この夏の終わりに君を彩る

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 夏祭り当日がやって来た。

 姉さんが花火に浴衣の着付けを教えていた。

 着終わった頃合いを見計らって一階に降りて行くと、ニヤニヤした姉さんと浴衣姿になった花火が立っていた。

 紺色を基調とした花火柄の模様が入った浴衣だ。

 名前に合わせて、花火柄で統一してるようだ。これは姉さんの趣味だろうな。

 花火は視線を泳がせてから、チラッと僕の方を見てきた。

 瞳が合って思わずドキッとしてしまう。

「ほれ、太陽。なんか言うことがあるだろ」

 もじもじしている花火に変わって、姉さんが相変わらずニヤニヤしながら言った。

「似合ってるね」

 言っていて自分の顔が赤くなってないか心配になる。 

「あ、ありがとう……ございます」

 花火は頬を茜色に染めて、視線を右下へと移動させた。心なしか口元が緩んでいるようにも見える。

「もうおばさんには眩しすぎて見てられいよ。早く夏祭りに行って来な」

 頬に手を当ててきゃーきゃー言いながら姉さんは二階へと消えていった。

 今はまだ夕方の六時で集合の八時まではまだ時間がある。

 だが、夏祭り自体は五時半頃から始まっているので少し早く行ったって何も問題はない。

 打ち上げ花火が始まるのが八時前後からだから、その時間に集合することになっているだけだ。

「姉さんもああ言ってることだし、ちょっと早いけど行こうか」

 僕は右手を差し出す。

「はい! 行きましょう」

 花火は僕の右手を握ってくれた。

 外に出て、花火のペースに合わせて歩く。浴衣姿だと歩きづらいし、慣れない下駄を履いているから。

 外は日中ほど暑くなく、ほんのりと蒸し暑い空気が身体にまとわりつくだけだった。

 祭り会場になっているいつもの海沿いの道に着くと、そこら一帯はもうすっかり賑わっていた。

 屋台がずらっと立ち並んでいて、電柱には提灯が垂れ下がっている。多くの人達が夏祭りを楽しんでいるようだった。

 祭囃子の音が大音量で響いて、法被を羽織った演奏者達が一生懸命祭りを盛り上げようとしていた。

「うわぁ」

 花火がその圧倒的な迫力を前に声をもらした。

「お祭りの本番はこれからだから、屋台に行こうよ」

 瞳を輝かせてうっとりしている花火の手を引いて、人混みの中へと入る。

 手が離れてはぐれないように、先程よりも力を込めて手を握った。すると、また力強く手が握り返される。

 道にある屋台一つ一つに花火は感銘を受けて「おー」とか「うひゃー」だのと逐一声を出していた。

 しばらく歩いて、気になった屋台で何度か遊んだりした。

「ひゃー! やりましたよ! 見てください! 取れました!」

 射的に興味を示した花火は屋台に入り、見事に景品をゲットした。商品を取るために目一杯まで身体を前へ押し出していたのだが、その格好のままガッツポーズをしている。

「わー、凄いね! ってうわ! 花火! 前! 前見て!」

 景品を落としたことに興奮した花火は身を乗り出したままはしゃいだため、そのまま屋台の中へと落ちてしまった。

「痛ててて……」

 ずっこけて尻餅をついた花火を見て、屋台のおじさんは盛大に笑っていた。

「お嬢ちゃん元気だなあ。こんな子が彼女だなんて兄ちゃんが羨ましいよ」

 唐突にそんな事を言われたため、頬が一気に熱くなった。見事に赤くなっていたことだろう。花火が転んでいて良かった。こんな姿を見られたら恥ずかしいからな。

 屋台のおじさんは僕と尻餅をついている花火を交互に見た後、ケラケラと笑い出した。

 もしかしたら花火も顔が赤くなっていたのかもしれない。

 なんだかこのおじさんの前にいるのがとても恥ずかしくなってきた。景品を貰った後、花火の手を引いてすぐに違う屋台へと向かった。

 それから僕達は焼きそばを買ったり、りんご飴を食べたりして遊んだ。

「はあっはあっ」

 屋台を眺めながら歩いていた時だ。花火の息が切れていることに気がついた。周りの喧騒に紛れて、気が付けなかった。

 心配になって花火をジッと見つめる。下駄に慣れないのか、しきり足を気にしていた。

 時間を確認すると、約束の時間までまだ少しだけ時間がある。少しだけ休憩した方が良さそうだ。

 周りを見渡してみると、浜辺近くのベンチが空いていた。

「花火。あそこのベンチで少し休もう」

「そう……ですね。ありがとうございます。私も少し、休みたいと思ってました」

