私と幸せに暮らしていたのかもしれない。

「なんか、申し訳ないですよね。私のわがままで、彼から幸せを奪っているような気がするんです」
「そんなこと言わないでよ。越生くんにそろそろ良いことあるって伝えるから」
「でも……」

 千代田さんは私の肩を優しく叩いた。

「でも、じゃないでしょ。来夏さんは越生くんとやり直したかったんじゃないの? 失ったはずの時間を、もう一度やり直すんでしょ?」

 そうだ。私は失ったはずの四年を彼と過ごしたい。仮想世界なら、それをやり直すことができる。

「来夏さんはその為に今まで必死に頑張ってきたわけでしょう? 越生くんも、きっとそっちの方が嬉しいよ。コンピュータが再現した人形のような来夏さんと偽りの四年を過ごすより、本物の来夏さんと過ごした方が良いに決まってる」

 そう言ってもらえると、私としても有り難かった。

「私に任して。絶対に、完璧な四年前を作り出してみせるから」

 力こぶを作って意気込む千代田さんは、とても頼もしく見える。

 千代田さん達『ナビゲーター』には、いくつかの仕事がある。一つ目が、昏睡状態の患者のために世界を作ること。二つ目が、その患者を監視すること。三つ目が、患者の親族などの依頼により、特殊な世界を作り出すこと。この特殊な世界というのは、現実世界の軌道から外れた世界のことを指す。

 例えば、患者がプロサッカー選手になった世界を作り出すことができる。剣と魔法のファンタジーのような世界を作り出すことだってできる。

 つまり、何でもありなんだ。患者の夢を叶えてあげたいと願う親族は多くいるようで、依頼は意外にも多くあるらしい。

 そして私は、千代田さんに四年前を再現して欲しいという依頼をした。依頼の為には、お金が必要だった。更に言えば、優太くんの世界に入るのにだってお金がかかる。もっと言えば、優太くんのこの状態を維持するのにも莫大な費用がかかる。

 だから私は、高校を中退してから就職し、夜にはバイトをし、彼の為に必死にお金を稼いできた。

 その生活は、はっきり言って苦しかった。休む暇なんてなかった。労ってくれる人もいなかった。

 ベッドで眠り続ける優太くんの顔を見る。彼と一緒に歩く姿を想像をするだけで、不思議と力が湧いて来た。後少しの辛抱だ。私はもうすぐ、彼に会いに行ける。
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