この夏の終わりに君を彩る

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 平行世界――パラレルワールド。

 ある出来事から世界が分岐して、僕の今いる世界と平行に進んできた別の世界。

 そんな話、ゲームやアニメ、映画の中でしか聞いたことがない。創作の中だけの話しかと思っていた。

 つまるところ、今僕の目の前にいる少女はそのSFのような世界から来たのだと、そう主張しているらしい。

「うんうん。分かるぞ。分かるさ太陽よ。私も最初はそうなった。なんなら現に今も信じていいのか分からない始末だ」

 姉さんが、うどんをすすりながらそう言う。

「でもな、あの透明な身体を見たら少しは信じてみようかなという気になるのもまた事実だ」

 確かに、姉さんの言う通りだ。普通に考えて僕の世界にそんな病気はない。かといって、平行世界にもそんな病気はあるのだろうか。平行世界といえど、基本的なベースは同じ世界のはずなんだ。

「信じられないのも分かります。ですが、本当なんです。実際のところ、私が平行世界から来たというのは信じていただけなくてもかまいません。ただ、私が《透化病》だということは本当なんです」

 僕の怪しんだ顔を見て、青井花火が話し出す。

「というと?」

 僕の質問に、彼女が続けて答えた。

「私はこの世界に透化病の治療をしに来ました。私の世界では、この病気の治療法が確立されていないからです。医療技術が最も進歩している世界線を選択して、この世界に渡ってきたんです。そうすれば、透過病の治療法が分かるかもしれないと思ったからです。ですが、この世界に透化病の治療法があるかどうかは判断できない。ですから、昨日の朝ああやって聞き回っていたのです。そこでこの世界に透化病がないことは察することができました。発作になった時は焦りましたよ。病気そのものが存在しないのに病院に行ってこの症状を見られたらとんでもないニュースになってしまうと思いましたからね。ですから、昨晩は本当に、本当にお世話になりました」

 序盤こそは饒舌に話していた青井花火だったが、助けてもらう云々の話になると途端に肩がすぼみ始める。

 そんな彼女の話に姉さんが割って入った。

「まあそのことは全く気にしなくていい。病院の意見に関しては私も同じ意見だ。だが、気になることがいくつかあるんだ。まず一つ。この世界に透化病の治療法があるかどうか判断できないと言っていたが、他の透化病患者の情報はないのか? 他の患者だって、平行世界には行っているんだろ? 他の人の治療例があればミスはしないはずだと思うんだ」

 先ほど朝に話は聞いたと言っていた姉さんだったが、どうやら詳しい話までは聞いていないようだ。

 こればかりは、人と関わり合いを避けたい僕も少し気になる。なんと言っても平行世界から来たと主張しているのだ。気にするなという方が無理な話でもある。

「はい。そもそも透化病は患者自体がかなり少ないのです。今現在、私を含めて世界に十人いるかいないか、その程度しか患者がいない。とっても珍しい病気なんです。ですから、患者の中で平行世界に渡る試みをしたのは私が初めてなんです」

 青井花火は少し俯きながら答える。やはり平行世界といえど、身体が透明化するというのは珍しい病気なのか。

「だとしたら、君に医者や学者などが同伴してないのはおかしな話じゃないか。言っちゃなんだが、そんな奇病の治療法が分かるかもしれないチャンス。わざわざ見逃すのはおかしな話だ」

 姉さんのいう通りだ。不治の病を治せるかもしれない初めての挑戦。医者が同伴していないのがおかしい。なんなら、医者がその技術を獲得しに来ないのがおかしな話だ。
「それにも理由があります。平行世界に渡るのにはいくつかの条件があるんです。エネルギー云々、記憶の制限、そして行ける回数です」

「詳しく聞かせて欲しい」

「記憶の制限というのは、こちらの世界の技術を並行世界に渡さないように、並行世界の技術をこっちの世界に持ってこないように、記憶に靄をかけるのです。並行世界の技術をばんばん手に入れられるというのは魅力的な話ですが、一歩間違えると争いに繋がりかねないということで、こういう形が取られるようになったそうです。平行世界に渡る時にも同様に自分の世界の記憶に一定の靄をかけます。私の場合、渡った目的や病気の知識、帰るための平行世界に渡る方法などには制限がかかっていませんが、それ以外の技術やテクノロジーには靄がかかっています。どんな人生を送って来たのかはぼんやりと覚えていますが、家族の顔なども曖昧ですね。ですから、医者がこちらの世界に同伴したところで時間の無駄なわけです。知識を持って帰ってこれませんからね」

 言いながら、彼女は後頭部に手を当てて「ですが」と苦笑いしながら付け足す。

「この平行世界に渡れるという技術も本当は言っちゃいけないんですよね。並行世界に渡った際には、あくまでも現地人を装うというのがルールなんです。皆さんは命の恩人なので、隠しごとをしたくなかったんですよ。ですからどうか内密に、あまり言いふらさないでくださいね」

 その制約が本当だとすれば、出会って間もない人間に対して少し安易に喋りすぎな感じもするが、相手が良かった。姉さんは秘密を絶対に漏らさないような人だし、僕には喋る相手がいない。

 透明化の話をするにあたって下手な嘘をついて信頼を失うくらいならばと考えた可能性もある。とはいえ、危ない橋を渡ったものだ。世間知らずな子なのかもしれないな。

「なるほど。まあそれは私達以外にはあまり言わない方がいいな」

 姉さんの言葉に彼女は真面目な顔をして頷く。

「それじゃあ次はなんで透化病の治療法がないと分かったのに帰らないのかだ。それもおかしな話だと思うだろ?」

 確かにその通りだ。すぐに帰れば僕達にこんな話などせずに「お世話になりました」で以上終了だ。

「はい。これも信じて話ますが世界を渡る際にはエネルギーが必要になるんです」

 そう言って彼女は持っていたバッグからある物を取り出した。

「こちらを見てください」

 そう言って彼女が取り出したのは、手首に巻きつける時計のような機械だ。昨晩僕が彼女のカバンから見つけたApple Watchのような機械。

「主にこれを使って平行世界に移動するのですが、やり方は、流石に伏せさせて貰いますね」

「ああ、大丈夫だ」

 青井花火が時計を指差しながら控えめに言って、姉さんがそれに真顔で答える。

「平行世界への移動には感情を使います。詳しいテクノロジーは私にも分かりません。私はエンジニアでも何でもないので、申し訳ないです。喜び、悲しみ、苦しみ、嫉妬、その他諸々の感情の中から一つの感情を選びます。その感情が溜まるに比例してエネルギーも溜まっていくんです。私のエネルギーは行きの分までしかなく、もう使い切ってしまったので、今はすっからかんのガス欠状態なわけです」

「つまり花火ちゃんは今ここから元の世界に帰ることができないと、そういうことなんだね」

「そうなりますね」

 姉さんの問いかけに、青井花火は頷く。

「そして、一度元の世界に帰ってしまえばこの世界に戻って来ることはできないのです」

 彼女は言いながら、指を一つ立てた。

「私の世界をXとするとXの世界には何度でも戻ることはできます。ただ、この世界をAとして、私自身がAの世界に移動できるのは一度までなんです。一度Aの世界から帰ってしまえば私は二度とAの世界に行けないのです。X以外のアルファベットの世界に行けるのは一人につき一度までというルールがあります。というより、この機械の限界らしいですね」

 その青井花火の話を姉さんはうんうんと首を縦に振りながら聞いていた。そして「なるほど」と呟く。

「花火ちゃんはエネルギーが溜まっていないから帰れない。更には一度しか来れない私達の世界――Aの世界――をろくに調べもせずに、治療に関しての見落としがあるかもしれないのに帰るのは怖いと、そういうことだね」

「その通りです」

 それから一拍おいて姉さんが再び話し始める。

「あらかた花火ちゃんの状態は理解した。ちょっと辛いことを聞くかもしれないけど、その『透化病』っていうのはどのくらい危険な病気なのかな?」

 そこで、姉さんは青井花火に聞いた。実際、一番大事なことだ。ここからが本題と言ってもいい。

 その言葉を聞いて、青井花火は一度深く息を吸ってから答える。

「そうですね。結論から言うと私はこのままでは絶対に死にます」

 彼女は力強く、本当に力強く、真っ直ぐに僕と姉さんの瞳を見つめてそう言った。

 やはり、彼女は重い病気を患っていた。彼女と深く関わり合えば、失ってしまう可能性の方がはるかに高い。このまま彼女と仲良くなってしまえば、再び失う辛さに襲われるかもしれないんだ。

「透化病患者の中で平行世界に渡って来たのは私が初めてですが、初めて透化病を発症した患者は別にいます。私は全体で五番目くらいに発症しました。初めの患者が病気に気がついたのは、私が病気になる約二年前。彼は最終的に身体中全てが透明になって、私の世界から消えました」

