この夏の終わりに君を彩る

37se

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 開け放した窓から風と共にやってくる蝉の鳴き声で、僕は目を覚ました。

 網戸にへばりついた蝉が元気よく音色を奏でている。このうだるような暑さの中でも、彼ら蝉は休むことなく鳴き続けていた。

 上体を起こし、身体にべったりと張り付いたシャツを脱いだ。ベッドの下に落ちていたタオルケットを取って丁寧に折りたたむ。

 夏の朝はいつもこうだ。寝ている間にタオルケットを剥いでる。

 ベッドから降りて窓の前に立ち、海を眺めた。磯の匂いを孕んだ湿っぽい潮風が吹いて、前髪が揺れた。

「さて、と。準備をするか」

 タンスからTシャツとズボンを取って部屋を出る。階段を降りて風呂場へ向かいシャワーを浴びてから着替えた。そのまま朝食も取らずに家を出た。

 家の前のちょっとした坂道を下り、砂浜沿いの道を歩きながら、僕は彼女の元へ向かう。

 早朝だからか、海には殆ど人がいなかった。いたのは海パンで海に飛び込んで行った熱血そうな人と、肩を寄せ合いながら眠っている大学生くらいのカップル一組のみ。

 どちらも僕とは無関係なタイプの人間だ。彼らはみんな人生が楽しそうで、輝いて見える。

 途中コンビニに寄ってお菓子とジュースを買った。そのまましばらく進んで、墓場の前で足を止める。

 山の斜面を削って作った墓場だ。そこの四段目の左から四番目が彼女――送火葉月の墓となっている。 

 彼女は僕の幼馴染で四年前に死んだ。中学一年生の頃の話になる。死因は事故死。山の中で足を滑らせたらしい。

 葉月が死ぬ直前、僕は彼女と喧嘩をしていた。恥ずかしい話だが、僕はそのことを死ぬほど後悔している。死ぬほどなんて軽はずみに使うべきではないと思うが、それだけ後悔しているということを分かって欲しい。

 この後悔を背負ったまま、葉月の分まで生きなければならないと、そう思った。どんなことがあっても、最後まで生きないといけないと、固く誓った。

 もう少し優しくできなかったのかと、もっとろくなことを言えなかったのかと、思い返せば思い返すほど後悔の念は増して行く。

 以降、贖罪のつもりではないが、毎日こうして葉月の墓へと来て祈りを捧げている。 

 でも、家には一度も行けていない。

 生前の葉月が好きだったお菓子とジュースを供えて、数分間墓の前に立ち尽くしてから、僕は墓場を後にした。

 帰り道になっても、海に人は少ない。夏とはいえまだ朝だし、シーズンの夏休みを迎えたわけでもない。

 海パンの男性は未だに海を泳いでいたし、大学生くらいのカップルもまだ甘ったるい夢の中だ。

 きっと、彼らは幸せなんだろう。そう思うと、少し羨ましくもあった。だけど決して、彼らのようになりたいとは思わない。

 彼らの他には犬の散歩をしているおばさんと、僕と同い年くらいの女の子がいた。

 時間が経ち少し人数が増えてはいたが、それは夏に鳴いている蝉の寿命が七日から八日に増えるのと同じくらいの些細な変化だ。

 僕はその同い年くらいの女の子を眺めていた。なんとなく葉月があのまま死んでいなかったら今はこんな感じの子になっていたのかな、なんて考えてしまったからだ。

 女の子は白いワンピースを着ていた。丈の長いワンピースで、くるぶしまで届くほどの長さだ。波打ち際を歩いたらすぐに濡れてしまいそうに見える。日焼け防止の為だろうか、ワンピースの上から赤いカーディガンを羽織っていたのが、印象的だった。

 夏の早朝とはいえ、少し暑そうに見える。

 これが日中の炎天下の中で、女の子が麦わら帽子をかぶっていて、ぬるい潮風と共に帽子が飛ばされたりしたら完璧なんだけどな。なんて、要らないことを考えてしまう。

 それもこれも、全部葉月のせいだ。

 生前の葉月がよくそんな失敗をしていた。みんなで必死になって飛ばされた麦わら帽子を取りに行った時のことを鮮明に思い出せる。ある時は海の家の屋根に、ある時は山の中に、ある時は海の中に、汗だくになって、びしょびしょになって、ようやく帽子を取り戻した後に輪になって浜辺に寝転んだりした。大事そうに帽子を抱えていた葉月の横顔が脳に焼き付いて消えてくれそうにない。

 僕の心は確かに空っぽになったはずなのに、もう跡形もなく無くなってしまったはずなのに、残像のように葉月の姿がいつまでも心にある。

 これはもう呪いに近いものなんだろうなと、いつしか自嘲気味に思うようになった。

 女の子はきょろきょろと辺りを見ていた。一瞬海パンの男性の方へ歩いて行こうとしたが、思い直したのか犬の散歩をしているおばさんの方へ向かって行った。

 彼女達は何事かを話し込んでいた。女の子が身振り手振りを使って何かを懸命に説明していたが、おばさんの方は眉間に皺を寄せて怪訝な顔をしていた。

 女の子はおばさんと話し終えると一礼して再び辺りを見回す。

 こんな朝早くから海辺で何をしているのだろうか。頭の中を空っぽにして静観していたからだろう、女の子と目があった。彼女がワンピースを揺らしながら近づいて来る。

「ちょっといいですか?」

 鈴の音のように美しい声音だった。髪は黒く艶やかで、腰あたりまで伸びている。大きな瞳も葉月にとても似ていた。肌は夏だというのに、驚くほど白かった。さすが、日焼けを気にしているだけのことはある。 

「どうしたんですか?」

 まだ登校まで時間はあるし僕としても断る理由はない。僕は彼女と少しの間話すことにした。

 ただし、絶対に深くは踏み込まないように、心の距離を一歩引いたところまで離しておく。

「あの、身体が透明になってしまう病気に心当たりはありますか?」

 一瞬、何かの冗談かと思った。おばさんが眉間に皺を寄せていた理由が、何となく分かってしまった。
 
 これはドッキリか何かだろうか。少し話し込んだ後、ドッキリ大成功の札を持った奴が出てきても何もおかしくないなと思った。だが、女の子の表情は真剣そのものだった。もしこれが演技だとしたらそれはそれで感心してしまうくらいには真剣な眼差しをしている。

 だからもしかすると、体が透明になってしまう病気は実在するのかもしれない。だけど、医学の知識量がふ菓子のようにスカスカな僕だからかもしれないが、そんな病気は知らない。

「えっと、申し訳ないんだけど知らないかな」

「分かりました。他を当たってみます」

 僕が素直にそう告げると女の子はニコッと笑って一礼してからまた歩き出した。彼女の笑顔は、笑うことに慣れていないような、どこかぎこちない笑みだった。

 女の子は歩き出す時に「間違えちゃったのかな」などと、ぶつぶつ何かを言っていたが、うまく聞き取れなかった。
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