2 / 44
1
しおりを挟む
煌びやかに装飾されたおもちゃ箱みたいな商店街を抜けると、目的の場所が見えてきた。
この町の中心部にある小さな噴水広場だ。
また今日も来るはずのない人を待つためにこの場所に来てしまった。
空を見上げると、背の高い入道雲がオレンジ色に染まっていた。
もう夕暮れ時だというのに、夏日の暑さは健在だ。シャワシャワと鳴く蝉の合唱がより一層暑さを際立たせている。
「あー、しんどい」
意味もなく声を出してしまう。つぅと滴り落ちた汗が右腕に挟んだコートに落ちた。
噴水の前に立ち、腕時計に視線を落とす。時刻は七時前。夕食時なのか、辺りから食欲を刺激する香ばしい匂いが漂ってくる。
「今日の晩御飯は何にしよっか?」
手を繋いだ親子が楽しそうに広場を通り抜けていく。バス停のベンチで高校生くらいの男女が肩を寄せ合っていた。
みんな、幸せそうだった。というより、この世界の住人はみんな幸せだった。ただ一人、僕を除いて。
無意識のうちに胸ポケットに手が伸びて、それがないことに気がつく。
いったい、僕はいつから禁煙しているのだろう。
それはきっと、記憶の奥底に眠っているあの少女のせいなのだろう。彼女のために、僕は禁煙を決意したはずなのだ。
それからしばらくの間、僕はその広場で彼女を待ち続けた。来るはずのない彼女のことを、ずっと待ち続けた。
気付けば辺りはすっかり暗くなっていた。空を見上げると、今度は美しい星空が広がっている。あの右側に見える砂時計みたいな星座はオリオン座だろうか。今夜は冬日になるなと、持っていたコートに袖を通す。
それから少し経って、昼の暑さが嘘のように冷え込み始めた。次第に吐く息が白く染まっていく。それに呼応するように、広場の様々な建物に巻き付けられた電飾が鮮やかに光り出した。
街はまるでこの世界を祝福するかのように輝き出した。そこかしこでライトアップされたイルミネーションが、より一層僕の孤独を深めていく。
夕食を終えたのだろうか、イルミネーションを見ようと様々な人達が再び外へとやって来た。一度静けさを取り戻していた平場が、再び賑わい始める。
耳当てを付けた赤いほっぺたの少女がお母さんに手を引かれていく。チラリと隣に視線を向けると、何度もスマホを見ながらそわそわと身体を動かす若い女性が立っていた。しばらくすると目的の男性がやってきたのか、彼女は頬を緩ませながら彼に抱きついていった。
この世界で、僕だけが取り残されているような気がする。
顔をほころばせている人々を見るたびにそう思った。
結局、今日も彼女は僕の前に現れてくれなかった。僕はいったいどれだけの間、この場所で彼女を待てばいいのだろう。もう一層のこと、諦めてしまった方がいいのかもしれない。でも、それでも、諦められなかった。この世界にいる限り、何かしらの奇跡が僕にも起こるかもしれないと思ってしまうから。どうしても、諦めることが出来なかった。
僕は「はあ」とため息をついてから、広場を後にした。美しい光に彩られた商店街を抜けて、浜辺へと向かう。時計の針が、二十三時を指すと同時に、島中に一日の終わりを告げるクリフ・エドワーズの『When You Wish Upon a Star』が静かに流れていた。
その緩やかな音に耳を傾けながら砂浜を歩いていると、頬に冷たいものが触れた。反射的に頬を確認すると、それは小さな雫だった。視線を上空に向けると、さらさらとした雪が海風にあおられて狂ったように舞っている。
そこで僕は改めて思い知らされた。ここが普通の世界ではないことを。ここが、今まで僕が暮らしていた世界とは全く違う場所だということを。
白く燃えるような満月を背に、サンタクロースが夜空を駆けていた。
その幻想的な光景を見て、思わず息を呑んでしまう。それと同時に、この場所は僕がかつて住んでいた場所とは決定的に違うのだということを、今一度思い知らされた。
その時、近くにあった灯台のライトが夜の闇を切り裂き、海を照らし出した。海のはるか先に巨大な壁が見える。その壁は優に百メートルを超えていて、この島を――つまりはこの世界を――覆っているという。ライトが平行に動き、壁面を照らし出して行く。その壁面にはこう書かれていた。
[Utopia Wonder World]
ここは理想の世界。何もかもが完璧で誰一人悲しみを負うことのない完全な場所。そんな世界で、僕は理想を叶えられずにいる。
この町の中心部にある小さな噴水広場だ。