 そこまで喋ってから青井花火はポカリスウェットに初めて口をつける。「失礼します」と言ってからポカリを一口飲んだ。

 流石に口が渇くのだろう。自分の命に関わる話をしているんだ。無理もない。

「それから、今日までに四人の患者が透明になって死んでいます。余命などははっきりとしていません。死んだ四人の中の一人に、私よりも遅く発症した方がいますから。進行には個人差があるようです。ただ、透明化が身体の半分くらいまで進んだら後はもう一気に行きます。一週間と持たないでしょう。私のここ最近の進行具合から察するに、この夏を超えられるかどうか、というところがリミットだと思っています」

 鉛のように重い空気が、ずしんと肩にのしかかってくる。

 青井花火は、何を思って話しているのだろうか。彼女を見るのが怖くて、自然と頭が下がっていく。

 一瞬の沈黙が、永遠のように感じられた。

 だがあっけなく、その静寂は破られることとなる。

「よし分かった。花火ちゃんが大変な状態だってことも、助けを必要としていることも、しっかりと理解したよ。平行世界から来たっていうのも『透化病』という病気に侵されているというのも、全部真実だ。信じよう」

 言ってから、姉さんはニカッと白い歯を見せて笑った。

「ごめんな。試すような真似して。いやだってさ、そりゃ平行世界から来たって言ったら気になるだろ?」

「いえいえ、私も話せてスッキリしました」

 姉さんはそれを聞きながらうんうんと頷いている。そして、パンと手を叩いた。

「よし! 花火ちゃん。君はしばらく我が家にいなさい! 聞いたところ一人で暮らしていくのは難しいだろう。私たちがめんどうを見てあげるよ」

 その言葉を聞いた青井花火は口に手をあてて、信じられないといった表情をしていた。

「いいん……ですか? 私がいると迷惑をかけますよ? 発作も起こりますし、嫌な気持ちにもなるかもしれません」

「そんなの全く問題ないんだ。この家のトップは私だ。私がいいと言えばいいんだ」

 胸をバンと叩いて力強く言う姉さんに対して、青井花火は蚊の鳴くような声で「ありがとうございます」と呟いた。

「でも私も聖人ってわけじゃない。泊めてあげるからにはそれなりの条件がある」

 そう言って、姉さんは僕の方に視線を移してきた。なんだか嫌な予感がする。

「おい太陽! お前もなんか言ったらどうだ」

 唐突に、姉さんにそう言われた。

 なんと言ったらいいのだろうか。言う時に、青井花火の目は見れるのか? 失ったらどうする。一歩距離を置くべきなのか。本当に助けられる? 助けるべきなのか。分からない。僕はどうするべきなんだ。どうすれば僕は傷つかなくて済む? 

「あ、うん。よろしく」

 結局、ただ挨拶をしただけだった。それも、彼女の目なんて全然見れていない。やはり、彼女と近づいてしまうのが怖い。気を許すのが怖い。仲良くなってしまうのが怖い。

「まあこいつは私の弟なんだが、とある事件が理由で人と関わり合うこと、仲良くなることを恐れてやがるんだよな。私が出す条件ってのは、花火ちゃんにこの子と仲良くなってほしい。この子の心を開いて欲しい。そういうことだ。頼めるかな?」

 一緒に暮らすかもしれないと予想していた時からこうなるかもしれないという覚悟はしていた。だが、いざそうなると本当に仲良くしていいのか不安も残る。僕は、彼女を助けられるのだろうか。それとも、今度こそ壊れてしまうのだろうか。もし青井花火と仲良くなったとして、彼女を失ってしまったら、僕は今度こそ――――

 姉さんからそう頼まれた青井花火は、一瞬だけ下を向いた後、僕の目をジッと見つめてきた。僕はその視線に気付いたが、そっと顔をそらした。

 そして、とても、とても力強い声で「分かりました」と言った。まるで決意を固めているかのように。

「よし! 頼んだぞ! じゃあ、うどんもめちゃくちゃ伸びちゃっただろうしさっさと食おう!」

 姉さんの一言で朝の会議が打ち切られる。

 姉さんの頼み通り、青井花火は僕と距離を詰めようと行動を起こすはずだ。僕はそれを受け入れることができるだろうか。恐怖を克服することができるだろうか。そして、彼女を助けることができるだろうか。

 今のままではいけないとは薄々気がついていた。果たして、僕は変わることができるだろうか。人を失う怖さを、乗り越えることができるだろうか。彼女を救うことができるだろうか。救うことによって、あの日の後悔を、苦しみを、しがらみを、払拭することができるだろうか。

 ただ一つ言えることは黙っていても時計の針は進んでいくということだ。彼女に残された時間はこの夏の終わりまでだという。

 それまでに答えを出さないといけない。

 いや、そこで答えを出していたんじゃ遅い。

 僕は今度こそ逃げ出さないようにしないといけない。
 そう思ってはいるのだが――――

「おい太陽。さっきから俯いていないで少しは愛想を振りまいたらどうだ」

 僕は下を向きながら伸びきったうどんを咀嚼していた。

 一歩引いて距離を取ろうと思えばいくらでも人とは話せる。しかし、距離を取らずに話そうと思うと緊張して声が出ない。喉がカラカラに干上がっていくのが分かる。

「そういえばエネルギーに使う感情ってのは何を選んだの?」

 青井花火の斜め上に視線を向けて、振り絞るように声を出した。随分と引きつった顔になっていることだろう。

「あ! はい! えっーとですね――」

 青井花火は頑張って話そうとしている。彼女は作って笑ったような、ぎこちない笑みを浮かべていた。

「私が今回帰るために選んだ感情は『喜び』です。絶対に幸せになって楽しんで帰るって決めてたので、『喜び』を選んだんです」

 少しだけ眼を伏せてそう話す彼女からは、何か暗い影のようなものを感じた。病気だからだとか、不幸なんだとかそういうものじゃない。もっと根本的なところから来る暗闇が、彼女の内側から少しだけ漏れていた。 

「なんだ。じゃあ話は簡単じゃないか!」

 その話に姉さんが割って入る。

「私としては太陽の心を開いてもらいたい。花火ちゃんとしては喜びの感情を集めたい。花火ちゃんと太陽のお互いが喜びを感じればエネルギーもたまるし太陽の心も開きやすくなる。まさにウィンウィンの関係だ」

 勝手にウィンウィンとか言わないで欲しいと思う。僕としてはまだ仲良くなって大丈夫なのかと不安に思っているし、何よりも僕なんかが喜びを与えられるのか不安だ。

「正直、不安なんです。さっき力強く言ってはみましたが、自信があるかどうかと問われると……ちょっと。私なんかと一緒にいて、楽しいと思えるか……太陽くんが喜びを感じて心を開いてくれるか分からないです」

 先ほどは力強く任せてくださいと言っていた青井花火だったが、不安を漏らした。

「うんうん。分かるよ。やっぱり君達はぴったりだと思う。多分今まさに太陽も似たようなこと考えてると思うから。安心してよ」

「えっ……」

 姉さんにそう言われ、青井花火は僕の方を向いた。バツが悪くなった僕は頬をぽりぽりとかいて誤魔化す。

「ほら見な、あのリアクション。図星だ。花火ちゃんだって何かを変えたいんでしょ? 何かを変えられるかもしれないんでしょ? それはうちの太陽にだって言えることだ。お前もしっかり聞いとけよ。そんな二人だからこそいいんだ。二人でその『喜び』の感情をためて欲しい」

 姉さんは食べる箸を止めてから、青井花火のほうへ箸を向けた。「下品だよ」と嗜めるべきだろうか。

「そういえば、エネルギーの確認できるゲージとかあんの?」

「あります」

 姉さんの問いに、青井花火が時計の画面を見せて答える。

 時計の液晶の上の方、そこには十個のタンクが映し出されていた。その内の一個目がたった今満たされた。

「このタンクが満タンになると一つずつ色が付いていきます。全てのタンクに色がついたら満タンです」

「じゃあ今まさに一つ目のタンクが満たされたってことか」

 姉さんが言って、それに青井花火が「はい」と頷いた。

「昨日から、こんな私を助けてくれたことが、嬉しかったんです」

 目を細めながら言う青井花火の手は強く握りしめられていた。

「うんうん。そう言ってもらえると私達としても助けて良かったと思えるさ」

 言ってから、姉さんは僕の方をちらりと見る。まるで、お前の選択は間違いではないと言ってくれているかのようだ。

「じゃあ私からのミッションな」

 姉さんは指を二本ピンと立てる。

「今日二人でどっか行ってこい。現状から少しでもゲージが溜まってなかったら罰ゲームな。おい太陽。お前しっかりと喜ばせてやれよ。時間は少ないんだ。頼んだぞ」

 僕は姉さんの方を向いてこくりと頷いた。自身はもちろんない。話せるかどうかすら分からない。仲良くなる覚悟ができたかと問われると、それもまだだ。だが、姉さんがああ言った以上従わざるを得ない。

「わ、分かりました!」

 青井花火が声を裏返しながら返事をする。

「幸い今日は土曜日だ。親密度を高めるための時間ならいくらでもある。私はちょっと仕事に行くが、頑張って来いよ! 若者達!!」

 そう言うと、姉さんは朝食を平らげてから席を立った。

 そのまま僕達もお互いにぎこちないとって作ったかのような笑みを浮かべて、もうすっかり伸びきったうどんをすすった。
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