 ベンチに座り、花火を背中をさする。彼女の体は小刻みに震えていた。

 花火は大事そうに射的で当てた景品を抱えていた。ぎゅっと抱きしめるように、景品を胸に包み込んでいる。

 そこで、僕は思ってしまう。今日、花火は楽しいと思ってくれただろうかと。喜びのゲージは溜まったのかと、不安になる。

 満タンになって違う世界に渡れば、花火は生きながらえる事ができるかもしれない。でもその時、花火の記憶の中に僕という存在はいない。

 その事が堪らなく悲しかった。でも同時に、このままこの世界に残っても花火に未来が無い事も分かってる。

 そんな事を考えていたからだろう。僕は花火が真面目な顔をしてこちらを見つめていることに気づくのが遅れた。

「太陽くん。話があるんです」

 言われて、ぞくっとした。何か嫌な事を言われると、直感が告げている。

「話って?」

 僕が恐る恐る聞くと、花火はゆっくりと話しだした。

「私の、喜びの感情についてです」

 僕は唾を飲み込む。

「私のゲージがあと一つから一向に溜まらないことを、太陽くんは知っていますよね」

 ゆっくりと頷く。

「多分、ゲージが溜まらないのは、死ぬのが怖いからなんだと思います。だからきっと……心の底から楽しめてないんです」

 花火は懸命に言葉を紡いでいた。虚な彼女の瞳を見ているのが怖い。君と離れ離れになりたくないと体の内側が暴れている。

「私はもっと生きていたい。太陽くんと会って、もっと生きたいって、今まで以上に生きたいって、思うようになっちゃったんです。死にたくない……太陽くん、私は、どうしたらいいんでしょうか……」

 花火の声は震えていた。力無く僕の腕を掴むと、俯いてしまう。

 何と言えばいいのか分からない。ただ、僕は君に生きていて欲しい。できれば、僕の隣で。ずっとずっと、この先の未来も幸せな生活を送っていきたい。でも、この願いは絶対に叶うことはない。自己中心的な考えだってのは分かってる。だけど、その思いが叶えばいいと望んでしまうんだ。絶対にあり得ないと知っていても。そう、願ってしまう。

 やはり、心を開いたのは失敗だったのかもしれない。いつものように、逃げ出していたらこんな思いにならずに済んだはずだ。

 じゃあ、どうすれば良かったんだよ。

 分からない。どうしよう。分からない。僕には何が正解なのか……分からない。分からない。

 頭の中がぐちゃぐちゃに、真っ黒に染まり上がっていく。

「それは、ぼくには———」

 かろうじて、それだけを口にすることができた。

 その時だ。

 空を切り裂くような破裂音が響き、みんなの視線が空に集まった。

 夏の夜に一輪の花が咲いて、夢のように儚く消えた。

 まるで僕と花火の出会いみたいだな、なんて馬鹿みたいなことを考えた。

 僕と花火はどう足掻いたってこの夏しか一緒にいられないんだ。

 僕の終わってる思考と同時に打ち上げ花火が始まった。

 打ち上げ花火の明かりに照らされた彼女の顔は涙で濡れているように見えた。

「これが打ち上げ花火ですか。太陽くんが言っていたように綺麗ですね」

 花火の瞳の中に幾つもの花が咲いて、一瞬にして消えていく。その瞬くような輝きが、彼女の命の灯火と重なって見える。

「私……もっともっとみんなと色んな思い出を作りたかった。みんなと旅行に行ったり、秋の紅葉を見たり、雪合戦したり……寒いねって言いながら、太陽くんのコートに手を入れてみたり。そんな……そんな未来を生きてみたかった……この夏だけなんかじゃなく、秋も冬も、その先の春だって、夏だって、何回も、何回も、太陽くんと過ごしていたかった」

 花火が涙を拭いながら話し始めた。その一言一言が、鋭い棘となって僕の心に突き刺さる。
 花火と離れたくない。僕だって、ずっと一緒にいたい。

 目の前で花火がこんな風に涙を流しているというのに、何にもしてあげられない。僕は本当に無力だ。

 何も言えず、ただ目の前にいる花火を抱きしめそうになった時だ。

「太陽くん。私は、こっちの世界に来たこと……幸せを知った事は、間違いだったのでしょうか……」

 何か言わなくちゃいけないと言葉を探していた時だった。

「うっ……うぅ……」

 話していた花火が突然、胸を押さえた。

「はあっ……はあっ……」

 顔を歪ませて、口をパクパクさせている。荒い呼吸のまま、ぐらりと体が揺れた。

 まさか――嫌な予感がぞわぞわを背筋を駆け上がる。それと同時に花火が前のめりにベンチから崩れ落ちた。額には尋常じゃない量の汗が浮かんでいて、異常事態だということは一目で分かる。