また今日も来るはずのない人を待つためにこの場所に来てしまった。
空を見上げると、背の高い入道雲がオレンジ色に染まっていた。
もう夕暮れ時だというのに、夏日の暑さは健在だ。シャワシャワと鳴く蝉の合唱がより一層暑さを際立たせている。
「あー、しんどい」
意味もなく声を出してしまう。つぅと滴り落ちた汗が右腕に挟んだコートに落ちた。
噴水の前に立ち、腕時計に視線を落とす。時刻は七時前。夕食時なのか、辺りから食欲を刺激する香ばしい匂いが漂ってくる。
「今日の晩御飯は何にしよっか?」
手を繋いだ親子が楽しそうに広場を通り抜けていく。バス停のベンチで高校生くらいの男女が肩を寄せ合っていた。
みんな、幸せそうだった。というより、この世界の住人はみんな幸せだった。ただ一人、僕を除いて。
無意識のうちに胸ポケットに手が伸びて、それがないことに気がつく。
いったい、僕はいつから禁煙しているのだろう。
それはきっと、記憶の奥底に眠っているあの少女のせいなのだろう。彼女のために、僕は禁煙を決意したはずなのだ。
それからしばらくの間、僕はその広場で彼女を待ち続けた。来るはずのない彼女のことを、ずっと待ち続けた。
気付けば辺りはすっかり暗くなっていた。空を見上げると、今度は美しい星空が広がっている。あの右側に見える砂時計みたいな星座はオリオン座だろうか。今夜は冬日になるなと、持っていたコートに袖を通す。
それから少し経って、昼の暑さが嘘のように冷え込み始めた。次第に吐く息が白く染まっていく。それに呼応するように、広場の様々な建物に巻き付けられた電飾が鮮やかに光り出した。
街はまるでこの世界を祝福するかのように輝き出した。そこかしこでライトアップされたイルミネーションが、より一層僕の孤独を深めていく。
夕食を終えたのだろうか、イルミネーションを見ようと様々な人達が再び外へとやって来た。一度静けさを取り戻していた平場が、再び賑わい始める。
耳当てを付けた赤いほっぺたの少女がお母さんに手を引かれていく。チラリと隣に視線を向けると、何度もスマホを見ながらそわそわと身体を動かす若い女性が立っていた。しばらくすると目的の男性がやってきたのか、彼女は頬を緩ませながら彼に抱きついていった。
この世界で、僕だけが取り残されているような気がする。
顔をほころばせている人々を見るたびにそう思った。
結局、今日も彼女は僕の前に現れてくれなかった。僕はいったいどれだけの間、この場所で彼女を待てばいいのだろう。もう一層のこと、諦めてしまった方がいいのかもしれない。でも、それでも、諦められなかった。この世界にいる限り、何かしらの奇跡が僕にも起こるかもしれないと思ってしまうから。どうしても、諦めることが出来なかった。
僕は「はあ」とため息をついてから、広場を後にした。美しい光に彩られた商店街を抜けて、浜辺へと向かう。時計の針が、二十三時を指すと同時に、島中に一日の終わりを告げるクリフ・エドワーズの『When You Wish Upon a Star』が静かに流れていた。
その緩やかな音に耳を傾けながら砂浜を歩いていると、頬に冷たいものが触れた。反射的に頬を確認すると、それは小さな雫だった。視線を上空に向けると、さらさらとした雪が海風にあおられて狂ったように舞っている。
そこで僕は改めて思い知らされた。ここが普通の世界ではないことを。ここが、今まで僕が暮らしていた世界とは全く違う場所だということを。
白く燃えるような満月を背に、サンタクロースが夜空を駆けていた。
その幻想的な光景を見て、思わず息を呑んでしまう。それと同時に、この場所は僕がかつて住んでいた場所とは決定的に違うのだということを、今一度思い知らされた。
その時、近くにあった灯台のライトが夜の闇を切り裂き、海を照らし出した。海のはるか先に巨大な壁が見える。その壁は優に百メートルを超えていて、この島を――つまりはこの世界を――覆っているという。ライトが平行に動き、壁面を照らし出して行く。その壁面にはこう書かれていた。
[Utopia Wonder World]
ここは理想の世界。何もかもが完璧で誰一人悲しみを負うことのない完全な場所。そんな世界で、僕は理想を叶えられずにいる。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
☘ 累計ポイント/ 180万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる