この夏の終わりに君を彩る

37se

文字の大きさ
3 / 40

2

しおりを挟む
 家に戻り、居間に入ると風にのって煙草の煙が流れ込んできた。 

 煙草の匂いは嫌いだ。この世の不純物を全て詰め込んだような匂いが、なんだか好きになれなかった。

 朝の煙草の匂いは姉さんが起きて来たことを意味している。

「姉さん。いつも言ってるけど窓開けたままベランダで煙草吸っても意味ないよ。煙が全部家の中に入ってきてる」

 姉さんは下着姿のままベランダで煙草を吸っていた。僕の声に反応して唇から煙草を離し、ゆっくりと振り返る。蒸気機関のように煙を吐き出し、眠たそうに目をこすってからボサボサに乱れた頭をぽりぽりとかいた。

「あ、帰って来たんだ。相変わらず朝早いね。朝ご飯昨日の残り物で良いから、準備しといて」

 姉さんは僕の問いかけを無視して人差し指で台所を指す。

「了解。あと、そんな姿でベランダに出てると外から見られるよ」

「良いのよ。別に減るもんじゃないし。見たけりゃ勝手に見てれば良いから」

 姉さんはベランダから海を見下ろしていた。僕の家の後ろはちょっとした崖になっていて、その下には普通の道がある。見られる可能性は充分にあるのだが、姉さんは全く気にしていない。

「確かにそうだ。裸見られてるわけじゃないしね」

「そういうことよ」

 姉さんと短いやり取りを終えてから台所へ向かう。

 下着姿なんてビキニと変わらない。特に海の近くに住んでいるから良く水着になるし、近所の人に見られたところで何も感じない。というのが、姉さんの主張らしかった。実に彼女らしい考え方だなと思う。

 シチューの入った鍋に火をつけ、二人分のご飯をよそる。姉さんは昨日の残り物だけで良いと言ったが、これではいささか少なすぎる気もする。僕は冷蔵庫から生卵三つとフライパンを出し、フライパンに油を引いてから溶かした卵を入れて卵焼きを作った。

「まあ朝だしこのくらいあれば充分だろう」

 卵焼きが出来上がる頃に一服を終えた姉さんがやって来た。

「何? あんた卵焼きなんて作ってるの? 寝起きは胃が受け付けないから昨日の残りだけで良いのに」

「そんなのギリギリまで寝てる姉さんが悪いんだよ。ご飯食わないとロクに仕事できないだろ」

 二人だけの朝食が始まる。我が家には父も母もおらず、住んでいるのは僕と姉さんの二人だけだ。 

 両親は三年前に死んだ。これも事故だ。旅行の帰り道の出来事だった。僕と姉さんを置いて、旅行帰りの幸せな気分の中、二人は仲良く天国へ旅だってしまった。本当、嫌になってしまう。

 父と母が死んで以来、僕と姉さんは両親の遺産をチマチマ使いながら暮らしている。ちょうど去年に姉さんは大学を卒業し、晴れて社会人となった。結婚して家を出るまでは僕を養ってくれるらしい。その代わり、僕がこうやって家事全般をやっている。当然のギブアンドテイクだと思うが、この姉が結婚するビジョンが見えない。僕達はもしかすると一生、この街で暮らしていくのだろうなという漠然とした思いがあった。

「あんたさあ」

 姉さんは僕の作った卵焼きを箸で掴みながらそう切り出す。

「なに?」 

「まだ清涼くんとか立夏ちゃんと喋ってないの? あの子達、この間うちの前の駄菓子屋に来てたよ」

 清涼と立夏というのは僕の以前の友人達のことだ。僕と葉月と清涼と立夏。この四人が僕の幼馴染で、昔良く一緒に遊んでいた。思い返せば、あの頃が僕の人生の中で一番輝いていたかもしれない。だからこそ、あの輝きを失ってしまったからこそ、僕は今こうなってしまった。

「別に何でも良いだろ。迷惑かけてるわけじゃないんだからさ。それより姉さんこそ会社の人とうまくやってけてるの?」

「私は別に上手にやってかなくても良いのよ。私は特に上手にやっていく必要もないし。地元の友達とは上手にやっていけてるしね。ビジネスパートナーに友情なんて求めたらいけないのよ」

 姉さんはコップに入っていた水を一気に飲み干してから続ける。

「あんたみたいな根性なしとは違うから。目を背けてるわけじゃないしね。一緒にしないで欲しいかな」

 姉さんはピンとコップを弾く。グラスに入っていた氷がカランと音を立てた。

 姉さんの言葉を聞いて、水の中にどす黒い粘液を落としたかのように、僕の心に靄が漂う。

「余計なお世話かな。僕は好きでやっているんだよ。自分自身は自分で守るからいいのさ」

「そういうところが弱いって言ってんの。言っておくけど、あんたのそれ、強さでもなんでもないからね。強さを求めるんじゃなくって強くならないといけないのよ。乗り越えないと話にならないわ」

 僕は姉さんの言葉を無言で聞き、噛みしめるように残りの朝食を胃に放り込んだ。

 せっかく作った朝食は、何の味もしなかった。粘土でできた食べ物の形をした何かを食べているような気分だった。それらは僕の腹の奥にずっしりと重くのしかかり、わだかまりと共になかなか消えてくれなかった。

 食べ終えてから席を立ち、再びシャワーを浴びてから身支度を整えて家を出た。先程までと比べていくぶんか日差しが強くなっている。突き刺さるような日差しを受け、目を細めながら学校までの道を歩く。

 家の前のちょっとした坂道を今度は逆に登っていく。坂道を登りながら、小さなため息をついてしまった。

 葉月を亡くしてから、僕は臆病者になってしまった。

 あの輝やかしく美しい日々を、もう二度と失いたくない。

 僕は、これ以上何かを失うのが怖い。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

現実とサキュバスのあいだで ――夢で告白した相手が、同居を始めた話

そう
青春
ある日家に突然現れた謎のサキュバスのホルさん! 好感度はMAXなようで流されるがまま主人公はホルさんと日常を過ごします。 ほのぼのラブコメというか日常系小説 オチなどはなく、ただひたすらにまったりします 挿絵や文章にもAIを使用しております。 苦手な方はご注意ください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

降る雪は沈む蒼の心を優しく包む〜冴えない根暗な陰キャぼっちの成り上がりリア充化プロジェクト〜

朔月カイト
恋愛
三年前に起きたある事件により心に大きな傷を負って、家族と近しい者以外には心を閉ざしてしまい、周りから遠ざけられるようになってしまった緋本蒼介。 高校二年生になってもそれは変わらず、ひっそりと陰に潜む様にして生活していた蒼介だが、ネット上で知り合ったある人物とオフ会をする事になり、その出会いが、彼の暗い高校生活を一変させる転機となる。 果たして彼は、見事に成り上がって立派なリア充になる事が出来るのか──。 冴えない根暗な陰キャぼっちのサクセスストーリー。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

処理中です...