 発作が、起こった。

「花火!」

「はあっはあっはあっ」

 すぐに駆け寄って彼女を抱えた。返事はない。

 咄嗟に、彼女が持っていた巾着袋を開いた。薬を飲ませないといけない。しまった。薬がない。いくら探しても、巾着袋の中に薬はなかった。薬は家に置いて来てしまったんだ。

「今すぐに家まで連れて帰るから! 大丈夫だから!」

 自分に言い聞かせるように叫んだから、すぐさま花火を背負って走り出す。

「あれ、太陽じゃない? 花火ちゃんを背負ってどうしたんだろう?」

 人混みをかき分けて進んでいると、どこからともなく、僕の名前が聞こえてきた。聞き覚えのある声だったので、一瞬だけ振り返って見てみると、そこには立夏と清涼がいた。

 もうすぐ八時なのかもしれない。でもそんなの気にしていられない。

 彼らには悪いが、今日の約束は無しだ。事情を話している暇もない。

 それに、もう――――

 それからはもう、なり振り構わずに走った。
 背中から伝わる花火の異常に早い鼓動が、余計に僕を焦らせる。

 ただひたすらに、僕は何て愚かなんだろうと、それだけが頭の中にあった。

 僕の役目は花火に喜びを与えることだった。それなのに、それなのに僕は何もできなかった。

 花火が悩んでいるのに気がつきながら、声をかけることすらできなかった。簡単に分かるなんて言っちゃいけないから、知ったような口をききたくないから、何も言えなかった。

 全部、全部自分が可愛かったからだ。僕は昔から、何も変わってない。僕は僕のことしか考えていない。

 花火は、自分の命があと少しだというのに、一生懸命に僕の心を開いてくれた。

 それまで、僕はずっと心の奥底に閉じこもっていたんだ。そこは真っ暗で、寒くて、ボロボロで、窓もない、地獄のようなところだった。

 そんなところに、花火は入って来てくれた。ボロボロの部屋をこじ開けて、真っ暗な僕に光を当ててくれた。暖めてくれた。助けてくれた。引き上げてくれたんだ。

 本当に暖かかった。暖かいのに震えが取らなかった。花火という存在に包み込まれて、甘えて、自分の弱さを全部受け止めて貰えたからだ。

 それなのに、それなのに僕は――――僕は何もできなかった。

 ――――ああ、もう、やっぱり、僕には無理だったんだ。

 初めから、誰かと一緒に何かをしようなんて、舞い上がらなければ良かっんだ。

 僕はいつも通りに殻に閉じこもって逃げてれば良かったんだ。

 だって、僕は自分勝手で、どうしようもなくて、人を傷つけてばっかりだから。

 葉月の時から、何も変わってない。

 そんな奴は、誰とも関わらなくていいんだよ。そうだ。そうに違いない。

 そうすれば、こんな思いはせずに済んだ。花火という光を知って、また新たに大切な人を失わずに済んだ。

 ほら、今だって自分のことしか考えてないだろ。笑っちゃうよな。馬鹿みたいだ。僕は終わってる。

 やっぱり、失うのは辛い。仲良くなんて、ならなければ良かった。二度と、こんな思いはしたくなかったのに……

 もう、誰とも喋らない方がいい。ライブにも出れない。

 こんなクズ野郎には、元の居場所がお似合いだ。

 僕にはやっぱり、空っぽがお似合いだ。

 また新たな空っぽが、胸の中に産まれるんだろうな。

 必死に走り続けて、やっとの思いで家まで辿り着いた。

 ドアを開けようと戸を引くと、鍵がかかっていた。

 インターホンを押している余裕なんてない。ドアを必死に叩いていると、恐る恐るといった様子でゆっくりと扉が開かれた。

 姉さんが顔だけを覗かせる。危なかったらいつでも閉められるといった様子だった。

「姉さん! 僕だ! 花火が発作になったんだ!」

 声で僕だと気づいたのだろう、勢い良く扉が開かれた。

「分かった! 任せろ! とりあえず中に入れ!」

 僕は家に入り、階段を登って花火を部屋まで連れて行く。

 その間に姉さんが布団を敷いてくれていた。

 花火をそこに寝かせてから、姉さんを見つめた。

 姉さんは花火の意識を確認してから、薬を飲ませていた。

 花火の呼吸が落ち着いて、スースーと寝息を立て始めた時だ。やっと、姉さんは僕の視線に気がついたようだ。

「良かったな。ひとまずは安心だ。それで、お前そんな顔してどうするつもりだよ」

 姉さんは訝しげな表情で僕を見ていた。

 僕は最低限伝えなければならない言葉を選んで、ゆっくりと言った。

「姉さん。僕はもう無理だ。後のことを、花火を頼むよ」

「おい、ちょっと待て、それはどういう――――」

 姉さんの言葉を待たずに走り出す。

「おい! 太陽! どういうことだ!!」

 後ろは振り返らない。僕に残された選択肢なんて一つしかない。

 いずれにせよ、花火は僕の前からいなくなる。

 今までは敢えて考えないようにしていたが、現実を直視しないといけない。だって、他の世界に行ったって、病気を治せる確率なんて0に等しい。

 ここが最も医療が進んでいる世界だと言っていたし、万に一つ次に渡った世界に透過病の治療法があったって、すぐに治療できるとは限らない。

 だから、もう、近い将来花火は死ぬ。

 死ぬ。この世界から消える。いなくなる。さようならと手を振る彼女の姿が見える。


 じゃあ、僕が先に行って待ってるよ。

 
 階段を駆け下りて、家を出る。その後は力の限り走った。走り続けた。
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